04 『アーシェ・ブラスタル』
「あら、おはようアーシェちゃん。今朝も早くから頑張るのね」
店の前で注文品を整備中に声を掛けられ、ふと我に帰る。
最近はいつもこんな調子だ。
本当にどうしてしまったのだろう、私は。
「おはようございます、ルシルおばさん。これから市場ですか?」
笑顔を取り繕い、動揺を隠すようにそう答える。
いつも早朝から市場に仕事に向かうルシルおばさん。
この時間に声を掛けられるのはいつものことなのに、どうしてこんなに心が絞めつけられるのだろう。
「? 大丈夫? なんだか最近顔色が悪い気がするけど……」
「ええ、大丈夫です。ちょっと仕事のしすぎかも。欲張って注文を受けすぎちゃったので」
軽く舌を出し微笑みを返す。
大きな声で笑ったルシルさんは、そのまま手を振り丘を下っていった。
また1人残された私は手を休め、物思いに耽る。
ここ数日、何かを思い出そうとするたびに記憶が飛んでいることに気付いたのは昨日のことだ。
兄のレグザと長年親しくさせてもらっているテレミウス伯爵家には腕の良い医者がいたはず。
何度か診察してもらおうと思い立つが、その度になぜか思い留まってしまう。
「うーん……。なんでだろうなぁ。最近頭痛もひどいし……」
こめかみを押さえ軽く唸る。
今までにこんな症状を感じたことなど一度もない。
重戦士として死地で活動していた頃も、紋章師としてこの店で働き始めてからも。
……そういえば、兄のレグザも同じようなことをぼやいていたっけ。
いつだったか、まるで生気でも吸い取られたような目で帰宅してきた日があった。
何を聞いても生返事が返ってくるだけ。
ギルドで何かあったのかと思ったが、兄の仕事には口出しをしない決まりだ。
次の日にギルドを休み、翌日には普段どうりに戻っていたから気にもとめなかったのだが――。
「……疲れているだけかしらね。さあ、早くこれを仕上げてしまわないと……」
頬を軽く叩き、意識を集中する。
残りはこの刀身に紋章を刻み込むだけだ。
特殊な素材でできている筆を手に、私は念じる。
筆に刻まれた紋章が光輝き、私は『技』を発動する。
『紋章技』――。
紋章師に与えられた、武具に命を吹き込む『技』――。
まるで機械のように私の手は動き出す。
刀身に描かれた古代文字が数珠繋ぎのように羅列していく。
光を帯びた文字は金属に染みこむように溶け込んでいく。
「これでよし、っと」
ものの数秒で紋章を刻み込んだ私は、注文品の小剣を持ち上げ太陽の光に当てた。
出来栄えは上々――。
これならばクライアントも納得してくれるだろう。
小剣を置き、その横にある具足に視線を向ける。
今日はこれでラストだ。
さっさと終わらせて納品に向かい、その足で昼食の買出しも済ませてしまいたい。
私は筆を手に、もう一度念じ始めた。
◇
無事クライアントに納品を終え、昼食を済ませた私は店のカウンターでウトウトしていた。
今日はお客も少ないせいか、やけに眠い。
ここ数日は激務だったのだ。
今日くらいは居眠りしてもばちは当たらないだろう。
「んん……」
瞼が閉じていく。
まどろみが私の全身に襲いかかる。
――はっと目を覚ます。
辺り一面、真っ白な世界。
ここは、夢の中だ。
私は完全に眠ってしまったのだな。
真っ白な空間の先に誰かがいる。
1人ではない。
5人……、10人?
足音も立てずに、私の元へゆっくりと歩んでくる。
誰だろう……。
私はこの人たちを知っている……?
いつの間にか、私の周囲に集まった10人のひと。
何故か皆、奇妙な仮面を着けていた。
顔を隠さなければならないその『意味』はなんだろう。
これは夢だから、そんな意味は存在しないのかもしれないが。
男のひとりが私に手を伸ばした。
――男?
何故、私はこのひとを男だと認識したのだろう?
その手を振り払う。
が、別の男にその手を掴まれてしまう。
声を出そうにも、真っ白で無音の空間には音が通らない。
男達の手が次々と私に伸ばされる。
夢だと分かっているのに、徐々に私は恐怖する。
私を取り囲む、仮面姿の男達。
白い世界――。
無音の空間――。
これと似たようなことが、以前にも起きた気がする。
氷の檻に囚われ、悪魔のような笑みで私に手を伸ばした『そいつ』は――。
男達が私の全身を弄ぶ。
怖い、怖い、怖い――。
夢なのか現実なのか。
私の身体は、この恐怖を覚えている――。
男達の仮面が一斉に取り払われた。
その先に見えたものは――。
「……!」
目を覚まし、辺りを見回す。
誰もいない店内。
私は全身に冷や汗を掻いていた。
「……夢……」
額の汗を拭い、大きく息を吐く。
まだ鼓動が収まらない。
なんて夢を見てしまったのだ。
仮面の男達に犯される夢なんて――。
「……あれ?」
また、記憶が飛んだ。
確かにさきほど、仮面の男達の素顔を見たはずだ。
どうして今見た夢を忘れてしまっているのだろう。
思い出そうとこめかみを押さえると、軽い吐き気と頭痛がした。
まるで『思い出すな』と脳が命令を下しているみたいに――。
「……駄目ね。やっぱり疲れているんだわ……」
そう呟き立ち上がった私は店の扉を開け、『CLOSE』の札を捲った。
今日はもう店をしまい、ゆっくりと身体を休めよう。
明日にはきっと、体調も戻るだろう。
そうしたらまた、別の注文品を仕上げないといけない。
――紋章師アーシェが去ったカウンターの上には、一粒の氷の結晶が煌いていた。




