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幕間 ~剣士宿の夕餉

 目の前のテーブルに広がる、料理の数々。川魚のムニエルに、ソーセージと根菜類のポトフ、葉物野菜を浅く発酵させたつけ合わせの皿には煮豆も添えてあり、チーズの数種盛りと、色とりどりのパン各種まで。そして、ハチミツ酒!

 出来たての、湯気を上げるそれらを早く食べ始めたいところではあったが、食前の礼を欠くわけにもいかないので、まずはお祈りからである。

(天候と豊穣を司る女神さま。陽と水と地のもたらす命の恵みに感謝いたします……)

 食堂に満ちるざわめきに包まれながら、ひととき瞳を閉じて、祈りを深める。

 この大陸では様々な自然神が敬われているが、どの神様を主に奉じるかといった点は地域や信条によって異なる面が大きい。そのため、食前の祈りはその場の各々が自らの神へ内心より捧げるものとするのが、わたしたちのような旅剣士や、あるいは宿酒場といった不特定多数の者が交わる場における、通例だった。(家庭の内や、村暮らしのような安定した関係の中では、皆で口に出して祈りを唱えることも珍しくない)

 なお、わたしの場合は、故郷の村が典型的な山間の農村だったこともあり天候の女神を奉じることが当たり前だったため、そのまま祈る対象とすることがほとんどだった。

 さて、お祈りも済んだので、と。

「いっただっきまぁーす!」

 祈りに組んでいた手をほどくと、声をあげてから料理へ目を向ける。これは祈りとは別に食卓をともに囲む者たちへと向けた、挨拶のようなものだった。

「どれから食べましょうかぁ~。師匠、取り分けしましょうか?」

「まぁ待て。乾杯というわけではないが、先に少しは()()を飲もう」

 と言って、その手の陶杯を向けてくるので、わたしも自分の杯を持って、互いのそれを軽く打ち合わす。杯の中身であるところの、これ――ハチミツ酒である。

 最初の一杯は、ハチミツ自体の甘さを濃密に残した、甘口品(スウィート)のお湯割りだった。師のいわく、旅の疲れに固まった身を癒すには最適で、栄養にも富んでいるらしい。

 ハチミツから造るこのお酒は、とても歴史が深く、一説によると人類最古の伝統があるそうだ。なにせ、原理としてはハチミツを水で二~三倍程度に薄めておくだけで発酵できてしまうからだ。(といっても素人が適当に試したところで不味いわ発酵不良で危ういわとなるため、軽々に真似すべきではないのだが……ハチミツもったいないし)

 特にこの地のような北方の国では、最も普及したお酒と言えばハチミツ酒だった。ブドウなどは寒冷ゆえ栽培できないためワインの類いは高価な輸入品となってしまうし、ハチミツとそのお酒は保存性にも優れているため自家用から商取引まで、扱いやすい品なのだ。

 ハチミツ酒の面白いところは、蜂が蜜を集めてくる花々が千差万別であることだった。花ごとに香りも味も異なるし、蜂のコロニーによっては何種類も混ざったりする。その地域や季節ごとの偏りもあって、街が変わるとどころか酒場ごとですら違った味わいを楽しめた。また、ハチミツだけを発酵させるのではなくラズベリーシロップなどを混ぜることで、風味に工夫を加えた品もあった。

 今飲んでいるこれは……色合いと風味から、ソバの花の蜜かな? 派手さはないが、素朴で落ち着いた味わいだ。ソバは荒涼とした土地でも育つため、きっと古くから大地の恵みの一つとして親しまれてきた味なのだろう。

「お次はポトフにお魚に~♪ パンとチーズと、お野菜お豆も忘れずに~、っと」

健啖(けんたん)だな。この食卓もむろん良いものだが、豪華さなら昨晩の方が凄かったろう」

 師匠は、食前のお酒はじっくり味わって飲むのを好むお人で、今も食べ物には緩やかに構えていた。わたしは今回ちょっとお腹が空き気味だったこともあり、早めに切りあげてお食事優先なのだった。

「んー、そうなんですけれど、昨晩の宴席では結局ろくに食べられなくって」

「そうなのか?」

「なんかやたらと、いろんな人から話しかけられちゃいまして。まともにお肉つつくような間もなかったと言いますか。活躍ぶりなら師匠の方が段違いだったのに、なんででしょうね」

 対して師匠は、黙然とお酒を飲んでいた様子だった。正直少し羨ましかった……

「ああ、まぁそれはな」

「なんです?」

 師匠は肩を軽くすくめると、言葉を足してくる。

「自分で言うのもなんだが、私と話そうとしても楽しいものではないだろうしな。それに、ああした場に君のような年頃の見目よい娘がいたら、誰だって近付きたいと思うだろうさ」

「むぐっ」

 思わず喉を詰まらせる。い、今ひょっとして、褒められたのだろうか?

 見やると、師匠は目をつぶって微笑しつつ、肩を再びすくめ返してきた。むむ~~っ!

「あ、あの。師匠――」

「そもそも君は元気がいいからな、道中からだって人気者だったろう」

 改めて聞き直そうとしたら言葉をかぶせられてしまった。くっ、先手を打つとはこの師匠、わかっててやってるな!

「むぅ~~っ。……ま、いいです、褒められたのなら悪い気しませんから。ともかく、そんなわけで一晩明けてお宿も移った今日、ようやくに羽を伸ばせているような感じなのです」

「なるほどな。今日は起きたのも遅めだったし荷の移動もあった。昼前に軽食を一度とったきりだったからな、それは腹も空いて仕方ない」

 師匠は、よし、とうなずくと、料理のお皿をわたしの方へと軽く寄せてきた。

「なら、しっかり食べるといい。もっと他にも頼んでおくか?」

「う。いえその、お気持ちは嬉しいんですけど、食べ過ぎも気になるというか食べきれないかもしれないというか……ごにょごにょ」

 思わず小声になってしまう。よく聞こえなかったのか、師匠は店の主人に注文の呼びかけを手振っていた。

 あああ、やっぱり食べ過ぎも気になるけど名物料理やらだって気になる! もし目の前に並べられたら食べちゃえる自信があったりするこの複雑が乙女心がぁ~~っ。

 とか一人内心で悶絶している内に、店の親父さんが席まで注文を聞きに来られていた。

「はいよ、追加の注文かね?」

「ええ。身になる料理をもう一つか二つ。それと、酒のかわりを頂きたい」

 師匠が手早く注文を進めていく。

「料理はワシの任せでいいのかね? ……あいよ。酒はどうする? ハチミツ酒の他にエールもあるが」

「あ、エールって、もしかしてグルート仕込みのエールビールですか?」

「おう、嬢ちゃん詳しいんかい? ウチのグルートは秘伝の味だからな、他じゃあなかなかお目にかかれない逸品だぜ? 一杯どうかね」

 近頃の麦酒(ビール)造りは、大陸南方から広まった防腐作用に優れるホップというつる草の一種を、原料たる麦芽に加えるやり方が大勢を占めつつある。だが古来の伝統としてはホップではなく、その地で採れる香草や草の実、木の実などを複数織り交ぜたグルートと呼ばれる香味付けが用いられてきた。グルートのレシピはその地の植生に根ざしたもののため地域性があって、必ずしも美味しいとは限らないのだが味わい比べてみるのは興味深いものがあった。(これらの知識は、なんのかんのと師匠に酒語りされた結果、覚えてしまった事柄だったりする)

「あの、じゃあその、一杯おねがいします……」

「私の方は、ハチミツ酒の辛口品(ドライ)があれば、そのお湯割りを頂きたい」

「はいよ、キレのいい辛口は食中酒に最適だからな、通だね兄さん。まいどありっ! ところで……」

 そこで店の親父さんは、うん? と一つ疑問に首を傾げるようにしつつ、話を切り替えてきた。

「ひょっとして、なんだが……。あんたらもしかして昨日、街の南であの山賊どもを蹴散らしたっていう、噂の剣豪さんたちかい?」

「わ、その話って、そんな噂になってるんですか?」

「そりゃそうだよ。あの山賊どもはもうかれこれ二年近く、断続的ながらも悪さを働いててね。街の住民にこそ被害は出ていないものの、ワシらのように商いしている身となれば交易で仕入れる食材や香辛料が手に入りにくくなっちまって、難儀してるのさ。特に南方からのそれらが高騰ぎみになっちまってねぇ……。それに、昨晩は派手に凱旋してただろう?」

「うーん、なるほど。討伐の派兵がされるほどじゃないと言っても、あんな連中が巣くっていたら迷惑被らないわけもないですよねぇ……。しかし、それにしても二年は長いですね」

 あと、ロテノンさんの警告だか宣伝だかも、上手くいっているようで……。さすが商人、宴席一つ設けた出費で最大の効果をあげているあたり抜け目ない。

「ああ、いい加減そろそろ何とかしてもらいたいとこなんだが、ここ数年は領主様の関係もいろいろとやっかいなご事情を抱えていてね……。それはともかく、二人連れの、この組み合わせ、ってことは――」

 そこで、わたしの方をビシっと指差してくると、

「てーことは、だ。嬢ちゃんがあれかい? 噂の、華麗なる剣舞の妖精!」

「ぶぐっ」

 な……、なん……ですと……?(ガクガクガタガタ)

「おっと、驚かしちまったかい? いやなに、話に聞いていた美麗な白い装束ってのとは違ってたみたいだから、最初は判断つかなかったんだがね。あの商隊に一緒にいたっていう、特に傭兵連中がね、けっこう興奮した様子で褒めそやしていたもんで、気になっちまってね」

 格好については、荷を部屋にあげて旅装も解き、今はかなり身軽な服装となっていた。剣も、大刀の方は部屋に置いて、ここには小刀一本を持ってきて傍置きしている限りだった。

 の、だが……

「あの……、その。なんというか、そういうアレな呼び名とか噂話は、広めないで頂けますと、助かりま、すぅ」

 わたしが力尽きるように突っ伏したのを見て、親父さんは少し慌てるように言葉を足してくる。

「うぅむ、こういうのは苦手だったかね? それなら申し訳ないが、剣士の身なら誉れなことじゃあないのかい?」

「それはそうではあるんですけれど、どうにも慣れないものでして……。というか師匠! 活躍や異名を問うならあなたの方でしょう! 笑ってないで少しは分け持ってください、もうっ」

 ちなみに師匠は、この間ずっと声を立てずに笑っていた。あーもー!

「目立たないのも理法の内さ、教えただろう」

「そう、です、けど!」

「それに、剣を振るった直接の現場は、ほとんど見られてはいなかったろう。なら、傭兵たちの話というのは、つまりそういうことさ。あとは自分の身を振り返ってみることだ」

 ぐぅ。そういえば先ほどの会話の中で、道中からも人気があったというようなことを言われたけれど。そんな、何か目立つようなことをした記憶もないんだけどなぁ……。

「にやにや」

「なんでわざわざ口で言うんですか!? それ言う必要どこにもないですよね!? しかもなんで顔の方は無表情風味なんですかっ!!」

 思わず身を乗り出して手を突きながら抗議をしてしまう。がー。

「いや? 意味はそんなにない、が。ふむ。君はやはり、楽しい娘だなぁ、と」

「あー……。もー。わたしの負けでいいですから……」

 かんべんしてください。

 再び突っ伏したわたしを見て、店の親父さんがフォロー(?)を入れてくる。

「まぁまぁ。よくわからないが、異名が噂されるほどの腕利きとなれば、ウチみたいな剣士宿にとっちゃあ願ったり叶ったりさ。いろいろ依頼も回せると思うから、よろしく頼むよ」

 剣士宿。それは、自由傭兵や放浪剣士といった者たちが常用する、旅の宿と酒場をあわせたような施設だった。仕事の斡旋所でもある。おおよそ大陸中のどこの街でも、剣士宿の一つ二つはあるものだった。


 ――この手の宿の成立起源は諸説あるのだが、要するに妥協と兼ね合いの産物と言えた。つまり、街の住民から見た場合、普通の旅人が泊まる宿に武装した荒事連中が混ざって泊まられても何かと物騒だし、できればまとめて一箇所に隔離しておきたい。また加えて、仕事を頼む機会があった際には、やはり一箇所にまとまっていてもらった方が利用しやすい。これは依頼を受ける剣士の側にとっても同様で、そうした互いの都合をすり合わせていった結果、落とし所として今の形態が定着するようになった、ということのようだ。

 剣士宿を営む店主たちは、荒事慣れしており、また近隣の宿同士で相互に仕事の連携や情報の交換を行っている。そのような交流が長く続いた結果、一種の手配網を大陸中へと構築するに至っており、もし剣士宿での仕事で仁義に反するような行いを犯した場合、大陸中の宿へと手配書が張り出されることとなる。そうなったら最後、あらゆる剣士や傭兵から命を狙われ続ける事態となるわけで、下手に国ごとの犯罪によって追われるよりも、よほど恐ろしい。

 こんな酒場ジョークがあるほどだ。いわく、「この大陸を本当に支配しているのは、どんな大国でもなくて、宿屋の親父たちなのさ」

 なお、剣士宿と、普通の旅人や商人に向けた宿では、その宿泊内容にも大きな違いがあった。特に、食事面での差が顕著だ。戦う者にとって、英気を養う寝食は重要であり、そのためのお金を惜しまない。ゆえに剣士宿では、食べ物や酒類を贅沢に供している。他方、旅人や商人はいかにお金を節約するかに努めるため、食事は質素に済ますものだった――


 そんな背景のもと、今日、わたしたち二人はロテノン商隊での仕事を果たし終えたこともあり、宿を移してきたのだった。昨晩はロテノンさんが宴席とあわせて用意された部屋に泊まらせて頂いたのだが、そのまま泊まり続けるには商人団体向けの宿というのは、わたしたちのような少数組みの旅剣士にとって少々都合の悪いものであるためだ。(基本、宿そのものは素泊まりで、食事の用意などは身内で組織的に分担することが前提になっていたりするので)

 まだちょっと先ほどのダメージが抜けないわたしだが、お仕事に関わる言葉を振られたら答えないわけにもいかない。

「あう、はい……。こちらこそ、よろしくご贔屓(ひいき)ください……。短くても数日ほどはお世話になると思いますし」

「おう。ま、物騒な依頼ごとなんざそうそうないに越したこともないんだろうが、それを言ってたらこの商売もやってられんからな」

 と、そこで宿の親父さん、()()と気づいたかのように、

「おっと、いかん。思わぬ長話になっちまったか。注文待たせてすまんね、急いで取りかかろう」

 この間、見わたす分だとわたしたちだけでなく他の客たちの注文まで滞ってしまっていたようだった。少し恨みがましい視線を感じる……あわわ。親父さん以外にも店の給仕のお姉さんなどがいないわけではないのだが、やはり店主たる親父さんの差配に依るところが大きいのだろう。

「あ、あの! 配膳くらいならわたしもちょっと手伝いましょうか?」

 こちらの食事は中座となってしまうが、わたしはだいたいのとこ食べていたので、あとは師匠の分であったし。

「む、いやそれは……。あー、じゃあ少しだけお願いしてもいいかね?」

「はいっ」

 そうして、少しの間、注文さばきを手伝う。厨房からの杯や皿を出し運び、空いたそれらを各卓から下げ、また注文を聞いて伝えたりと、なかなかの忙しなさだった。実はあまり労働的に重い物を運ぶような行為は師から禁じられているのだが、一度にまとめて運ぶのではなく小まめに分けて運ぶのであれば、まぁ大丈夫だろう。(こうしていて、何も言ってこないし)

「よし、あらかた片付いて落ち着いてきたな。もういいぞ嬢ちゃん、ありがとうよ」

「はーい」

「ふむ、そうだなぁ、詫び代わりってぇわけじゃあないが……。これから作る料理、ウチの特製メニューの一つなんだが、もし良かったら作り方を裏で見ていくかい?」

「え、わぁ、いいんですか?」

 思わず驚き、そして喜色の声をあげてしまう。こうした宿における特製料理のレシピというのは、一種の財産のようなもので、通常は厳しく秘されているものなのだ。

「おうよ。さ、こっちだ」

 と言って厨房の中に案内してくれる。親父さんは続ける。

「ここらの名物料理つってもいろいろあってな。一番代表的なのは川魚なんだが。ほれ、街の北に、けっこう立派な川が東から西へと流れてるだろう。見たことあるかい?」

「あ、いえ。わたしたち南側から来ましたもので、北側はまだです。すみません」

「いやいや、謝るこっちゃあないさ。ともかく、あの川は東の山脈から流れ出ていて、行く先は王都の方まで届いてる。が、大きな街はここが最上流でね。おかげで綺麗な水をしていて良い魚がとれるんだ。それに冬の間も中までは凍りつかないから小規模だけど漁ができて、おかげで冬ごもりの間の食糧事情が少し楽できてる……」

 そう語りながら、調理器具を手早く準備して、かまどの火の具合なども見ていく親父さん。

「そして今時期の頃になると、雪解けの水が川に滋養をもたらすから、魚も肥え直してきてうま味が乗ってくるってわけさ。あんたらに最初に出したムニエル皿もそれだよ。うまかったろ?」

「はい! 川のお魚なのに臭みもなくって、あれだけでも何匹か食べられちゃいそうなくらいでした」

「ははっ。嬉しいね。とはいえ、もう魚料理は出したから、同じじゃ芸がないし、今日は特別に仕込めてるものがあってね――これさ」

 といって、焼き窯の脇、おそらく余熱冷ましの退避置き場らしきところから、一つの(かたまり)を取り出すと、調理台の上にドンッと置いた。じっくりと炙り焼き(ロースト)された風の、お肉の塊だ。

「わ、すごい。これ何のお肉でしょう?」

「牛の肉さ。おっと、驚く必要はない。大陸のどこも大抵そうだと思うが、牛ってのは基本、肉を食べるための家畜じゃない。それはここいらでも変わらんさ」

 牛は、農地を耕すための貴重な労働力であり、あるいは乳を搾るために飼育されるものだった。肉を食べようとしたところで固く筋張っていて美味しくないと言われており、そもそも大きく育つまでに世話の手間がかかりすぎて、肉を食べるなんてその場限りの潰し方をすると、かえって困窮してしまう。もしその無理を覆すとしたら、貴族や富豪がお金にあかせて、始めから食肉に供するための飼育を行わせた場合くらいだろう。

「だがここくらいの北国になると、冬の入りの頃には家畜の頭数を調整することがあってね」

「あぁー、なるほど。冬を越すまでの間に家畜へ食べさせてあげられる飼料にも、限りがありますもんねぇ」

「そうそう。ま、普通は豚から潰してソーセージやハムなんかに加工するわけなんだが。去年はたまたま、乳牛のそこそこ歳いったヤツが何匹か出回ってね。お貴族様が好むようなクセのない仔牛ってわけにはいかないが、意外なことに歳経て子を何度も産んだ牝牛ってのは、肉の味に深みを生じてくるものでね」

 そう言って包丁を構えると、炙り肉の三分の一ほどの位置を大胆に切り分ける。そして見えた断面ときたら、表面こそしっかり焼けているものの内部は艶のある赤色をたたえていて、見ているだけでも唾がわいてきそうなほどだった。それに香りも良く、なんとも滋味深い!

「と言っても、ただそのまま焼いて食べるにはさすがに向かないからね。軽く塩漬けしてから、冬の冷気のおとずれとともに、寒干しするのさ。一月近くかけてじっくり干し締めた肉は、はるかに濃いうま味と柔らかさを備えた、まるで別物になるんだ」

 取り分けたお肉を、包丁で少し細かめに刻み始める親父さん。

「欠点は、表面を大きく削り落として捨てないとならないってことだな。長く干した肉の表面ってのは、食べるには危なくてね。その分、内部が凄いわけだが……。まぁそういう、贅沢な代物だから、冬の間にちまちま食べていたんだがね。もう春も明けたしってことで、残りをまとめて食っちまうことにしたってわけさ」

「おぉー、それは、わたしたち良いタイミングで来れたってわけですね!」

「おう。いやむしろ、昨日あの山賊どもが撃退されたって話を聞いて、これからは仕入れの見通しも明るくなれたって、そう考えたことも大きいんだよな。だからこれは、嬢ちゃんたちのおかげみたいなものさ」

 と言って、片目でウィンクしてくる親父さん。わぉ、そうすると意外に愛嬌ある人だ。

「で、だ。ただ平に切ってそのまま食っても、もちろんうまいんだが……。特製ってからには、こうするわけさ」

 楕円に細長い形をした大きめのパンを取り出すと、上下の中間に切れ目を入れて開く。そこへまず葉物野菜や香草の類いを敷いて、次いで先ほど刻んだお肉をたっぷりと乗せ詰めていく。味付けは岩塩と、少量の麦芽酢(モルトビネガー)、贅沢なことに黒胡椒も振っている。そこへさらに――

「さらぁ~に、こうして、こうしちゃうわけだ!」

 三角に大きく切り取られたチーズの一塊を左手に持ち、かまどの火脇から鉄ゴテのようなものを取り出す親父さん。おそらく熱く焼けているだろうそのコテを、チーズの柔らかな中心側の角に押し当てる。溶け出したチーズが……パンに盛られた刻み肉の上に、とろとろと、たっぷり。あああ、なんという蠱惑的(こわくてき)な!

「ここらは冬の寒さが厳しい分、チーズや酒なんかの発酵品が冬仕込みに向いていてね。このチーズも良い仕事してあって、濃厚な味わいながら臭いにそこまでのクセもなく、うまいぞぉ~?」

「ああぁ~~、ちょ、そんな、じらすようなこと言わないでくださいよぅ~!」

「ハッハ。そして最後、仕上げにこうだ!」

 パンごと、なんと熱した二枚の平鍋のようなもので、上下から挟み込んだ。上部の中心をさらに少し重し押している。ゆっくり五十を数えるほどで取り出すと――表面に軽く焦げ目のついた、パンごと熱が通ることで一体感を得た重厚物が、そこに鎮座していた。

「出来あがりぃ! っと。題して、牛肉とチーズのホットサンド剣士宿風スペシャル! ってね。さ、これは嬢ちゃんたちの分だから、持っていって二人で食べるといい」

 と言うと、ザクっと真ん中で二つに切ったそれを皿に盛って、こちらに渡してくる親父さん。

「わわ、いいんですか!?」

「もちろんだよ。細かい材料名なんかはあとで書いたものを教えてあげるから、さぁ、熱々の内にがっつり味わって食べてくんな」

「ひゃっほー! ありがとうございますぅ~」

 飛び上がるように喜びつつも丁寧にお皿を受け取り、そして慎重に運ぶわたし。全力で細心ですとも!

「師匠、師匠! これ、これ見てくださいよ。これ!」

「どうした」

 興奮したわたしの口調に対し、師匠はなんとも落ち着いた体だったがそれも今の内だけよっ!

「いいからホラこれっ。断面見てくださいよもう」

「うん? ……なんというか、こう、凄そうだな」

「すごいんですよ! いえ、きっとですけど、食べてみればすぐわかりますって! 冷めない内にいただきましょうよ~」

「わかったわかった。いただきます」

 そして一口目をまずかぶりつく! おおう、こ、これは……!

「し、師匠! これ。これ、口の中がなんか凄いですよ!? 美味しいとかってよりも、こう、口中に溢れてくるパワーが!」

「うぅむ……。これは、むぅ、たしかに」

 おぉあの師匠すら驚嘆している。親父さんスペシャル、やるなぁ!

「これ作り方見せてもらいましたし、工夫すれば旅の野営の際にも似たようなの作れるかもしれませんよ」

「ほう、それは。ふむ、食材もさることながら、器具も用意が要りそうだが。どうする」

「あ~、そこはですね~。平鍋とかを流用して、あと焼きゴテを――」

「それなら荷もあまり増やさずに済みそうだな。となると――」

「その場合はこうして――」

「ならば――」



 そんなこんなでグダグダと、お宿の一夜は更けてゆく、のであった。

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