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第一幕、商隊護衛

     〔1〕


「ん~ッ! いーい天気ねー」

 歩みながらも思わず身体(からだ)を伸ばして天をあおぎ、息を深く吸って味わう。北の地に特有の、冷たくも新鮮な空気。そこに陽光の暖かさが加わり、優しく身を(ぬく)め、ほぐしていってくれる。この冷温が混ざりあいながらも、汗をかかない程度の快適さときたら!

「まさに春っ、って感じよね! 景色もきれいだし」

 視界を巡らせれば、山肌にこそまだ積雪の白さが残っているものの、街道沿いでは雪どけも済んで草花が日を浴び、瑞々しく新芽を茂らせ始めていた。まばらな緑の絨毯(じゅうたん)の中、黄色や薄紫、あるいは白色の小さく可愛らしい花々がにぎわい、見わたす山野に彩りを加えていた。

「やー、ほんと、雪どけの季節にあわせて北上してきて正解でした。ね、師匠―?」

 振り向きながら呼びかける。わたしが少し足早に歩を進めていたこともあり、十歩ほど遅れた位置についてきている、その長身が目に映る。

 剣を帯びた、三十路がらみの精悍(せいかん)な男性だ。地味な茶色い旅装姿に、質実な(こしら)えの大小二刀を腰に差している。髪と瞳はともに薄めの暗灰色という珍しい取りあわせで、引き締まった面差しは、どこか遠くを見通すかのようだった。

 名を、ウルシオール・イーストエンドという。わたしの剣の師にして、熟達の剣士。その実力はこれまで幾度と目にしてきたが、凄まじい。まさに剣豪と呼ぶに相応しい使い手だ。

 しかし不思議と、その立ち姿は凄味を感じさせず、一見してはすらっと細長いような印象だった。もしも外套(がいとう)を脱いだなら、その下にはまるで鋼線を束ねたかのごとく鍛え抜かれた肉体が秘されているのだが……。そうした威力を、表向きには感じさせない。これは力みを廃した剣術の理法を徹底して体現しているがゆえのものだ。

「そうだな」

 そっけなくうなずき返してくる。声音もまた平坦なものだった。別に機嫌が悪いというわけでもなく、この人は普段からこんな調子なのだ。(もう慣れた)

「これまでは南寄りの地を巡ってましたからねー。北の地は初めてで、物珍しいです」

「あまり冷気の厳しい環境となると剣を痛めるからな。夏季にあわせるでもなければ足を向けにくい。今年は間が良かった。それはともかく――」

 と、一呼吸挟んでから続けてくる。

「せっかくの旅路だ、楽しむのはいいが。はしゃぎすぎて忘れるなよ、仕事中だ」

「う。や、忘れていたわけでは……。いえ、すみませんです」

 横目に一睨(ひとにら)みされてしまい言い直す。歩はいつの間にか並んでいた。

 そうなのだ、今はお仕事中でもあった。交易商隊の護衛役として雇われている。街から街へと大きく移動する場合、路銀の足しにとこの手の仕事をついでに請け負うことが多い。

 今、わたしと師匠は偵察(ていさつ)のため先行して街道を進んでいた。後方には距離をおいて数台の馬車と荷馬、そして騎馬や徒歩(かち)の人たちが続いている。その内の武装した者は、わたしたち以外にも雇われた傭兵たちだ。(というか向こうが元からの護衛隊で、わたしたちの方が飛び入りで雇われた形なのだが)

 この道中では身軽なわたしたち二人組が先行偵察の任を担うことが多かった。

警戒(けいかい)をおこたる気はないのですが……。でも、本当に襲ってくる山賊なんているんでしょうか? この商隊はけっこうな規模ですし、半端な人数だと返り討ちじゃないかと……」

 馬車が大小五台も連なっていて、護衛がわたしたちを含めて十名ついている。中には騎兵も数騎いて、かなりの戦力であり、まとまった集団だった。

 食いつめた末の山賊連中なんかと違って武装の質も良いから、もし正面からぶつかるなら人数に倍の差があったところで撃退(げきたい)は可能だろう。

「そうだが、話の通りなら既に被害の先例が出ているわけだからな。だからこそ商隊もこうして寄りあいを募って……いや待て。あれを見ろ」

 師は右手をあげると、街道の先に見えてきた地形を指し示す。

「あれは……。丘と林がありますね。まだけっこうかかりそうな距離ですが」

 街道沿いを、向かって右手側に丘陵(きゅうりょう)、左手側に木立が広がっていた。やっかいなのは特に右手の丘で、街道付近では軽い崖状になっていた。あれでは視線の通らぬ死角が多く、攻めるに(やす)く守るに(かた)いという、まさに絶好の襲いどころと言える。

「なんだってまたあんな危ういところに道を通して……」

 ついグチが口をついてしまうが、師の声がそっけなく答えてくる。

「街まであと半日といった距離だからな。ここで迂回(うかい)した形で道を通そうとすれば大きく回り込むことになる。手間がかさみすぎるから、妥協したんだろう」

 それで、と続けて問いかけてくる。

「君なら、どうする」


 簡素な問いだ。だがこれは、師としての問いだろう。弟子たるわたしが、これまで教わってきた経験からどれほど成長できているかと。生半可な答えを返すわけにはいかない。

 ――算段を立てることが肝要だ、とは師より繰り返し教えられた言葉の一つだ。人間は主義主張や理屈の正しさよりも、目先の問題に対して解決の目処が見込めるかどうか、これが重要な動機として影響するものなのだと。勝てる見込みがない勝負に臨みたがる者など普通はいない。

 ゆえに人を動かすならまずは算段を立てて見せることが不可欠であり、ひるがえっては他者の動向を見抜かんとするにおいて、算段の上での立場を入れ替えてみることが解き明かすための手立てとなる。

(わたしが襲う側の、指揮する立場だったなら……)

 それを考える。活かすべき利点と、埋めるべき欠点と。

(そうね、できるなら無傷で、正面衝突するまでもなく決着してしまいたい。生きるための稼ぎあげでバタバタと死んでいくような真似、繰り返せるはずないもの。でもだからって用意できる戦力や人数には限りがある。五倍も十倍もってわけにもいかないでしょう。なら、地の利と、襲う側として先手であることを最大に活かすしかない……)

 考えを言葉としてまとめ直し――一度深呼吸してから、述べ始める。

「わたしなら、襲うとしたらやはりあの地形を利用します。まず崖上には弓兵を配置して奇襲、矢の雨を降らせる。次に街道の奥側には馬止めの木杭なりを簡単にでも設置して(おおゆみ)兵と本隊、これで獲物の中核たる馬車列の動きを封じる。そして林の中には斬り込み隊を伏せておき、側面からも挟撃させつつ退路をふさぎにかかる……」

 ふぅ、と一息つき、師の表情をうかがいながら締めの言葉をつなげる。

「こんなところでしょうか。問題はやはり人数がどれほどいるのかと、あとは弩の数が脅威ですね。とはいえ弩は機構部に整備を要するものですから、街中に暮らせるはずもない山賊の身では大した数を保持はできないでしょう。なので、大半は弓矢だろうと思います。それと道への罠仕掛けも心配ではありますが、さすがに公の表街道ですからね。大掛かりなものはないと見込んでいます」

 言い終えると、師は大きく一つうなずいてくれた。

「ああ、私も同じような考えだ。相手の予測はそれでいいだろう。では、こちらの対策は?」

「こちらの最大の弱所は、小回りの利かない馬車列です。本隊戦力をもって当たるのは愚策でしょう」

 馬車を守っていては後手に回るばかり、かといって打って出てしまえば残った馬車が無防備になる。相手がもし別働隊を放っていたらひとたまりもない。

「ですので、少数精鋭の奇襲兵、つまりわたしたち二人で、いつもの後背をつくあの戦法でやっちゃうのが一番じゃないかなぁ、と」

「まぁ、それが無難か。他ならともかく我らだからな」

「師匠の負担が大きくて、まいど申し訳ないんですけども」

「構わんよ、私はな。それよりもミリス、君の危険だって大きい」

「そんな、わたしこそ構いません。いえ、この身をないがしろにするわけではないです……けれど、自ら剣を手にすることを、選んだのですから」

 そこで表情を切り替え、にっこり笑顔で続ける。

「それに、ピンチのときには師匠の助けが飛んでくるって信じてますしねっ」

 師匠は、ふん、と鼻を鳴らして一言。

「言ってろ。ともかく、いったん戻るか」

「はい、本隊と合流して、作戦を打ち合わせましょう」

 これ以上近づけば相手の見張りに気取られる危険がある。特に本隊の馬車が近づけば、徒歩のわたしたちよりはるかに目立つ。見つかってしまってからでは裏をかくのは難しい。

 手早く動くべし。


     〔2〕


「おお、これは、ショール殿にミリス嬢。いかがされましたかな?」

 商隊主のロテノンさんだ。馬車列の内、先頭をゆく大型三台の持ち主で、元々の護衛隊もこの人が雇っていた傭兵だった。単なる行商人という規模ではなく、交易商人としてなかなかの成功者であると言える。ただその割には、妙に腰が低くて、気安く話しかけやすい感じのおっちゃんだった。(そのでっぷりとしたお腹は貫禄に溢れているッ)

 ちなみに、ショールとは師の呼び名の一つだ。本来のウルシオールという名は東方風のためか微妙に発音しづらいようで、ここらの地の人々はウルスとかショールとかいった縮めた形で呼ぶことが多い。師本人もそういったことにこだわる人ではないため、相手の好きなようにさせており、どころか自分からそう名乗ってしまうことすらあった。

「はい、ロテノンさん。ちょっとこの先に気になる地形を見かけまして……」

 と、報告と今後の動き方についての相談を始める。

 わたしが話し出したのを見て、師は一つうなずくときびすを返し、歩み去っていった。護衛隊の隊長たちとの打ち合わせを、手分けして行いに向かってくれたのだろう。

「……と、いうわけで、もしあそこに待ち伏せされていた場合には、忍び寄ったわたしたち二人がそのまま奇襲をかけてしまおうと思います。それで、戦闘が始まったのを見てからでけっこうですので、護衛隊から騎兵の二~三騎を後詰めに送って頂ければ、と。騎兵隊が到着するまでにはわたしたちが敵の弓兵を排除しつつ場を乱しておきますので、そこで騎兵の突撃が決まればトドメとなって残兵の戦意をくじけることでしょう」

「ふうむ。騎兵を出すのは構わぬのですが……。ミリス嬢も、その、本当に戦われるのですかな? ショール殿ならともかく」

 あー、やっぱり、わたしの腕前に関してはあまり信じてはもらえていないようだ。まぁ仕方ないところではあるのだけれども。見た目からは年相応、十代半ばの小娘にしか見えないでしょうし、それに――

「あら、わたしはこれでもあの師匠の一番弟子として、厳しい修練を積んだ身ですよ?」

 と言いつつ、くるりと一回転して敬礼めいたポーズをとってみせる。ひらめく白色の外套(マント)が格好をつけさせてくれるが、この場合の問題はむしろ、この衣装にあった。

 白を基調とした外套と帽子に、上下全身の装束一式。縁取りなどに金銀の装飾が上品にあしらってあり、裏地は暗赤色。柔革製の胴衣は、軽鎧と礼服を足して割ったような作りをしており、やたらと華麗だった。また脚衣は、それ自体は実用性重視のズボン穿きであるものの、胴衣からの垂れ(すそ)がスカート状に短く広がっていて、これも華やかさを添えていた。

 総じて、どこの貴族のご令嬢がロマンス小説の麗人剣士でも気取っているのか、といったような衣装だった。普通の人がこの格好を見て、まさか実際に真剣での斬りあいに出向く人物とは思うまい。

 わたし自身は貴族でも何でもなく、どこにでもあるような山村の出身にすぎないのだが……。師に拾われて後、基礎修練を積むために身を寄せた先がとある南方のご領主の館で、そこのお嬢様方がわたしのことを気に入ってくださり特別に仕立てて頂いた衣装だった。旅立ちに際しての餞別として贈ってくださったのだが、見立てのために着せ替え人形よろしく何度も何度もいじくり回されたあの記憶は、いまだに忘れがたいものがあった。

 そんな外套の裾を()()()と摘みつつ、言葉を続ける。

「それにこの格好はこの格好で、装備としての利点もあってのものなんですよ。なにより、この剣にかけて、師に帯同の上とはいえ実戦の経験も一度や二度ではありません」

 腰の大小二刀を叩いて見せる。こればかりは師が手ずから打ち鍛えた拵えで、実用一点張りだった。(それゆえの機能美こそが誇らしい)

 そして、じっと相手の目を見つめる。わたしの瞳は深みのある琥珀色をしていて、師匠やお嬢様方いわく視線に強い意志を感じるらしい。この瞳と、母譲りの艶やかな栗色の髪は、わたしの数少ない自慢の一つだった――

「む、む……。ううーむ、そこまでおっしゃられるのでしたら、まぁ。護衛隊の損耗を防げるならこちらとしても助かりますからなぁ」

 ふぅ、折れてくれた。しかし後半の感想がやはり商人らしい。正直なおっちゃんである。

「ありがとうございます。ではそういうことで、馬車列は怪しまれない程度に速度を落としつつ前進を続けていてください。あとのことは護衛隊の方々と連携いたしますので」

 一礼し、師匠の向かった方向へとわたしもきびすを返す。合流したら最後の調整を簡単に交わして――そして、出陣だ。


     〔3〕


(さて、待ち構えているのかどうか。いたとして、どれほどの練度の連中か……)

 足早に街道を進みながら考える。師匠とは、出発時点ですぐ別れた。それぞれに動き、役割を分担するために。

(この規模の襲撃を成り立たせるのだとしたら……。やっぱり、“(いくさ)くずれ”の元傭兵よね)

 “戦くずれ”――これこそが近年、大陸中で人々の暮らしを(おびや)かしている、やっかいな難題だった。


 およそ五年前、世に言う“帝国大勝”によって大陸の情勢は大きく動いた。南東から駆けあがりたる雄、進撃の金鷲(きんじゅ)帝国と、中原に鎮座なす伝統領、迎撃の神聖王国。この二大強国がついに国境を接し、そして決戦へと至ったのだ。その結果は、帝国の圧勝。旧王国の広大な領土を手中とした帝国は、大陸一の大強国となった。

 この事態に慌てたのが周辺各国だった。帝国の手並みは見事にして迅速を誇り、他の周辺国が同盟などを組んで背面をつくような隙を与えなかった。気がついたときには手の出しようがないほどの国力差となってしまっていたのだ。

 もはや小国同士が小競りあいなどしている余裕は持てなくなってしまった。各国は互いへの矛をひとまず収め、対帝国の防備固めに努めることとなった。

 この影響を、意外な形で強く受ける者たちがいた。各地で雇われていた傭兵団だ。戦場がなくなれば仕事もなくなる。それが大陸中で、一斉に起きてしまった。あぶれた彼らは行き先を失った。

 それでも、騎士団並みに規律の取れていた一部の優秀な傭兵団は、兵力増強の名目によって常用されるようになり、また中には正規軍の一部として組み込まれた部隊もあったという。しかし多くの傭兵たちはそのような規律とは無縁の性格をしていることが大半で、特に略奪も行うような野放図な連中は、真っ先に放逐されていった。

 結果――食いつめた劣悪な元傭兵団は、そのまま略奪や襲撃行為に走りだし、その様は野盗や山賊と変わらなくなっていった。いやむしろ、武装と統率が組織化されていた分、いっそうたちの悪いものだった。元より、帝国に敗れた旧王国の敗残兵や逃亡者たちが各地を騒がしていた時勢だ。加えてそんな襲撃勢力が各地に散在するとなっては、もはや二重三重の悪夢のようだった。

 各国の騎士や衛兵はもちろん賊どもの討伐に尽力したが、しかし対帝国の備えとして国境線の守備兵力を最大に置き続けねばならず、派兵の手は常に不足していた。そのため、よほどの被害ならともかく小規模な集団であれば見逃されがちになってしまった。

 大きな歴史的視点で見れば、この五年は大陸から戦争の消えた平和な時代と映るのだろう。だが皮肉なことに、実際に日々を暮らす人々の視点から見れば、最悪に近い五年だった。

 唯一の救いは、こんな状態はあと何年も続かないだろうという推測だ。帝国が再び動き出せば――支配下とした旧王国領を再編し、内政と軍備をまとめ直して“次への備え”を行っているはずだ――この大陸は、新たな局面を迎える。戦場も動き出す。傭兵も、良かれ悪しかれ、決着がついていくこととなるだろう……


 この五年で、“戦くずれ”はすっかり見慣れたものとなった。師との作戦決めの会話でもわざわざ話題にしなかったのは、十中八九はこれだろうという前提が当然のものとなっているからだ。

(あいつらは、今はどこにでも蔓延(はびこ)ってる。まるで疫病のように。仕方がないと言う人もいる……。でも、嫌よ。好きなようにはさせない)

 山賊化した略奪者たちは当初、津波のように各国の小村寒村を襲った。手近な食料源として奪い取る対象にはちょうど良かったのだろう。だがその結果、どれだけの人が焼け出され、故郷を失い、あるいは殺されて、そして残された人たちの涙が流れされたことか。あいつらは、それを理解しない連中だ。許せるものではない。わたしの家族だって奴らに――

(いけない、感傷にとらわれては。今は過去ではなく、目前の戦いに集中しないと)

 首を振って意識を戻すと、そろそろ例の地形が近くなってきていた。考えながらだいぶ進んでいたようだ。

 ここからが勝負どころだ。わたしが街道を正面から歩み、相手の注意を引いておく。要するに陽動役だ。一方で師匠が、物陰を進んで相手に見つからぬよう背面へ回り込む。一番の難敵は崖上に陣取っているだろう弓兵だから、まずはそこから取りかかるはずだ。

 道なき道を、しかも隠れながら進まねばならない師匠の大変さは並ではない。だがあの人ならば、わたしの歩みからあまり遅れることもなく到着できるはずだった。身のこなし、軽業(かるわざ)に関しても、力量が凄まじいお人だ。

「頼みますよ、ウルス師匠……」

 小声でつぶやくと、気合を入れ直して表情を改める。

 さぁて、まずは一芝居、打ってあげようじゃないの!


     〔4〕


 崖面を右手にあおぐ道行きへと進み入り、その中ほどより少し手前で立ち止まる。そして息を大きく吸って、叫びあげる。

「罪なき民人を襲わんとする卑劣な賊ども! いるのはわかっているのよ、出てきなさい!」

 大上段に構えた紋切り型の口上を述べる。むろん、賊たちの注意をこの身に集めるためだ。

 そして位置取りがまた重要だった。奥に踏み入れすぎれば相手の陣形に掌握されてしまう。かといって手前すぎれば、相手は必勝を期せぬから警戒して顔を出そうとはしないだろう。

「我は自由剣士、閃刃のミリスティカ! 義によって馳せ参じ、そして悪伐(あくばつ)を成さん! さぁ姿を見せて、己が罪に膝をつくといいわ」

 ここらへんの名乗りは適当だ。自ら二つ名を叫ぶなど、正直赤面しそうな思いだった。

 けれど、わたしのこの格好と年性別、さらに加えてこうした大仰な立ち振る舞いを見れば――まぁどう考えても、何か勘違いしちゃってる、どこぞの小金持ちの家のお嬢様のようにしか見えないだろう。

 少なくとも、脅威のある相手とは、とても思うまい。この油断を誘い、そして注意と視線をこちらへ集められるなら、手法はなんでも良いのだ。(だからこうして恥ずかしい思いに耐える意味だってある、はずだ)

 ちなみに、剣はまだ抜いていない。これも相手の油断をなるべく誘うためだ。

 さて……

(いるわ、ね……。複数の視線がこちらをうかがってる。ひの、ふの、み……、っと。ざっと見では、十人くらいかしら。なら、全体では少なくともその倍、二十はいそうね)

 あちらから視線が通るということは、当然、こちらからも視線が通るということだ。隠れ身の技術に優れる者であればその誤魔化し方に精通しているものだし、山賊連中とて襲う潜むは本業なのだから本来はそれなりに心得ているはずだった。それがこうもあからさまとは、しっかりたっぷり油断してくれているようだった。

 ただし、こちらも背中の側まで見えるわけではない。死角は多いので、倍を見積もっておく。

「それとも、恐ろしくて震えてしまっているのかしら? あらあら、ママのスカート代わりに小岩や木立にすがりつくのは、そんなに心強いものなのかしらね」

「言ってくれるじゃねえか、お嬢ちゃん」

 のっそりと、道奥の小岩、右手の崖状地形が終わる端のあたりから姿を現した男が一人、言葉を放ってくる。

「あんたぁ、状況が本当にわかってるつもりか? 追い詰められたのはどっちだって? えぇ、お嬢ちゃんよぉ」

 言いつつ、さっと手を上げる男。すると、後ろ、先ほど男が出てきた小岩とその周辺から、さらにばらばらと数人の男たちが姿を現す。

 どの男も武装している。鎧の軽重は様々だが、総金属製の者はおらず硬革鎧か、革の生地を鉄片で補強したような鎧が主だった。おそらくは山野での行動を身軽にこなすためだろう。

(全員、手にしているのは白兵武器ね。剣がほとんどで、斧と槍が少々。弩の類いは腰にも背にも負っていない……。ならやはり、別に構えて潜んでる者がいるのでしょうね)

 手早く視線を巡らせ、把握していく。さすがに飛び道具持ちの者まで姿を見せてくれるほど気を緩めてはいないようだった。

「あら、ようやく日の光の下にお出ましね。てっきり日陰から出ては生きていけない人たちなのかと思い始めていたところよ」

「そりゃまぁ日陰者だがな。おい嬢ちゃんよぉ、この人数見てなに考えてやがるんだ? まさか勝てるつもりかよ? そんな格好の、女の細腕でよぉ」

 さらに、ハッ、と一息あざ笑うようにつき、続けてくる。

「それとも、あれか? そのヘンテコな格好の通りに、頭もイカレてやがるのか? それだったら叩き伏せるだけだがよぉ、そのあと自分がどうなるかわかってんのか? まぁ俺らを楽しませるために自分から来てくれたってんなら、歓迎だがな!」

 そこで他の男たちともども、一斉に下品な笑い声を立てて腹を抱え出す。どうやら彼らなりに笑えるジョークだったらしい。(ちょっとカチーン来たので、あとでへこむほど叩くの刑!)

 実に不快ではあったが、これはこれでいい。会話の中身に意味はないのだ。わたしの役目はこの会話自体をもう少し長く引っ張ること。なぜなら――今、師が奴らの背面から迫りつつあるはずだからだ。しかしいくら師匠といえども、この場全員の死角に隠れた位置からでは状況を見て取ることは出来ない。視認は無理だ。だが――音なら届く。

「名前は?」

「あ?」

 一切を無視した(てい)で問いかける。相手のペースに飲まれないこと、会話を勝手には終わらせないこと。適度に気持ちよく喋らせ、適度に意表をつき、そして興味を引きつける。

「名前よ、あなたの。わたしは名乗ったでしょう? 返礼するものよ」

「ハッ、なかなかのクソ度胸だな嬢ちゃん。意味があるとは思えねぇけどな……。まぁいい、俺はジェーチルという」

「あら、なかなかステキなお名前じゃない。あなたがリーダーさんなの?」

「いんや、俺は副長だよ。団長は別だ」

「そう。ならその団長さんはどちらにいらっしゃるのかしら?」

「そんなことを教えてやる義理はねぇし、もちろんだがここまで話したことも持ち帰らせてやるつもりはない。まさか無事に帰れるだなんて思ってないだろうな?」

「ええ、そうね……」

 ここらが潮時だろう。身を潜めていたはずの伏兵たちも、興味津々にのぞき込むなり、しびれを切らしかけて身を乗り出すなりしているはずた。感じる視線の圧が増していることからもそれがわかる。

 と、いうことは――それだけ師が接近を果たせているはずで、そしてこれまで稼いだ時間を考えれば敵陣の最も攻めるべき箇所も特定できていることだろう。十分だ。

「でも、それは……」

 息を一度だけ強く吐き、腰を少しずつ落としていく。そして腰の剣――(かたな)だ。わずかに曲がりを帯びた極東造りの刀、その鞘に左手を添える。

 キッ――とかすかに、金属のこすれる音。親指で(つば)を押し、鯉口(こいくち)を切った音だ。

 刀は、鞘に納まっている状態では鍔元のハバキという金具部位だけで鞘と接している。刀身は中空に浮いているのだ――それによって錆びや痛みを防ぐ、精妙な細工の賜物だった――そのため、このハバキという部位はしっかりと鞘にはまっていて、そのままでは抜刀できない。前段階として親指のじっくりとした押す力でハバキのはまりを浮かせる必要があり、この動作を指して“鯉口を切る”という。

 わたしが戦闘態勢に入りつつあることを察したのだろう、男たちの緊張感もいや増していく。それは伏兵たちもだろう。気配が増していく。しかしそれは同時、伏兵が潜めていないことも意味し、そしてまた、師への開戦合図ともなる!

「へっ、なんだい、やろうってのか嬢ちゃん。言っとくが怪我じゃすまねぇぞ!」

「それは……あなたたちの方よっ!」

 最速で前進する。(たい)の落とし込みによる重力を利用した動き出しだ。地を蹴らず気配なく、そして最初の一歩目から最大の加速を実現する!

 一息に間合いを詰めると、話していた男――ジェーチル副長か――を無視してそのまま通り過ぎる。意表をつく。前面に立って斬りあう気構えの出来ている者から相手にしてやる必要などない。

 後方の三層目あたり、自覚なく“出番待ち”で身の緩んでいる者を狙う。人体の不可思議な仕組みの一つ、半端に緊張していながら意識が緩みかけていると、反射的な神経の働きが追いつかなくなる。それは隙だ。ならば狙う。

「ふっ――」

 抜刀しざまに側頭部をはたき倒す。普通なら剣など抜けないような近間まで一気に接近し、そして師匠仕込みの抜刀術――居合(いあい)ともいう――によって最初の一刀を抜きつける。

 腰元から顎ほどまでの最小の空間幅で、縦に抜いた。左右の手の払いは腕の力ではなく肩甲の開きと収めによって走らせ、体の落としと浮きを利かせ、寸瞬に腰と身もさばく。全身を一挙に働かせることで最小の中に最大の動きを生んだのだ。これを極めれば座っていても抜ける。ほとんど倒れ伏しているような姿勢からだって抜ける。自分の身体がそこにいられるのであれば、剣もまた抜けるのだ――と、これも師の教えの一つだった。

 そして抜きつけと同時、腰を沈ませその落下の力と重心を剣先へと伝えることで、刃を返す動作の中に威力を与えた。

 そう、この段階では刃は立てず、斬らない。刀の横腹、(しのぎ)という厚身の部分で殴りはたくにとどめる。刃は立てないとはいえ、要するに鉄の棒で頭を思いきり殴られたようなものだ。大の男だろうと防具を被っていようと、ただで済むものではない――と言っても、さすがに一撃で昏倒させられるほどとはいかないが。彼我の体格体重に差があるため、わたしの膂力(りょりょく)ではそれは無理だ。だが、それはいい。今はしばしの間だけ相手の行動力を奪っておければ。()()()()()のは、師匠がやってくれる――

「ハッ――!」

 一人目の男が倒れるよりも早く、影から抜けるように滑り駆け、すぐそばの二人目へと二撃目をはたく。剣を振り上げようと反応し始めていたようだが遅い。そのまま打ち倒す。

 そして、ここでもやはり斬りはしない。これは、血をまだ見せないためだ。

 血を見せれば、相手の警戒本能を一気に呼び覚ましてしまう。本能の働きはこうした面においては強大なもので、この連中がどんなに間抜けぞろいでも血を見て血臭を嗅げば、即座に全力での応戦体勢へと切り替わるだろう。それは避けたい。相手を油断させたまま、混乱させたまま、何がなんだかわからないというままに、一気呵成(いっきかせい)に倒してしまう。これも我が流派――師から教わった戦いの理法であった。

 相手の本能をだましたままであれば、今の混乱が数瞬の間を稼ぐ。その間に次を倒してしまえば、そのわけのわからぬ状況がまた混乱を呼ぶ。連鎖する混乱はわずか一息から半息ほどずつかもしれないが、それをつなげて倒し続ける。

 相手がようやくに事態を飲みこんで気構えを組み直すまでに何人倒せるか――どれだけ、数を減らせるか。これが多数を少数で相手取るに際して最も重要なことだった。数は力だ。それをまっとうに活かされてしまえば、当然こちらの勝ち目は薄い。活かさせないままに潰す。そしてまた、その混乱と恐怖までをもこちらの力と錯覚させるのだ。

(三人目……。そして四人……!)

 さすがに反撃を受け始めるが、かわしざまに一撃を入れ、膝を屈させていく。後方をついたと思えば前方へ急戻りし、かと思えば右へ左へ、さらには地を這うがごとき深く低い踏み込みによって上下の落差も用いる。相手の意識を振り回す。

 最速の運足、最速の運体だ。重力を利用し、大地からの反発と反作用をも活用し、また筋肉の伸と屈、深と表をそれぞれ使いわける。内臓の位置も使う。力の保留に、重心の遷移に。

 普通の動きと比べれば二倍から三倍は素早い。あるいは、関節が一段か二段増えたかのような奇妙な動きに見えているはずだった。ついてこれない相手は置き去りになる。それがまた自覚なき混乱をもたらす。そして、本能の恐怖を。

「ごにん――めぇっ!!」

「くそっ、なんなんだこいつは!?」

 焦った声が男たちの中からあがり始める。残り三人まで追いこんだ――この場に立つ中では。むろんだが他にも伏兵がいるはずだ。そろそろか?

「おい、何している! 上、弓を使え! 弩もだ! 林手の待ち伏せも解いて戻れっ」

 最初の男――副長ジェーチルが声を張りあげる。相当に焦った声音だ。なりふり構わず全戦力を投入する決断を下したのだろう。

 そして、この段階でも彼がずっと指揮を執り続けている。ということは、今日この場には団長たる人物は来ていないのだろう。

(つまりこの場にいるだけが連中の全てじゃない。たとえこの場を全滅させられたとしても、それで全部が済むわけではない、か……)

 まぁそれはあとで考えればいい話だ。今は、この場の数を減らすべく努めるしかない。

 応戦の指示を受け、林の中から数人の男たちが新たに姿を現す。また、街道奥の岩陰からは三人、こちらは弩を持って構えている――

(あれだけはマズイわ……どうする!?)

 弩が三射。一斉に撃たれたら技や実力がどうこうもなく、運頼みとなってしまう。迷っている時間はない――が、そこへ。

 頭上から。人影が複数降ってくる。おそらく元は弓兵だったであろう物言わぬ人型の何か。師が崖上で片付けたのだろう。そしてさらに、それら落下する人影らよりもなお速く駆け下りてくる一影が垣間見えた。

 師匠だ。角度のある急斜面を物ともせず、重力を超えた速さで疾駆する。その向かう先を、状況を瞬時に見てとったのだろう、弩兵たちの方へと向かせている。

 わずか数瞬、加速した勢いそのままに駆け寄ると、軽く踊るような動作で()()()()()()と刀を振るいつつ、弩兵三者の間を通り抜け、かと思う間もなくこちらへ向かって来ている!

(うわ、早い。見慣れているはずのわたしでも、ほとんど目がついていかないわ)

 やはり凄い人だ。わかっていてもなお驚く。そうこうしている間にもこちらの場に斬り込んで敵兵たちへ数撃加えているのだが、その頃になってようやく先ほどの弩兵たちが倒れ伏せていく姿が見えるほどだ。身のさばき、早さの桁が違う。まるで時の流れが異なる世界に住んでいるかのようだ……

「おいおいおいおい!? なんなんだよこれは!? くそ、わけがわからねぇ!」

 副長ジェーチルを名乗った男が悲鳴をあげる。その間にも片端から男たちが打ち倒されていく。もはやわたしの出番などなさそうなほど、場は圧倒されていた。

 そこへ加えて、ドドド、ドドド、と、何か迫るような重い音が聞こえてくる。これは――騎馬の駆け寄る音だ。方角からして、わたしたちが元来た方、商隊のいる側だ。ならば護衛隊から出された騎兵たちだろう。音の響き方からは、三、いや、四騎か。

(大盤振る舞いね……)

 四騎もこちらに送ってしまっては、商隊側が手薄になりすぎてしまうはずだが……。商隊主のロテノンさんが心配して送ってくれたのだろうか。かえって危うい判断にも思えたが、しかしその分あって迫る騎馬隊の姿は迫力満点だった。

「ちくしょう、やってらんねぇぞ、おい!? えぇい野郎ども、引くぞ! 撤退だ。引けぇ!」

 とうとう逃げの指示があがった。男たちの大方は既に師匠によって倒されていたが、それでも残った身動き取れる者たちが逃げ始める。迫る騎兵の突撃に追い立てられるように、ほうほうの体で走り散っていく。

(むざむざ逃がすのもしゃくだけれど。これは仕方ないわね)

 この場に倒れたままの者たちも多い。あまり注意をそらすのも危険だし、かなうなら何名かは生かして捕らえ、尋問したいところでもある。また、深追いの利は少ない。


「ふー。さて、残るは後始末っと」

 倒れている者たちをとっとと縛りあげてしまいたいところだが、あいにくと縄紐の類いは持ちあわせていない。ひとまず剣はまだ納めないが……結局、刃は使わなかったが念のため、血払いの一振りを行ってから懐紙で拭っておく。拭いは、可能な限り丁寧にかける。下手に扱えば細かな傷がつくこともあるし、何より管理の気を抜いた刀身はたやすく錆びる。

「どう、どう。無事かい、ミリス君。お師匠さんはどうした?」

 騎馬隊の人が一騎、近寄ってきて問うてきた。

「あ、はい。わたしは大丈夫です、ありがとうございます。師匠は……周囲の索敵と、敗走した連中の追跡を兼ねて少し出張っているようです」

 いつの間にか姿が見えなくなっていたが、あの師匠が迅速を尊ぶ場合の理由は合理的なものだ。推測もつく。何よりやっかいな展開というのは連中に後詰めの別部隊がいた場合となるから、その可能性を潰しに行ったのだろう。

「そう、か。ふむ、索敵なら我々も協力しよう」

「ああいえいえ、あいつら地形にまぎれて逃げましたから。騎馬だと追うには無理がありますし、あの神出鬼没師匠に任せて大丈夫だと思いますよ。ええ、急に消えたり、心臓に悪い分は働いてもらいましょう」

 力強く(こぶし)を握って振り振り、ついでに首も上下させながら力説する。

「う、うぅむ……?」

「いえ冗談です、忘れてください。すみません」

「そうなのかい? よくわからないが、いやしかし、凄いな。これみんな君たち二人きりでやったのかい?」

 わりと渾身のジョークのつもりだったのだがわからない言われてしまった。うーむ、センスないのかなわたし……

「いやー、倒した内の大半は師匠によるものです。わたしは陽動役ですから、最初の内に数名引きつけたくらいのものです」

「それにしたって凄いとは思うけどね。なにせ我々が気づいてから駆けつけるまでの少々の間にこれだけの数だ。しかも無傷みたいじゃないか。どうやったらできるんだか」

「んー、と、そうですね。むしろ早業なればこその無傷であり成果と言いますか。それにもちろん、最後は騎兵の皆さんが迅速に駆けつけてくださったおかげです。助かりました。どうもありがとうございます」

 改めて一礼する。助勢の効果は事実であり、感謝も本心からのものだ。いかな剣技に優れた達人も、戦い続ければ負けるときが必ずくる。戦闘は短時で決着できるに越したことはない。

 騎兵さんは肩をすくめて答えてくる。

「お褒めにあずかり光栄だけれど、あまり働いた気はしないな」

「ま、ま、それはともかく。この場の連中を縛りあげておきたいんですが、縄とかあります?」

「少しはあるが、とても足りそうにないな。馬車から持って来させよう。おいっ!」

 と、その騎兵さんは指示を出し、四騎の内の二騎を馬車へ、そしてこの場にも二騎を残した。

 その人たちと協力して、とりあえずできる限りで山賊どもを拘束していく。ざっと見では、息があるのは半数弱、六~七名といったところか……


     〔5〕


「いやはや、なんとも素晴らしい。この目で結果を見てもにわかには信じがたいほどですぞ」

 商隊主のロテノンさんが手放しの賛辞を贈ってくれる。事後の報告を行っているところだ。ちょっと大げさで気恥ずかしくもあるが、さりとて悪い気はやはりしないものだ。

「ありがとうございます」

「拘束した連中に関しては、馬車の隙間にでも詰め込んでおきましょう。尋問などは街に着いてから、衛兵の方々へお任せすることと致します。なにせ、今すぐ何かを喋らせられそうにはありませんからな」

 と、ロテノンさん。軽くお腹をゆすって笑い出す。拘束した男たちは昏倒著しく、ろくにうめき声もあげられないような様だった。

「はい。その手のことは後回しで構わないと思います。それより、この場がこれで安全とは限りませんので、できるだけ手早くまとめて、出発してしまいましょう」

「ふむ。何か気がかりな点でもおありですかな? もちろん、手早くというのに反対するところはありませんが……。逃げた連中が再襲撃というのも、これだけ叩きのめした後となればそうそうありますまい」

 わたしが心のどこかに焦りを抱えた風を見て、不思議そうなロテノンさんだった。気持ちはわかるが、ちょっと勝利に気が大きくなりすぎているようにも思える。

「えっとですね、あまり上手く言葉としては申し上げにくいのですが、この襲撃自体に少し不自然な点があるというか、奇妙というかですね」

「それだが」

「うわビックリしたぁ! ちょっと師匠、そーゆー背後から気配消したまま急に声かけるのは止めてくださいって、前も言ったでしょうっ。もー!」

 師がいつの間にか帰ってきていたようだがこんな場面で味方の不意まで打たなくても!

「すまんな」

 片手をひらひらと振って、軽く詫びてくる師匠。相変わらずこうしたことにはこだわらず、そっけない。それとも、もしかしてわざとやってこちらの反応を楽しんでいるのだろうか……? あっ! 今こっちの表情を読んでかすかに笑った! ぜったいわざとだこの師匠~~!

「ヴヴ――っ!」

「うなるな。いや、私が悪かったから、落ち着け。話をさせてくれ」

 今度は両手をあげて、降参のポーズを向けてくる。もうっ、これっきりですからね!

「それで。えっと、なんです?」

「襲撃の不自然さについてだ。私も同じ着眼だが、それより先にまず報告だな。ロテノンさん――」

 と、姿勢をロテノンさんたちの方へ向け直し、師は続ける。

「奴らの足取りを軽く追いましたが、後詰めの別働隊などはいないようでした。この点は安心です。逃げた先は、主に東方向。荷の量からして、おそらく二日とはかからずたどり着ける範囲に拠点があるのではないか、と」

「ふぅむ。東ですか、山脈方面ですな。この地でここより東側となると国の外れ、小さな山村の類いが点在するだけの僻地となりますが……ふむ。山賊が潜むにはちょうど良いのでしょうかな」

 師は、一つうなずくと、しかし否定の言葉を返した。

「ただの山賊であれば、その通りです。しかし問題は、この襲撃の不自然さにかかってきます」

「うーむ。どういうことですかな……?」

「襲撃の規模と、奪う対象が大きすぎるのです。あれだけの人数があって活動を維持しているとなれば、消費する食料その他の物資の量も、半端ではない。それだけ、略奪の被害も大きいはず。にもかかわらず大規模な討伐隊などは派兵されていないようだという点が、一つ」

 国や領主からの討伐が行われないまま複数の被害が出ているという話は、今回の道中にたつ前、事前情報として聞かされていたことだった。

 そうだ、それに人数や規模という話なら。

「あの、師匠。奴ら、今回戦った連中を指揮していた男は副長だと名乗ってました。団長は別にいると。追い詰められても最後まで副長の男が指示してましたし、つまり奴らの本隊なり予備戦力なりが別にいるのではないかと……」

「ああ、その話なら私にも聞こえていた。今回の襲撃者たちは二十余名。別に控えがいたとして同数以上ということもないだろうが、さりとて総数としては三十から四十近くを見込んでもさほど外してはいないだろう」

「それを今回、撃退によって半減させられたわけですが……。なるほど、元がそれほど大人数だったなら、日々の飲み食いを賄うだけでもかなり大変です。しかも季節を考えると、ひょっとしてそんなまま冬越しすらしていたかもしれない、んですよねぇ」

「そのくせ、一帯の村や町を襲って略奪したということもあまりないようだからな。もしそうならさすがに住民がもっと騒いでいるし、どんな領主も討伐派兵しないわけにはいかない」

 そこで一息ついて話を区切ると、再びロテノンさんの方へ向き直り、続ける師匠。

「また、貴方の商隊がこうして襲われたように、被害の主だった先は、道行く商人たちが多いとのことでしたが」

「ええ、わたくしどもの属する商会筋からはそのように警告が出ておりまして、今回はなるべく守りの戦力を固めようと、同行の方々を募った次第です」

「しかし、こうした規模の交易隊が運ぶ荷となると、単純な食料や日用品というわけもないでしょう。簡単には金に換えられる品ではない。だがああしたその日暮らしの連中に必要なのは貯め込む資財などではなく――」

 だんだんと、師の言わんとすることが理解できてくる。ロテノンさんも、一つ合点がいったのだろう、言葉を継いでゆく。

「食料や酒、あるいは装備の消耗品や馬でも何でも、とにかく自分たちの利用できる形にならなければ、奪っても意味がないですな」

 たとえば、絵画や織物だの、胡椒やらの香辛料だのが一山固まって手に入っても、それだけではどうしようもないわけだ。交易品としては高級なもので、もし街暮らしなら一財産といえども。

「そうです。しかも奪って運ぶ先が東の山中となれば、そこから他国に運び出して換金するというのも難しい。あの山脈はそのまま国境線となっているほど、高く険しい縦断の壁です。それにそもそも、そんな移動が行えるほどなら、一つところに留まって襲撃を繰り返す必要もない」

 それはそうだった。最初の一回だけならともかく、繰り返すほどに襲撃の報は広がる。当然、対抗するための戦力が用意される可能性も高まる。(それこそ今回のように、だ)

 師は続ける。

「ただの場当たり的な山賊なら、この規模の商隊を襲っても、かえって危険に対する実入りが見合わないわけです。この近くの街で盗品をさばこうとしても、商人たちの怒りの目をかわせるものではないでしょう?」

「ええ、街の中であれば。我ら商人は荷財を力ずくで奪うような行為にこそ、最も憎しみを募らせます。どんな裏家業の輩が立ち働いていようと、たとえ被害以上の金ずくになろうとも、決して許しは致しません」

 その声は迷いなく力強く、商人として持つ気概が伝わってくるに十分だった。

「となると、主に考えられる可能性は二つ。一つは、連中が長期計画的に、資財を蓄えた上で遠く他国へ逃げ落ちようとしている場合。もう一つは、こんな状況でなお、奪った交易品を金や食料に換えられ、かつ討伐の派兵を受けないような当てがある、という場合――」

 また一息ついて、師匠は続ける。

「だが前者は、私見ながら奴らの軽挙な動きを見ている分には、考えがたいと存じます。となると後者となりますが、もしもその通りなのだとしたら……」

「それは……とんでもないことですぞ! 我ら商人を介さず高額な取引を何度と動かし、しかも騎士や派兵にまで影響を及ぼすとなると、それは――」

「ええ。しかし、そこから先は情報がありませんから、形ある何かを申すまでには至れません。ただ一点、この件には裏でうごめく何事かがあるのかもしれない、と。それを」

 師の話を受け、ロテノンさんは思わぬ事態の大きさにおののくように深くため息をつくものの、気丈に結論を述べた。

「あいわかりました。この件は街に着き次第、商会筋も含めわたくしの知る限りの商い仲間に警告致しましょう。街の衛兵や、手の及ぶ限りを尽くして領主様にも嘆願しようとは存じますが、こちらはどこまで信用できるかわからなくなってきましたからな……」

「よろしくお願い致します。もう一つ、今回敗走したことで傷を負った奴らが、報復まぎれに周辺の村々へと襲いかかるかもしれません。この点への注意も呼びかけて頂ければと」

「承りましょう。わたくしども商人が街中で商えるのも村々からの下支えあってのことですし、そこを賊どもの好きにさせては窮するばかりですからな」

「ありがとうございます」「あ、ありがとうございます!」

 師が一礼したので、わたしもあわせて腰を折っておく。ふぅ、正直、話の途中からは口の挟みようもないほど重々しかったけど、良い感じにまとまったようで、なによりなにより。

「いやはや、しかし、今回の立役者はまごうことなくお二人ですぞ! 礼を述べるならこちらの方ですからな、そんなかしこまらないで頂きたいものです」

 そう言い、ロテノンさんは気を取り直すように機嫌の良い笑みを浮かべて見せる。話の区切りをつけて次に移ろうというのと同時、師の謙虚さが純粋に気持ち良かったのだろう。

 大抵の場合、剣働きした強者というのは偉そうになってしまうものだが、この師匠にはそれがない。長く商人を続ける身であれば、そんな偉そうに振舞う相手にも多くへりくだってきたことだろうから、いっそうこんな師匠であれば物珍しく、また小気味よいのかもしれない。

「さ、さ。この場の片付けも程よく済んだようですし、そろそろ出発致しましょう。街に着いたら宴席を設けさせて頂きますぞ。こたびの報酬にもご期待くだされ!」

 わたしたちが話し込んでいる間にも商隊の他の方々が作業は進めてくれていたので、むしろわたしたちの方こそが待たせてしまっていたくらいだった。

 しかし、ロテノンさん、豪気だなぁ。

「やったぁー! がんばった甲斐がありましたよ。ね、師匠っ」

 大げさに喜んで見せると(こうしたことはあからさまなくらいで良いのだっ)、師匠は、ふ、と一息軽く笑って、

「そうだな」

 と、いつものようにそっけない答えを返してくる。先ほどまでのような饒舌は、用が済んだら途端に引っ込めてしまう。だがその表情も足取りも、心なしか軽やかそうだった。

 もちろん、わたしも足取りは軽い! さてさて、今日中になんとか街まで着けるよう、もう一頑張り、歩を進めるとしましょうか!



 商隊護衛の任、達成!!

※文字フォント上、ひらがなの「う」に濁点を付けたものがそのままでは使えなかったため、カタカナの「ヴ」に置き換えてあります。

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