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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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囚人の群像 過失の炎と鉄の償い

作者: 香取祐介
掲載日:2025/11/14

一瞬の光が、永遠の闇に変わる瞬間がある。香取ゆうにとって、それは雨の日の夕暮れ、一瞬だけスマホに目をやった、その刹那だった。彼女は過失によって、見知らぬ誰かの未来を奪い、自らの人生をも奈落の底へと突き落とした。


鉄の扉が閉ざされたその瞬間から、ゆうは「囚人番号」として、刑務所という名の冷酷な舞台に立つことになる。そこは、罪を刻まれた者たちが、過去の亡霊に苛まれながら、生を繋ぎ止める場所。暴力、絶望、そして微かな希望が、コンクリートの壁に反響する。


この物語は、贖罪の物語ではない。罪を背負った人間が、いかにしてその重みに耐え、人間としての尊厳を保ち続けるのかを描く、魂の記録だ。鉄窓の向こうに灯る、かすかな希望の光を信じて。


あなたは、罪と罰、そして償いという名の迷宮に、足を踏み入れる覚悟はありますか?

序章 鉄の扉が閉ざす世界


「ガチャリ、ガチャンッ」


鉄の扉が閉まる音は、香取ゆうの人生を隔絶する、冷酷な断絶の音だった。


懲役二年四か月。彼女が負った罪は、自動車運転による過失致死傷。意図的な悪意は微塵もなかった。ただ、雨の日の夕暮れ、急ぐあまり、一瞬だけスマホに目をやった、その不注意。そのわずか一秒に満たない迷いが、傘をさした若い女性の人生を奪い、ゆう自身の人生の全てを奈落の底へと変えた。


収監された女子刑務所は、全てが灰色のコンクリートと、厳格な規則でできていた。私物や個人の感情は許されず、受刑者は番号で呼ばれる「規格品」として扱われる。ゆうが放り込まれた四人部屋の雑居房は、常に湿った緊張感と、歴戦の犯罪者たちの濃密な眼差しで満ちていた。


リーダー格は、窃盗と詐欺の常習犯で五度目の入所となるタツエ(推定50代)。その横には、覚醒剤で入所を繰り返す忠実な子分コウ。そして、傷害罪で収監された、若く感情的なミカ。彼女たちにとって、ゆうの「過失犯」という肩書きは、軽蔑の対象だった。


「アンタんとこ、面会があったそうじゃねえか?」


夕食後、タツエが足を組み、低い声で問い詰めた。房内には、麦飯と味噌汁の匂い、そして緊張感が充満している。


「夫です。特に変わりはありません」


ゆうは直立不動で答えた。


「へえ、律儀なもんだ。普通の男ならとっくに逃げてるぜ。特にアンタみたいな、人を轢き殺した女からはな」


ミカが鼻を鳴らした。ミカは、ゆうの「運が悪かっただけ」という顔つきが、この地獄のような場所での生活を舐めているように見えるのだ。


第一章 麦飯と孤立の始まり


午前六時のブザーが、鼓膜を突き破るように鳴り響くと、刑務所の一日が始まる。起床、直立不動での点検、無言での朝食、そして刑務作業。


ゆうの作業は洋裁工場のミシン。工業用ミシンの轟音は、彼女の心の悲鳴をかき消してくれた。


ある日、作業中にコウが小声で話しかけてきた。


「香取さん、アンタ、作業早いけど、もしかして外でもミシンを踏んでたのか?」


「ええ、以前は事務の仕事をしていました。ここで少しでも早く作業を終わらせることが、せめてもの償いになれば、と思っています」


「償い?笑わせるね」


ミカが横から声を挟んだ。


「アンタの罪は、ミシンで償えるほど軽いもんじゃないんだよ」


数日後、房内の空気は決定的に冷え込んだ。タツエが作業中のミスで減点を食らったのだ。タツエはすぐに、ゆうをスケープゴートに選んだ。


「香取。アンタ、見てたな?チクリ屋は、この房じゃいらねえんだよ」


タツエは報奨金全てを要求した。


翌朝、ゆうは決意を告げた。彼女は、タツエの威圧的な視線に屈せず、静かに直立した。


「タツエさん。申し訳ありません。報奨金をあなたに渡すことは、できません」


タツエが激昂し、殺気を帯びた顔で手を振り上げた、その一瞬。「何をしている!」という看守の鋭い声が響いた。看守の介入で、暴力は回避された。看守の去った後、房内の空気は、一触即発の凍り付いた静寂に包まれた。


第二章 溶接の炎と人間性の境界線


タツエの報復は、精神的な孤立という形で始まった。房内では、ゆうは「透明な存在」として扱われた。


この孤独に耐えかねたゆうは、担当看守に「職業訓練」への移動を申請した。


数日後、ゆうはミシン工場から溶接訓練のクラスに移された。溶接マスクの下、ゆうはひたすら鉄を接合する作業に没頭した。


溶接教官は、ゆうの真剣さに気づき始めていた。


「香取。お前が溶接棒を握る手に、躊躇いがある。火花を怖がるな。お前が手を動かさなければ、何も繋がらないんだ。過失を恐れて立ち止まっても、何も償えないぞ」


しかし、雑居房での無視は続いていた。ある夜、ゆうは布団の中で、息を殺して泣いていた。その時、房の隅で寝ていたコウが、小声でつぶやいた。


「...バカだね、アンタ。大人しく金渡して、塀の外の旦那と仲良くしてりゃよかったのに」


第三章 償いの重さと決意


溶接技術が上達する中、ゆうは刑務所内の被害者参加制度に関する講習会への参加を決めた。


講習室で読んだ被害者遺族の手記が、ゆうの心を深く抉った。


「私は今でも、娘が帰ってくるはずだった時間になっても、車の音がしないことを待っています。あの女が償うというなら、私と同じ苦しみを味わえ。あの女は、日常の不注意で、私の人生を永遠に奪ったのだから」


手記を読み終えた瞬間、ゆうの身体は震えが止まらなかった。


講習会から戻ったゆうは、タツエへの恐れが薄れていることに気づいた。彼女は、不正に屈するよりも、規則を守り、孤独に耐えることこそが、自分が背負った罪の重さに対する、唯一の真摯な抵抗だと悟った。


その夜、消灯後。タツエがわざとゆうの布団を踏んで通った。ゆうは何も言わず、無言でその屈辱を受け入れた。


タツエは予想外の反応に戸惑ったのか、舌打ちをしながら自分の布団に戻った。


翌朝、ゆうは静かに朝食を摂り、訓練棟へ向かう隊列に加わった。孤立は続いているが、彼女の表情は以前よりも凛としていた。彼女は、「償い」とは、自分が負う苦痛の総量ではなく、他者が背負う苦痛を、毎日忘れずに生きることなのだと知った。


鉄の扉が閉まる音は、相変わらず冷たく重い。だが、その音はもはや、彼女の人生を閉ざす音ではない。それは、彼女が今日という日を、一人の人間として、そして償いを続ける者として生きるための、日々の区切りの音に変わっていた。


香取ゆうの刑務所生活は、報復や生存ではなく、「償い」という、より困難で、尊い目標へと、今、確かに向かい始めているのではないだろうか?


(完)

物語を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


香取ゆうの物語は、決して特別なものではありません。誰にでも起こりうる、日常に潜む一瞬の過ちが、人生を大きく変えてしまう可能性を描いています。


刑務所という閉鎖された空間で、ゆうは罪の重さと向き合い、償いとは何かを模索します。その過程で、彼女は絶望や孤独を味わいながらも、人間としての尊厳を保ち、未来への希望を見出していきます。


この物語を通して、読者の皆様に問いかけたかったのは、以下の点です。


- 罪とは何か?

- 償いとは何か?

- 人間にとって、希望とは何か?


これらの問いに対する答えは、一つではありません。読者の皆様それぞれの人生経験や価値観によって、異なる答えがあるはずです。


この物語が、皆様にとって、罪と罰、そして償いについて考えるきっかけとなり、より良い社会を築くための一助となれば幸いです。


最後に、この物語に登場する人物や団体は、すべて架空のものです。実在の人物や団体とは一切関係ありません。

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