10. 始まりはいつも静かに
「はあ……そのような事が。それでこんなにもお怪我を」
「すぐに誤解は解けたがな」
入学式の夜。
学生寮の自室にて、フェリシアから手当を受けていた。
「幸いにも骨折などはないようなので、私でも治せますが……なにか違和感がありましたら、すぐに医務室に行ってくださいね?」
怪我の経緯を聞かれても厄介なので、医務室は使えない。だからフェリシアに手当を頼んだのだ。
俺は天井を見上げながらほうっと息を吐く。
「意外だな。お前が俺の心配をするとは」
「身も心もアルベルト様のものですから。一心同体と言ってもいいです。もしもアルベルト様に何かあったら私は……」
「そうだったな」
フェリシアには裏切られないように、俺が死んだらお前も死ぬか廃人になると言ってある。
だが、実際にはそんなことは無い。
あの時の言葉が本心ではなかったからか、強力なスキルでは無いからなのか、そこまでの強制力があるようには感じられない。
「ですから、ご遠慮なく私をお使いください。ご命令とあればなんでも致します」
「そうか。……ならば、ひとつ聞いていいか?」
「はい。なんでしょう?」
こてりと首を傾げると、赤毛の髪が舞ってふわりとシャンプーの良い匂いがする。ここに来る以前に風呂に入ったのだろう。そこは良い。そこは良いのだが……。
「……何故、そんな格好をしている」
「おや。アルベルト様はこのような格好はお嫌いですか?」
「好き嫌いでは無い。……服を着ろ、服を」
俺はずっとフェリシアから意識的に目を逸らしていた。その理由は彼女の格好にある。――フェリシアは今、タオルケットを一枚巻いただけの姿なのだ。
(部屋に入ってきた時はいつものメイド服だったのにいつの間に……)
フェリシアは静かに微笑みながら、俺の肩にそっと指を這わせた。まるで俺の熱を確かめるように、ゆっくりと肌をなぞる。
「アルベルト様が露出されておりますので、一心同体である身として同じような格好をしただけです」
くすりと笑う彼女の唇は、艶やかに光る。
「誤解を招く言い方はよせ。俺が露出しているのは上半身だけだ。手当のためにな」
「私も隠していますよ。このタオルケット、大きいですから……ほら、胸元から膝までの長さがあります」
言いながら、彼女はわずかに肩を揺らした。布がふわりと動き、その下にある肌の感触を想像させる。
俺は彼女から目を逸らしながら、深く息をつく。
(わかってやってるな、こいつ……)
フェリシアは俺の反応を愉しむように、指先をすっと俺の胸へと滑らせた。氷のように冷たい指が、火照った肌を撫でる。その感触に思わず息が詰まった。
「私とあのようなことをしたのに、まだ恥ずかしがっているのですか?」
「……未遂だろう」
「では、シてみますか?」
ふわりとシャンプーの香りが鼻先をくすぐる。気がつけば、彼女は身体を押し当ててきていた。
肌に触れる熱。密着した柔らかさ。
鼻先が触れ合うほどの距離で、琥珀の瞳が俺を見つめる。
喉が、ひりつく。
「つまらん冗談はよせ。何を企んでいる」
「本気ですよ……確かめてみますか?」
フェリシアはそう言うと、そっと唇を近づけ――。
――その瞬間、コンコンっと扉を叩く音が響いた。
「お兄様、アメリアです。少しお時間をいただいてもいいでしょうか……?」
アメリアの声に、一気に頭が冷える。
「フェリシア」
「私を受け入れてくださる準備が整いましたか?」
「……フェリシア」
もう一度名前を呼ぶと、フェリシアは数拍かだけ視線を落とす。そして、俺にのしかかるその重みが、ふっと消えた。
「……それでは、私はこれでお暇させていただきます」
「ああ。……その格好で戻るのか?」
「まさか。きちんとメイド服に着替えます――このように」
瞬きした一秒にも満たない時間で、フェリシアはタオルケット一枚の姿からメイド服へ着替えてみせた。
「……なんだその技術は」
「メイドの嗜みでございます」
(……早着替えだとしても、着替えたってことは一瞬だけでも目の前で裸になったってことだよな…………うん)
そんなくだらない考えが頭をよぎり、妙に鼓動が速くなるのを感じる。
そんな俺を落ち着かせるように深く息を吐くと、上に適当な服を着た。そして、そのまま部屋の扉を開ける。
「あ、お兄様……!」
「アメリア、どうした?」
そう聞いてみると、アメリアは耳を真っ赤にして俯いた。
「そ、その、……寂しかったので、お兄様とお話したいな……と思いまして。……その、迷惑でしたら断っていただいてもよろし――」
「問題ない。部屋に入れ」
「は、はいっ」
一人暮らし、とは少し違うがこれまでとは生活が一変する。それにより不安や孤独感が増すのは当然のことだ。
アメリアを連れて部屋に戻ると、そういえばフェリシアをどう説明しようかとふと思う。けれど、その心配は杞憂に終わった。
「……忍者のようだな」
いつの間にかフェリシアの姿が消えた部屋を眺めながら、俺は思わずそう呟いた。
☆ ☆ ☆
試験を終えて、今日から本格的に授業が始まる。
朝から貼り出されていたクラス分けの表に従い、俺は教室に足を進める。
今日、というか学園生活初めの授業は魔法学についてだ。先日の魔法試験の結果を元に割り振られたクラスに入る。
教室に入ると、一斉に視線が集まるのを感じる。
当然だ。大貴族である俺がこのクラスに来たのだから。
「あれっ!? 昨日の人! 一緒のクラスだったんだねー!」
クラスの一人が声をあげ、親しげに話しかけてくる。
そして、もう一人。トゲトゲしい目をした男が話しかけてきた。
「はっ。あんた、偉い貴族サマなんじゃねぇのかよ。どうしてこんなド底辺にいるんだ?」
ここはDクラス。
四つに分けられるクラスのうち、一番下のクラス。ここには俺と同じかそれに近い身分の人間なんて一人もいない。
――ここが俺のクラスだった。




