02 『レイノ・ミュンヘン』
本日の『裁縫技』の授業を終えた私は、その足で旧校舎へと進む。
クレルと技能開発科の生徒、そして戦術科のフィメルがギルド本部へと向かった後。
私に託された仕事は旧校舎の整備と設備増設のための見積もり報告書を作成することだった。
これはミュンヘン家の令嬢である私がやるべき仕事ではない。
しかし、私は率先して自ら足を運び、旧校舎を技能開発科専用の施設へと生まれ変わらせるために動き始めたのだ。
きっとクレルらは《巨龍種》を討伐し、武勲を挙げ、この街に戻ってくる――。
彼らの名は一躍、世界に広がるのだ。
クレルが世界を手中に収めたそのときは、私は彼の正妻となる。
これは彼との約束だ。
どれだけ他に女を作ろうが、その座を許すわけにはいかない。
技能開発科の教室の扉の前へと辿り着く。
そっと扉を開け、誰もいない教室に入る。
教壇の前にはたった4つの机。
『技』の才能に満ちた4人の生徒。
「……」
私は机の一つ一つにそっと手を触れる。
わずかに感じる、彼女らの『技』の波動――。
天才とは、生まれながらにして力を宿していると、小さいころから教えられてきた。
ミュンヘン家の1人娘として生まれた私には、脆弱な『技』しか身についていなかった。
初めてクレルに出逢った時。
私は長年感じていた劣等感から解放された。
アースガルド家という大家に生まれながら、全く『技』の力を身に付けていなかった青年。
よもや私以下の存在が、この世にいようとは思いもしなかった。
彼がこの街に来て、私は救われた。
そしていつからか、私は常に彼のことを考えるようになった。
「……クレルお兄様以上にゲスなのは、私のほうよね……」
誰もいない教室でそう呟く。
現に彼がギルドでいじめにあっていたことも知っていた。
テレミウス家ではメイドや夫人から嫌がらせをされていたことも。
街の人間全てから白い目で見られていたことも。
その光景を目にするたびに、私は安堵の溜息を吐いた。
彼がいなかったら、その災厄は私に降りかかっていたのかもしれない。
ある日、テレミウス家のメイドのシイラと訓練学校に足を運んだクレル。
そのとき、私の心は色めいた。
彼がこの街に来てから3年間、直接話したことなど一度も無かったのだ。
しかし、すでに彼は人外の力を得ていた。
『氷の魔法』――。
古よりこのクルセイドに伝わる、伝説の力にして『悪魔の力』――。
小さいころから読んでいた童話に、必ず登場する『魔法使い』。
『技』の力に乏しかった私は、その未知なる力にずっと憧れていた。
だが、この世界で『魔法』は禁忌とされ、発覚次第、政府より命を狙われてしまう。
強大な力は世界を滅亡させるとも、新たな世界を切り開くとも言われているが、『魔法』だけはこの世界から断絶させようと世界各国が協定を結び法律化されているのだ。
クレルはすでに『異端者』となった。
だから彼は力を隠し、成り上がろうとしている。
『魔法』の力ではなく『技』の力として――。
「クレルお兄様……」
彼の名を呼ぶ。
私はあの時から、彼に身も心も支配されてしまっている。
彼が私に使用した『魔法』――。
私の脳内を犯し、性的感度を高めるという麻薬――。
クレルが使用している教壇に頬を付け、彼のことを想う。
身体の芯が熱くなり、我慢が出来なくなる。
「早く……帰ってきてくださいませ……。レイノはもう……我慢できません……」
身体が、心が、クレルを求めている。
私と同じ『無能者』で。
私の初恋の人で。
私を壊した『異端者』である彼を――。
◇
旧校舎の見積もりを終えた私は、ゆっくりと街を歩く。
クレルの右腕として、彼が見落としてしまいそうな些細な情報も、私がしっかりと把握するのだ。
問題は彼の女癖だが、こればかりは私にはどうしようもない。
それ以外の部分で、早めに摘める芽は摘んでおくに越したことはない。
ふと加工屋の前で足を止める。
『アーロルド加工店』。
この街でいくつかある加工屋のひとつで、うちにも加工した宝石を卸している得意先だ。
確かクレルは、何度かこの店の店主にも『魔法』を使用していたはず――。
「……んーっと。あれ? これはこれはレイノお嬢様。こんな時間にうちに何かご用で?」
ちょうど店じまいをしようと出てきた店主のブッカに声を掛けられる。
軽く挨拶をしてその場を去ろうとも思ったが、ふと思い留まった。
「……少し、お話を聞いても宜しいかしら」
「へ?」
きょとんとした表情でまじまじを私の顔を見るブッカ。
こんな人通りの多い場所ではまずい。
「もう店じまいなのでしょう? 店内に入れてもらえないかしら」
「へ、へぇ……」
恐縮した様子で私を店内に招き入れたブッカ。
彼は独り身で妻もいなかったはずだ。
なにかを期待するような目で私を見ているが、それを私は一蹴する。
「私に手を出したら承知しませんからね」
振り返りざまに鋭い目つきでそう答える。
慌てた様子でなにか言い訳を言っているが、鼻で笑いそれを聞き流す。
雑然とした店内。
カウンターには空けたウイスキーのボトルが放置されている。
適当な椅子に腰を掛けた私は、お茶を用意しようとしていたブッカにいくつか質問をした。
最近の体調はどうなのか。
なにか変わったことはないか。
「……別に、なにもありませんがね。ただまあ、最近寒さが増して、厚着をするようにはなりましたが」
そう答えたブッカは上着の襟を立ててみせる。
確かに近頃は急に寒さが増した気がする。
お父様にそのことを伝えたら、むしろ普段より気温は高いくらいだと嘲笑されたのだが。
「質問はそれだけですかい? 何か温かいものでも用意しましょうか」
「いいえ、いらないわ。最後にもう1つ。クレルお兄様についてなのだけれど」
一応、彼の秘密に勘付いていないかを確かめておく。
万が一、魔法による記憶操作が解除されていたら大変なことになってしまうから。
「……はて? クレル……? 誰ですかね、そいつは」
「!!」
ブッカの言葉に凍りつく。
クレルを――覚えていない?
そこまで『記憶操作』をしたという報告は受けていない。
これは、まさか――。
「……あ、いや、俺は何を言っているのですかね。クレル……クレル……。ああ、クレル・アースガルド。俺らの街から英雄が生まれるかもってときに、俺はいったい何を……?」
頭を抱えながら半笑いでそう呟いたブッカ。
完全に忘れていたわけではないようだ。
しかし、これは恐らく副作用の一種だろう。
クレルが帰ってきたら忘れずに報告しておかなくては。
「きっとお酒の飲み過ぎね。今夜は早めに休みなさい」
そう答えた私は椅子から立ち上がる。
まだ頭を抱えているブッカを尻目に玄関へと歩を進めた。
「……クレル……そうだ、あの野郎……。無能者のくせして、急に力に目覚めたからって調子に乗りやがって……」
ブッカの呟きに足を止める。
そして振り返り、店内に向かい足早に進んだ。
そして――。
バチン――!
私はブッカの頬に平手を打った。
私の思ってもいない行動に目を丸くしたブッカ。
そのまま彼を睨みつけ、再び玄関へと向かった私。
「れ、レイノお嬢様――」
背後からブッカの声が聞こえたが、そのまま店を出た私は屋敷へと向かう。
道行く人々の視線が私に当てられているが、そのまま中央通りを足早に歩いていく。
何をそんなにイライラしているのだろう。
ブッカがクレルのことを『無能者』と言ったからだろうか。
……いや、違う。
身も心も彼の魔法に支配されているが、これはそういった感情ではない。
今でも私は、当時のクレルのことを好いているのだろうか?
もしも彼が魔法の力を失ったとしても、それでも私は――?
「……クレルお兄様……」
思惑と初恋の狭間で蠢く、少女の心――。




