03 『フィメル・シークレット』
生徒らが寝静まった夜。
私の横には静かに寝息を立てているクレルの姿があった。
そっと胸に触れ、彼の鼓動を感じ、幸福を噛みしめる。
彼は今夜も私を抱いてくれた。
優しく包み込むように、私の全身を愛撫してくれた。
「クレル先生……」
起き上がり、彼の寝顔を見つめる。
たったそれだけで、私の心は色めき立つ。
本当に、彼に恋をしているのだ、私は。
そっと頬に手を触れる。
氷のように冷たい彼の顔。
その感触が心地良くて、つい笑みを零してしまう。
明日の午後には《巨龍種》の生息しているアービット鉱山へと向かわなければならない。
世界中から猛者を集め、最大規模の合同クエストとなった『巨龍種討伐クエスト』。
そこに技能開発科の生徒を連れ、クエスト登録をした際には、困惑した受付嬢に何度も確認された。
彼には彼の考えがある。
私にはそれが何なのかは分からないが、きっと彼ならば成し遂げてくれる。
『技』の才能が開花した彼ならば、きっと――。
彼の頬に軽くキスをし、ベッドから起き上がる。
彼の寝顔を見つめていたら、何だか身体が火照ってしまった。
これでは眠ることもできない。
外で少し頭と身体を冷ましてこよう。
◇
宿を出、灯籠の明かりを目印に夜道を歩く。
あちらこちらにある酒場から笑い声が聞こえてくる。
きっと明日の出発に向け、前祝いをしている戦士達なのだろう。
軽く視線を向けると、酒場の入り口に立っている男と目が合った。
あれは、昼間に会ったクレル先生のギルドの同僚の――。
「……お前は……あいつの女じゃねぇか」
訝しげな表情で私の元に寄ってくる男。
確か『グラッド』という名前だったと思い出す。
「こんばんは。先程はご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした。私はフィメル・シークレットと申します」
丁寧にお辞儀をし、彼に名乗る。
少しだけ心臓の鼓動が早まるのを感じた。
嫌なイメージが頭の中に浮かんだが、まるで氷が溶けるかのようにかき消された。
今のは一体――?
「へぇ……」
全身を嘗め回すようにグラッドは私に視線を向けた。
強烈な悪寒が身体中を駆け巡る。
声が、出ない――。
これは、『恐怖』――?
「……けっ。やっぱ女は『技』の力に秀でている男に擦り寄るもんなんだな。あのクソ野郎に女が出来るなんざ、当時は想像もつかなかったけどな」
地面に唾を吐き、私の周りをゆっくりと歩くグラッド。
私はぎゅっとスカートの裾を握り締める。
一体、どうしてしまったというのだろう、私の身体は――。
思い出せない。
何か、とても怖い思いを以前に――?
「く、クレル先生のことを……! 悪く言わないでください……!」
かすれた声でそう反論する。
掌にはぐっしょりと汗を掻いていた。
酷い頭痛がする。
「ああ? てめぇも俺に指図をする――」
まさに今、私の胸倉を掴もうとしてきたグラッド。
しかし別の手がその手を掴んだ。
「やめておけ、グラッド。クエスト前に問題を起こしてどうする」
声のしたほうに視線を向けると、フードで顔を隠した人物がグラッドを窘めていた。
この声は、女のひとの声――?
「ちっ、ウルせぇなぁ。てめぇも俺に金で雇われた傭兵だろうが。《巨龍種》をぶっ殺したら、次はてめぇを殺してやろうか? ああ?」
怒りの矛先をフードの女に向けたグラッド。
今になって、彼が酒気を放っていることに気付く。
もしかしたら昼間に出会ってからずっと、酒場で酒を煽ってのかもしれない。
「もちろん私らは傭兵だ。金で雇われた分の仕事はこなす。しかし、契約が終了したそのときは、お前は私の契約主ではない。つまり――」
いつの間にか短刀を抜き、月明かりに照らしたフードの女。
刃に映し出されたのは酒に呑まれているグラッドの姿だ。
「……ちっ。興が醒めた。飲みなおすぞ」
そう言い残し再び酒場へと戻っていったグラッド。
その後姿を見送り、私は安堵の溜息を吐く。
「あ、ありがとうございます。ええと、その……」
「礼はいい。だがな、こんな夜中に女が1人で出歩くのも悪いと思わないか。そんな軽装では襲われても文句は言えまい」
「あ――」
それだけ言い残した女は、グラッドと同じ酒場へと向かっていった。
再び静かになった酒場通り。
胸に手を当て、何度か深呼吸をする。
だいぶ気持ちが落ち着いてきた。
そしてふと彼女の言葉を思い出し、自身の姿を見返してみる。
ネグリジェに、軽く上着を羽織っただけの軽装姿。
確かにこの姿で酒場通りを横切るのは勇気のいることだ。
「……はぁ。火照りを醒ますどころか、余計に目が覚めてしまいました……」
大きく溜息を吐き、今来た道をそのまま帰る。
今夜起きたことはクレルには黙っておいたほうが良いだろう。
彼とグラッドの間には、様々な因縁があるらしい。
クエストの前に余計な心配を掛けたくはない。
ただでさえ、生徒らのことや私のドジな性格のことで負担をかけてしまっているのだから。
上空に視線を向け、月を眺める。
この様子ならば、きっと明日は晴れるだろう。
何故かクレルは天気の悪い日には『技』を使いたがらない。
理由は分からないが、彼にとって万全の状態で討伐クエストを迎えたい。
私の役目は、生徒らの命を最優先で守ること――。
アーリアやジルはさほど心配をしていないが、ゼシカやリリィは危なっかしいところがある。
クレルも気にしているようだったし、私が常に気を張って彼女らを守らなければ。
「ふふ、でも彼女らにそんなことを言ったら、笑われてしまうかもしれないですね……」
宿に戻り、ひとり静かに笑ってしまう。
本当にいい子達ばかりだ、技能開発科の生徒らは。
いつかきっと、私の受け持つ戦術科の生徒達も、私を受け入れてくれるだろうか。
このクエストを成功させ、訓練校に戻ったその暁には――。
フィメルの目に決意の色が浮かぶ――。




