運命が動く瞬間
〜僕が考える運命の動かし方〜
努力、渇望、希望、絶望、迷走、諦め、奮闘。
夢への道のりは険しく、夢を抱くモノと見て、夢を目指さない者も多く存在する。
ただし、夢を追う者と追わぬ者とでは、異なる経験を積むことになろうとも、等しく苦の道は存在している。
その道中、多様な感情と可能性を見出しては潰え、そして新たな可能性を思考する。
しかし思考し、希望を抱いた可能性へ向けて行動を始めたとしても、目の前には以前と変わらず平らな道。
どのような切り口から道を辿ったとしても、必ずそれは平らな道へと繋がっている。
その先の未来に光など見えず、見たい光はあれど、それは空想の中の幻覚に過ぎない。
現実は、米粒ほどの光すら照らしていない儚いモノ。
世界は誘惑で満ちている。
それは音であり、香りであり、美味しさであり、美しさであり、五感を刺激する多種多様な魅力たちである。
人は五感を刺激されれば必ず心は連動し、一時の希望を抱いてしまうようできている。
それは行動を伴わない誘惑であると同時に、原動力となる心の起爆剤でもある。
そしてその魅力が『恋』へと変換された時、人の運命は動き出す。
『恋』とは最大の欲望であり、対象は必ずしも人でなければならないわけではない。
世の中に無数に存在する一つのモノに執着し、極めることも立派な趣味と呼ばれる『恋』なのだ。
しかしいずれにしろ、『恋』は人が人に抱く自然の摂理であり、モノとは『恋』を支える武器である。
好きな人にかっこよく思われたい。可愛く思われたいと願い、凄まじい行動力を発揮することとなるが、そのためには『お金』が必要となる。
けれども夢を追う者の大半は、資金力に欠け、一つの道ばかりを辿ろうとする。
当然、資金力のある者も多くいるが、そういう者たちが抱く夢とは、いわゆる『目標』という名の次元に過ぎない。
夢の道一つを辿ることは愚かである。しかし、無様ではない。夢を現実へと導くため、己の人生の全てを賭けるその姿を、何人たりとも侮辱することなど許されない。
それでも夢は夢のまま散ってしまうのが儚い現実である。
そして『恋』は、夢の描かれた仮想空間へと置いてこられた夢追い人たちの意識を、現実へと引き戻してくれるボタンであり、夢を諦める瞬間に『恋』が交差する瞬間のみ、夢は姿を変えて躍動する。
その先にあるものは、喜びと楽しさが交錯しつつも、停滞を与える苦難の道のりだろう。しかし、これまでとは異なる道を歩む彼らは、自らの肉体で可能性を感じ取ることができる。
道のりは必然だとしても、新たな道を創造するのは偶然の出来事。
その積み重ねがある分、運命は動き、己自身の力で、生まれた運命を選び導いていくしかない。
今日は2/14 バレンタインデー。
僅かでも新たな運命に出会えることを、願っております。




