光を見つけて
エルダ、ファーケウスと別れ、
新たにエイベルを加えた一行は、日が沈みきる前に西の国へたどり着きたいと思いセントコーリスを行く。
しかし草原は明らかに何か異質なものが覆っているような、奇妙な黒雲に包まれていた。
霧のように遠くは見渡せず、汚い茶色の土もどこか乾いており枯れ草もぽつぽつという感じでしか生えていない。まだ夕方のはずなのに、時間感覚まで狂わせていくような濃霧に一行の足取りは重い。
道中エイベルにはこの少年、ソレイルの正体の事やお供のヴェルの特殊な身体事情、そして魔法の原理などをフィーディが教えながら歩んでいく。
一通りの説明が終わって、エイベルは額に巻いていたバンダナを絞めなおしながら肩が凝る話だな、なんてぼやきつつため息交じりに進行方向を見ては呟いた。
「でもよォ、本当にこの先に西の国なんてあるのか不安になってくる霧だぞ、これ。」
「オレがこっから来たんだからあるにきまってるだろっ!」
「行けども行けども霧ばかりで何も見えてくる気配がしないぜ、王子様」
ヴェルを先頭にソレイル、フィーディにエイベルと男達が前を歩き、テフとヴィクトリアがその後ろから付いてくる形で暗い草原を進んでいたが、エイベルが肩を竦めては小馬鹿にしたように言うのでソレイルが食って掛かっては半ば口論と化していた。
それを余所に不安げな顔をするテフは、地面を見ながらぽつりと呟く。
「…暗い…それにどことなく怖い気がする」
「テフ、大丈夫?」
「うん。大丈夫。なんかこう……子供が夜を怖がる感じと似ているの。この場所。」
「そう?私気味悪いな~とかそれくらいにしか感じないけど…」
「……得体の知れない何かが、……ううん、もしかしたらこの雲、国中の人達の噂の塊…?」
「え?!」
「お婆ちゃんが言ってた’魔法’は、’信じる心に左右される’…この国の人達って、みんなこの草原の事を怖がって近寄らないよね?」
「う、うん」
「皆それを’当たり前’だって思ってる。それって、疑う事なく信じ込んでるってことじゃないかな」
「あ!なるほど!じゃあこの雲、皆が言ってる噂が具現化したものってこと?!」
「考えられなくはない、よね?」
「うん!すごいテフ!…でもわかったところで、どうすればいいんだろ…うーん、このままじゃお先真っ暗だ」
二人の言葉を耳だけそちらに向けて聞いていた男性陣は足を止めて振り返る。
「なるほど、黒雲だけにお先真っ暗ってか!ハハハ、中々いい駄洒落じゃねぇかヴィクトリア!」
「笑ってる場合じゃなーーーい!!」
一行は中々賑やかだが、辺りは日の差し込む気配すらない。ソレイルとヴェルは能天気そうなエイベルの様子にため息をつく。
「原因がわかったかもしれないけどさ、これじゃあ野宿もままならないんだぞ!あんたら兵士だろ?こういう時にどーするかとか訓練うけてないのかよ!」
「まぁ受けてるっちゃあ受けてるが…方位磁石も地図も役にたたねぇんじゃ対策も何もねぇってもんだぜ王子様。」
そう、エイベルが持っていた方位磁石も先ほどから一歩進む度にぐるんぐるんと針が回り、方位を差す仕事を放棄していた。
「まったく、道具も部下も肝心な時に役に立たないんだからッ!」
「んだと!?」
「エイベル!王子様に食って掛からない!…ごめんなさい、野営や野宿は得意でも、この深い霧の前じゃ役に立たないのよ。この霧じゃあどこから敵が襲ってくるかわからないから寝るのは危険だし…」
「ちぇっ。…ああ、そうそう。オレのこと、王子様なんて呼ばなくていいからな!人に聞かれたらめんどーだし。」
「おっじゃあこれからは気軽にガキ扱いして良いって事だな!」
「そーは言ってないだろこの無礼者が!」
エイベルとソレイルはそれぞれいがみ合ったり足を蹴ったりと低レベルな攻防をしながらも歩くその器用さに、フィーディは尊敬の眼差しと呆れのため息をつく。それに気付いたヴェルはぽんぽんとフィーディの肩を叩いた。
「ソレイル様がはしゃぐのも久しい。同レベルの友達が出来て嬉しいんだろう、心配せずとも大丈夫だよ」
恐らくヴェル本人に悪意は全くないが、暗にエイベルが子供と同レベルだと言っているようにも取れるその言葉にフィーディは乾いた笑いを漏らした。
ただ確かにこのまま闇雲に歩いても体力を消費するだけで状況打破は難しいだろう。そこでフィーディは何か閃いたようにぽんと、と手を打つ。
「そうだ。ここはテフちゃんのお婆さんの言葉を信じて一つ、俺の話ノってみない?」
「おーなんだなんだ、良い案あるのか?」
「わたしのおばあちゃんの言葉?」
「ああ。さっき言ってたテフの言葉を聞いて思い至ったわけだが…君のお婆ちゃん、’今使われている言語でも多かれ少なかれある’、魔法は信じる心に左右される’って言ってただろ?それを試してみようと思う。…案を言ってもいいかな」
「おうおうじゃんじゃん言ってけよ!無策よりなんかあったほうがいいぜ!」
エイベルの言葉に皆の視線がフィーディへ向く。さあ早く、とその視線がフィーディを煽る。
「一言で言えば、暗示。思い込みってやつさ。目には目を、歯には歯をってね。
この霧の先に西の国があるんだ、絶対に。とか、そろそろ霧が晴れて月明かりが見えてくる、とかって全員で思い込む、ってのはどうかな。一人の力じゃ微々たるものでも、全員が合わさればこの一筋の光くらい見えるかもしれない」
「………な~んか期待してたのとちげぇな」
「何を期待してたっていうんだ。この雲をパーッと一気に晴らす方法か?無茶言うなよ…」
「でもまぁやってみようじゃないか。今から誰一人として、西の国なんてあるのかとか、この霧は晴れるわけがないとか、そういう否定的なlことは考えないようにするんだ。」
「ふふ、なんかみんなの心が一つになるみたいだね。」
テフの可愛らしい笑いと和む言葉に一同の溜飲が下がる。
いっちょやってみるか、と一行は顔を見合わせて頷き、重かった足取りが嘘のようにずんずんと進んでいく。
数十分経ったのか、はたまた数時間経ったのか。
霧は空を隠し、視界を遮り、質量は無くとも一向のやる気を削いでいく。しかし先ほどの作戦があるからか、足取りが重くなることはない。ずんずんと霧の中を突き進んでいく。
誰一人として弱音は吐かず、むしろこの先に待っているものに対して心膨らませているようにも見て取れるほど、じゃれあう会話は楽しそうだったのだ。
(主にエイベルが皆を励ましたり会話を振ったりとムードメーカーをやっていた。ソレイルは煩いやつだと悪態をつきつつ気づかなかったが、これが彼なりの心配りなのを他の人はわかっていた)
するとヴェルがごしごしと目を擦ってはよーく目を凝らし、先を見つめる。その後ゆっくりと顔を上げてみれば、そこには霧がかってぼんやりと光る、光の球。
「!皆、あれを見ろ!あれはきっと星か月だぞ!」
指さす先は霧でぼやける明かり。輪郭線こそはっきりしないが、その暖かな明かりに、これが月か星かということは誰にでもわかった。
「よっしゃあ!西の国までもう一息だ!ガンガン行くぜ!」
「おー!エイベル、がんがん突き進んじゃって!」
「バーカ、皆で行くんだよ!この雲抜けて、西の国へな!」
ニッと良い笑顔でエイベルが笑えば、つられてヴィクトリアも笑顔になる。皆の顔にも、疲労の色は見えない。
途端、足が踏み込んだ地面の感触が変わった。ジャリ、と細かい砂のようなものを踏んだのだ。
ソレイルがしゃがみ、黄色っぽい砂をつかむとそれはサラサラと音を立てて指の間から落ちていく。
「…!これ、最東の砂漠シャルクサハラの砂だ!」
「え?!お前、わかんのかそれ?!」
「西の国の地面は、地方によって砂質が違うんだ。この少ししっとりとしていて、決め細やかだけれど西の地方よりは大粒な砂、間違いない。シャルクサハラだ。」
「やったぜェ!!どーよ、信じるものは救われる、だ!」
エイベルがガッツポーズをすれば皆それぞれ笑い声をあげた。うん、と皆互いを見て頷きあえば、ぼやけた明かりに向かって走り出す。
段々と霧が薄くなる。ぼやけていた光が徐々にその輪郭を現していく。
先程まで風も何も感じなかったのに、風の音がして、一行の間を冷たい夜風が通る。
皆が走るその足が一線を越えた瞬間、一気に視界が開けた。雲を抜け、広大な砂漠に出たのだ。
一面大小の砂山、深青の宵闇にぶちまけられた星と、大きな満月。
そして遠くにそびえるように見える、要塞のような城。
「ようこそ西の国へ!あの遠くに見える城が西の国の首都、ハディドカスル。まぁ皆めんどいから西の国の首都って呼ぶほうが多いけどね。」
ソレイルが解説しているが皆視線は西の国の首都に釘付けだった。何しろソレイル以外は西の国の領土に入ったことすらないのだから感動やらなんやらで心や頭が一杯だった。
「ほんとに来れちゃった、西の国。…お婆ちゃんにどんなお土産もって帰ろうかなぁ」
「兄さん、どうしよう私今とっても感動してる…!」
「俺もだよヴィクトリア。どこまでも広がる荒涼とした砂漠…、きっと遺跡の一つや二つあるに違いない、調べ甲斐があるってもんだよ!」
「ちょっと目的が脱線してるわよ!」
「は~、ちょっと空気が砂混じりなんだな。こりゃあ何か布でも噛んでないと喉やっちまいそうだ。」
「そう言えば私もこちらの領土までは来たことがなかったな。…ここがソレイル様の故郷なのですね。」
「ああ。…オレが取り戻したい故郷なんだ、ここが」
皆がしみじみと感想を述べたりしていた時、少し遠くの砂山から土煙を上げて何かがこちらへ向かってきていた。
「あれは馬?こっちにくるよ!」
「違う!あれはラムルサマク…別名、砂魚。らくだや馬では足が取られやすい砂地での移動手段として西の国では使われているが…野生の砂魚は酷く獰猛で手懐けられるのはごく一部の人間に限られている。」
「魚ァ?!あれがか?!魔物なんじゃねーの?!」
「待ってエイベル、あれよくみると誰か乗ってない?」
「バカ魚に乗れる人間なんているわけねーだろ!」
「いやヴィクトリアの言うとおりだ、誰か乗っている!しかも一匹ではない、大勢だ!」
ヴェルの発言に皆それぞれ身構える。ヴェル、ヴィクトリア、エイベルを前にテフ、ソレイル、フィーディはその背に回る。
徐々に近づいてくる砂煙は大きくなり、まるで砂の波にも見えんばかりの勢いでこちらへ向かっていた。
先頭に立っていたのは赤茶の長い髪に色んな装飾を施し、それを夜風に靡かせている男。魚の尖った背びれを背もたれに寄りかかりながら、魚の轡に繋がれた皮ひもを操っている。
一行の近くにやってきた砂魚の一群は一定の距離を保って一行の前に対峙した。
「ヒュ~!東からのお客様とは、こりゃまためっずらしいねェ~!」
「……すまないが、私達は東からの旅行者じゃない。西の国を旅している傭兵団だ。運悪くこの草原に迷い込んでしまってね。」
「あららそうなのォ。…でもねぇ、何年もここの見回りしてるオレには、そんなの嘘っぱちに見えちゃうんだなぁこれが。…西の国じゃそんな真っ黒な格好しねぇよ、おっさん。」
赤茶髪の男は酷く口調は軽いが、所々に垣間見える本音がただの調子付いてる男ではないと感じさせていた。
「この格好は、仕方ないんだ。…私は病を患っていて日に弱くてね。」
「ハッハァ!それなのに傭兵やってんのか!そりゃあ~相当食い扶持に困ってんだなァ!」
魚の上でげらげらと腹を抱えて笑う男に周りの取り巻きも一緒になって笑う。ヴィクトリアがカチンときたらしいがエイベルがその手を掴んで無言で制す。ここは下手に口を出さずヴェルに任せようと目が訴えていた。ヴィクトリアは苦虫を噛み潰したように顔を顰めるがエイベルの手を振り払って食って掛かるのを止める。
「……ではそんなか弱いおじさんと戦ってみるかい?盗賊団の首領」
「盗賊ぅ?聞き捨てならねェな。オレたちゃ西の国お墨付きの斥候部隊、その名もアフアー分隊ィ!」
「ここまで騒々しくて物々しい斥候部隊なんて聞いたことがないよ。…それに分隊どころか小隊はあるんじゃないか?」
「人数は多いことに越したことはねェからな!オレ様がこのアフアー分隊の隊長、アフアー・ヴェ・リカーブ様よォ!」
「別に名乗ってもらわなくても…まぁともかく、私達は西の国を回る傭兵団であって怪しいものではない。西の国お墨付きの部隊の手を煩わせることは無いだろうから、通してもらえないか?」
「おぉーっとそうはいかねェ、ちょいと待ちなおっさん。オレらはな、この辺一体を毎日見回りしてんのよ。ここらはオレらのシマ、つーまーり、縄張りってわけだ!」
「はぁ。それで?」
「自分ちのシマに変なヤツらが入って来ちまったら、そりゃあオレたちゃ困るわけよ。」
「ああ、それは気付かなくてすまなかった。今日のところは町へ戻るから、勘弁してもらえないか?」
「ちょっと!あれどうみてもただの盗賊じゃない!やってることが賊そのものだわ!」
「シッ、ここは年の功、ヴェルに任せようぜ。俺達が出張ったところで話がややこしくなるか、乱闘騒ぎになるかの二択しかねぇだろ」
ヴェルの少し後ろでエイベルとヴィクトリアがこそこそと耳打ちしあう。そこにシーッ!と人差し指を立てたフィーディが割り入り会話を止めさせた。
「とっとと東へお帰り願おうかねェ、自称傭兵団よォ」
「だから違うと言っているじゃないか」
「オレ様の目は誤魔化せねェ!まだ減らず口叩くようなら……魚達の餌になってもらうしかねぇなァ!!」
アフアーが手綱を引き、砂魚が大口を開けて突進してくる!
「ヴェル!」
「砂塵よ囲え!!」
ヴェルが両手を砂に突込めば腕は黄色と黄緑色にラインが走る。瞬間、風で砂が舞い上がり壁を作ってアフアー達を取り囲んだ。
「ぐあァっ!!前が見えねェ!!」
アフアーの悲鳴が聞こえたと同時にばさりと砂地の上に落ちた音がした。どうやら魚から振り落とされたらしい。
魚は風を避ける為砂に潜り、飼い主が居なくなってもこちらへ早いスピードで迫ってきた。鋭い歯がヴェルの腕にめがけ飛びつく!
「石腕!」
今度は灰色のラインが走るヴェルの腕。石になったヴェルの腕に噛み付いた砂魚はあんぐりと口を開けたまま砂地に倒れた。どうやら石を噛むのは相当歯にくるらしい。
びちびちと海から上がった魚のように跳ねる砂魚に一行が近寄る。砂塵の囲いはまだアフアー達を足止めしていた。
「ヴェル、これに乗って逃げちゃおう!」
「しかし運転なんてできんぞ!?」
「やってみなくちゃわからない!それに、やるしかないでしょ!」
「…、そうだったな。迷っている暇は無い、か!」
ヴィクトリアの提案に皆戦々恐々だが背に腹は変えられない。手綱はヴィクトリア、背びれに沿うように皆掴まり、大きな魚の背に乗る。
「掴まっててよー!振り落とされないよーに!」
「ヴィ、ヴィクトリア、お手柔らかに~!!」
「安全運転で頼むよヴィクター!」
「なぁに悠長なこと言ってんのよバカ兄!全速力でぶっ飛ばす!」
ヴィクトリアは手綱を思いっきり引き込むと、魚は驚いたように砂漠を馬のようなスピードで泳ぎだした。皆背びれや鱗に掴まり必死にその速度に耐える。
ふと、ヴィクトリアは右後方にいるソレイルに言葉を投げかけた。
「で!これからどこ行くのさソレイル!」
「南西!南西の秘境へ!近くの町じゃヤツらにすぐ追いつかれちゃうだろうしさ!」
「秘境ぉ?!」
「そう!砂嵐が守る、秘境の町!」
「行った事あるの?」
「地図で見たことある!」
「……とりあえずそこ目指すわよー!」
「おいおいマジで言ってんのか!」
行き当たりばったりな案に流石に驚きを隠せないエイベルだが、今はともかくあのアフアー一味から逃げることを優先しなければいけないのはわかっていた。
「きゃぁ~~~早い~~~!」
「うあああこれはこれで酔いそうぅうぅ!」
背びれの後ろ辺りではフィーディとテフがそれぞれ違うテンションで悲鳴を上げている。
(テフはどちらかというと楽しそうだが、フィーディは勘弁してくれといった感じである)
「前途多難すぎるんじゃねぇか?神様よォ」
辺りを見渡すついでに、エイベルは満月を見上げた。自分達を導いてくれた、偉大なる光。エイベルの愚痴な呟きは、魚が切る風の音にかき消された。
冷たい夜風はエイベルのバンダナを靡かせて、砂と魚と運命を運ぶ。
to be continued...