ゆうやけ
……寒い。
いくら初夏に近づいた5月だから、とはいえ、窓一枚ないのはさすがに厳しい。
そう。教室は他の吹奏楽部員が使っているから空きがない。
つまり、万年補欠の私に割り当てられるのは、この間少年が派手に窓を割ったこの教室しかない、ということになる。ブルーシートでも貼ってくれればまだましなんだけど、それすら手間と経費を削減したがる教師たちには面倒なことらしい。
今日も窓からは、サッカー部の練習がよく見える。
「あ、あの人……」
そして、この窓を割った張本人も。
あ。
たまたまだと思うけど、こっちを向いた彼とばちっと目が合った。
ほんの一瞬。
にこっと、彼が笑った気がした。
ばっと慌てて目をそらす。
心臓のばくばくが止まらない。
な、な、なによ。なに?
別にこの間ちょっとしゃべったからって。私があの人を好き?ないないない。そんな少女マンガ的展開になってたまるか!あるわけない。あるわけない。仮に百歩譲って好きになったとしても相手が私を好きになってくれる可能性はゼロに近い。じゃなくてゼロ。じゃなくてなんで仮定が私があの人を好きってことになってんの?意味不明だこの頭!
「ゆあ。次だよ。」
教室の扉からひょこり、と顔を出した部活仲間に呼ばれ、私ははっと我に返った。
ゆっくりと席を立つ。
うちの部活は実力者ごとに階級が分かれる。一番上がコンクールメンバーレギュラーのSクラス、次が予備軍のAクラス、次が、Bクラス。一番下が、私のような自主練組。
それを分けるのが定期的に個人対先生で行われる昇格試験。今日こそ受からなきゃ。
「がんばれよ。」
「もちろん!」
トランペットを持った彼に笑顔を向けて、私は先生のいる教室へ向かった。
「………」
わかっては、いた。
私はまた、ダメだったんだ。
「ゆあはもう少し、肺活量上げて音量上げないとな。瞬発力もない、音程も定まらない。高校初心者にしてはよくやってると思うよ?でもなー、ここ通れないとAクラスは愚かBクラスにも進級出来ないぞ。」
わかっているだけに顧問の先生の言葉が耳にいたい。
「……はい。」
あとすこしなんだ、頑張れよ。そんな見せかけだけの優しい言葉は、もう聞こえていなかった。
いつもの教室に戻ると、日はすでに傾き、オレンジ色の暖かい夕日が斜めに入ってきていた。余計に切なくなって、堪えていた涙が堰を切って溢れ出す。
誰も悪くない、それがわかっているだけに苦しい。進めない自分が悔しい。情けない。
抜け出すためには練習するしか残されていないのに、それすら逃げ出してサボりたいと思ってしまう自分が憎い。
「もう、やだ……」
「なにが、やなの?」
今度こそ心臓が止まるかと思った。
声が聞こえたのは、割れた窓の向こう側。
逆光で顔がよく見えない。でもそれが彼だということは、揺れる黒髪がよく物語っていた。
「やだ、見ないでよ。」
「あ、ごめん。」
泣いているのを見られたのが恥ずかしくて、咄嗟に後ろを向いてしまった。彼は大人しく背を向ける。でも、立ち去る気配はない。
「どうした?」
背を向けたまま、彼は尋ねた。
あんたに答える義理はないわよ、そう強がってやるはずだったのに。
「また、だめだったの。昇格試験。」
気付くと、素直に答えている自分がいた。
「いつも、基礎的なことが出来てなくて。分かってるんだけど、癖ってなかなか直らないよねー、こんなんだからいつまでたっても自主練から抜けられないんだ。わかってる。わかってるんだよ…」
そっからは、言葉が続かなかった。
悔しい。悔しい。泣くほど辛い。上手く、なりたい。
「それが分かってるなら、あとはやるだけじゃねーの?」
「え?」
「姫城さんは、自分がやらなきゃいけないこと、よくわかってる。それなら、あとは実行あるのみじゃん。」
「そ、そんなのわかってるよ!」
「わかってる、わかってるって、やんなきゃ意味ないのも一番姫城さんが知ってるんじゃないの?自分だけで上達出来ないなら出来る人に見てもらうしかないじゃん。言われたことに傷つくだけ傷ついといてそれ生かさないなんてもったいない。それだけでチャンス潰してる。」
胸をつかれる思いだった。涙が、止まる。
「泣くくらい上手くなりたいなら、実際上手くなって見返してやれよ。それは絶対不可能じゃない。俺はそう思う。だってこれだけ頑張ってんだもん。上手くならないはずないだろ?上手くならないんだとすれば、それは練習の仕方に問題があるんだ。上手い人に聞けばいい。明確に答えてくれるとおもうよ?」
風が優しく二人の間を抜けた。
「俺は、ゆあがいつも頑張ってんの、知ってるから。」
さあて、休憩終わるし戻るか!
なんていって、彼はグラウンドに戻ろうとした。
「ちょっと待って!」
ちょっと驚いた顔をして、振り返る。
「あの、名前。名前、教えて下さい。」
……
あれ、なんかおかしいこと、聞いたかな?
「もしかして、俺の名前今まで知らなかった、とか?」
「あ……はい。」
「うっそー、てっきり知ってると思ってたー!これじゃあただの変態じゃん俺!姫城さんの名前知ってて勝手に声かけて!あーなにやってんだ俺!」
しゃがみこんでしまった。
「あ、いえべつに変態とかは、思ってない、ですけど……」
変人とはちょっと思ったかな?
「俺、州流野空。よろしく。」
「するの、くん……」
「めんどいから空でいいよ、空で。みんなそう呼ぶし。」
「あ、はい。空、くん。」
「そ、覚えといて!姫城さんっ!」
それだけ言うと、あっという間に駆け足で空くんは戻ってしまった。
『俺は、ゆあが頑張ってるの、知ってるから』
その言葉が、頭の中をリフレインしている。
私が、頑張っていると認めてくれる人がいるなら。そしてその人が大丈夫だというなら。
あと少し。自分の限界まで、頑張ってみようかな。
出会い第二弾、といったところでしょうか。
こっから少し展開を加速させたいところですね(笑)