043 氷の微粒子
「あ、お兄ちゃん! お帰りなさい!」
遠征の疲れを癒すため屋敷の自室で休んでいた俺の元に、妹のミリアの眩しい笑顔が飛び出した。
訓練校での面談を終えたばかりだろうに、偽りのない笑顔を俺に向けてくれるミリア。
その彼女の胸元に見覚えのある宝石を発見する。
「ミリア。それは……」
「うん。気付いた? 『ヴァイオレットウェンディ』。お兄ちゃんが前にプレゼントしてくれたものをネックレスに加工してもらったの」
ミリアはそう言いながら俺の隣に座った。
この宝石は俺が氷魔法の力を手にしたばかりの頃に加工屋のブッカに細工させたものだ。
滅多に手に入らない《大翼鴉の結塊臓》。
ネックレスに加工したということは、再びブッカに依頼したということになる。
「ブッカさん、この宝石を見せたらいきなり黙っちゃって……。具合が悪いのかと思ったけど、そういうわけでもなかったみたいで……」
「具合が悪い……?」
「でも『ネックレスに加工をお願いします』って言ったらその場ですぐに取り掛かってくれて、お代もいらないっていうから私困っちゃって……」
「……」
それはきっと、俺が奴に忍ばせた『氷の微粒子』の副作用だろう。
俺は氷魔法を使い、この宝石を見せ、奴に命令した。
『加工料を請求するな』と――。
(魔法を解いたつもりだったが、まだ奴の体内に微粒子が付着していたということか……?)
まだまだ謎が多い魔法の力――。
となると、他にも影響が出ている者がいるかも知れない。
「……とっても似合っているよ、ミリア。お義母様はもうお帰りになったか?」
「お母さん? ううん、面談が終わったあとにそのまま理事長と話があるって言ってたから……。まだ訓練校に残っていると思う」
……ならば少しだけ時間がありそうだ。
あの女が帰ってくる前に、あいつに会いに行って確かめるとするか。
俺の奴隷と成り果てた、あの女に――。
◇
屋敷を出て訓練校がある街の東に歩を向ける。
今だに街中が野次馬でごった返しているが、当分この熱は冷めやらないだろう。
俺は人ごみを縫うようにして目的の場所へと向かう。
訓練校の東門を通り抜け、そのまま緩やかな坂を上る。
そこで意外な人物と鉢合わせになってしまった。
「貴方は……」
「? ……ああ、これはこれは教師どのではありませんか。こんな場所でお会いするとは奇遇ですな」
白銀の鎧を着た大柄な男。
背中にはあの特徴的な巨大な漆黒の大鎌を背負っている。
「かの高名な王立騎士団の団長ともあろうお方が、このような辺境の街に何の御用でしょうか?」
俺は慎重に言葉を選び、奴の出方を窺う。
巨龍種討伐クエストの際にはまったくと言っていいほど出番が存在しなかった王立騎士団。
まさか恨み言のひとつでも言いに遠路遥々ここまで来たとは考えにくい。
「ここには俺の旧友がおりましてね。これを更に強化していただこうと」
騎士団長――ガイアスは大鎌を下ろし、俺に見せる。
日の光を全て吸収してしまいそうな、深淵の黒。
……そうか。
確かこの大鎌に紋章を刻んだのが――。
「アーシェに御用だったのですね。俺もこれから紋章店に向かう途中でしたので、ご一緒に如何でしょう」
俺はニコリと笑いガイアスに提案した。
少しでも俺を疑う素振りを見せれば、今ここで魔法を発動できるように慎重な姿勢を保ったまま。
「ええ、喜んで。そういえば貴方はレグザの所のギルドから出張されたのでしたよね。だったら合点がいった。あの娘とも知り合いのはずだ」
大鎌を背に戻したガイアスは少しも俺を疑っていないように見える。
――しかし、あまりにもタイミングが良すぎる気がする。
本来であれば国に戻り巨龍についての報告を済ませている最中のはずだ。
騎士団長といえば、王立騎士団の最高責任者。
いくら自身の得物の強化を頼むとはいえ、公務を遅らせてまでするものなのだろうか――。
「……」
……まあいい。
俺の目的はアーシャにかけた魔法が、しっかりと効力を継続しているかの確認だ。
万が一にも彼女の記憶が戻ったら、後々面倒なことになりかねない。
――アーシャは俺の正体に気付いている。
そして口封じのために俺は彼女を犯したのだ。
それでも彼女の強い心は折れなかった。
俺に屈そうとせず、最後まで俺を受け入れなかった。
彼女に仕掛けた『氷の微粒子』の仕掛けは、まだ未完成であることは予測していた。
ブッカの時のように、ふとしたきっかけで予想外の事態が起きる可能性も大いにある。
俺はこの街を支配する。
そのための不安要素は早めに摘んでおいたほうがいい――。
「ああ、見えましたね。あの紋章店も俺がまだ新米騎士だったころからある店です。ギルド本部のデウス殿に紹介されて、ここに来た日のことを思い出しますなぁ」
ガイアスの指さす先にブラスタル紋章店の看板が見えてきた。
窓からは店内の様子が見て取れる。
「お、運が良い。アーシャは店にいるようですね」
「……ええ」
俺は腰に差した曲刀の位置をそれとなく確かめる。
ガイアスがいくら手練れの騎士団長とはいえ、俺が遅れを取ることなどあり得ない。
だが警戒を怠らないことは『善』だ。
俺は過去に滅ぼされた頭の悪い魔法使いとは違う。
隠すべき能力は隠す。
力とは、見せびらかすために存在するのではない。
暖かな日差しが降り注ぐ故郷の丘の上でも――。
――俺の冷たい心の氷は、溶かされることなどないのだから。




