死後の世界
日本、長崎県。生まれも育ちも長崎。名前長月陽佐。年齢17歳。職業 学生。僕は今日9月18日、死亡した。
死んだ瞬間の事はよく覚えていない。でも確か、車に轢かれた事故死だったと思う。
死んだ僕は今、道路に大の字で寝っ転がっていた。
状況が分からない。体を起こして、全身を見る。どこにも怪我は無い。しかし、僕が死亡したというのは事実だ。
何故言い切れるのか。それは周りの景色にある。今は秋のはずなのに、辺りは蝉の鳴き声こそ聴こえないが、日が照り、照り尽くしている。真夏だった。
真夏には白いワンピースと麦わら帽子の少女がよく似合う。しかし、僕の目の前にいるのは麦わら帽子こそ被っているけれど、中年太りがぽっこり出ている白いシャツを着たオッサンだった。
オッサンは僕が目を覚ましたのに気が付いて、こちらに駆け寄って来る。
「よっ、新入り。」
何の事だろうか。僕は生まれてこのかたバイトの一つもした事が無い、社会不適合者なのだけど。
「君はどんな死に方をしちまったんだい?」
「道路って事は轢かれたかい?」
オッサンは腕を組み、僕の周りを見ている。
オッサンよ。見るなら道路では無く僕を見て欲しい。今の僕の顔をよく見て欲しい。鏡こそ無いから断定は出来ないけれど、きっと相当に怪訝な顔で、顔が歪んでいるから。
しかし、オッサンは待てども僕を見ない。あくまで、僕が質問に答えるのを待っているのだろう。
仕方なく、僕は質問に答える事にした。僕が質問をするのはその後だ。
「そうです。車に轢かれてしまって。」
オッサンはやっと俺の方を向き、目を見て。自分の顎髭を撫で始めた。
「あらら。そりゃ不運な事だったね。まあでも自殺じゃなけりゃ何でもOKさ。」
何故自殺は駄目なのだろうか。あれかな。自殺は自分自身を殺している。貴方は殺人犯だ。だから自殺は駄目っていうのをどこかで聞いた事があるけど、このオッサンもそういう面倒くさい考え方なのかな。
「君、名前なんて言うの?」
その問いに、バチバチ思春期、反抗期の僕は少しムッとして答えた。
「長月陽佐です。」
「陽佐?へぇ。女の子みたいな名前だね。」
「よく言われます。」
僕はより一層と顔を顰める。そして思う。人に名前を訊く時はまず自分から名乗れよ、と。
「じゃあ陽佐君。僕の仲間を紹介しよう。」
仲間?そういえばさっき新入りとか言われたな。何かの組織があるのか?
と、疑問を持った僕だけど、それよりも尋ねたいことがあったので、それを優先させる。
「あの…。」
「横手だよ。横手繁信。」
やっと名乗ったか。
「横手さん。正直、分からないことだらけなんですけど。まずここは何なんですか?見た所僕が住んでた町みたいですけど、人はいないし、秋だったのに夏になってるし。」
横手さんは、「ああ。」と言った後、流れていないのに汗を拭う動作をした。
そういえば、僕も汗をかいていない。とそこで、ふと気づく。
「陽佐君は、死後の世界って信じるかな。よく言われている、死んだ後の魂が行き着く場所とか言われているけど。」
「ええ。まああったらいいな程度には。」
「それがここなんだよ。」
横手さんは、僕に手で合図して商店街に入っていく。
「死んだ人間。ここにいるのは長崎で死んだ人間だね。そいつらだけがいる世界。」
横手さんはまたも首に掛けてあるタオルで、額を拭う。
汗なんて、一雫もかいていないのに。
「この世界はいわば、元の世界の鏡写しなんだ。」
そこで横手さんは、僕にクルッと向き直り、ズボンのポケットに両手を入れる。
「ほら、なんだっけかな。ドラ◯もんでそういう道具あったよね。」
確か、兵団の映画だったかな。横手さん、見るからに歳行っててドラとか知らなそうなのに。よく知ってるな。
「町も、そこにある何もかもは元の世界となんら変わらない。でも生きた人間はどこにもいない。」
何ら変わらない。そうは言うけれど、しかし、よく見ると微妙に違う箇所もある。
「横手さん。でもここは夏じゃないですか。本当は秋なのに。」
「ああ。それは世界がそうしてくれているんだよ。」
どういう事だろう。僕はそのままそう訊いた。
「どういう事です?」
「よく、夏の心霊番組とかあるだろ?そういう感じで、夏は唯一こちらの世界から、生きた世界に干渉出来る季節なんだ。」
「たまに見える幽霊とかは、その干渉して来た奴さ。」
「なる…ほど。」
僕は幽霊なんぞ、見えた事は無いのでいささか反応に困ったが、こういう時はとりあえずなるほど。と言っておけばいいのだ。必殺なるほど。
「さ、着いたよ。」
横手さんは、そう言って雑居ビルの前に止まった。
古びたビル。
「ここに、さっき言ってた仲間がいるんですか?」
とても、そうは見えないのだが。人が住める雰囲気じゃない。ここに住むのは、それこそホームレスとかぐらい。
「ああ。いればだけどな。」
言ってる意味が分からない。けども、とりあえず、僕は横手さんに、着いて行く。階段を一歩。また一歩と上る度に、前を歩く横手さんの顔に陰りが強くなる。
そうして、3階の事務所のような扉の前に着いた所で、横手さんは思い切り扉を開けた。
「帰ったぞ!」
そして、部屋全体に響き渡る声で叫んだ。しかし、中から返事は無い。物音一つ帰って来ない。
横手さんは、扉を閉めて、階段に座り込んだ。
「あの、どうしたんですか?」
僕はさっぱり状況が分からなかったので、そう訊いた。
横手さんは、天井を見上げる。そして、今度はタオルで、目を拭いた。涙なんて出ていないのに。
「今日の、朝まではここにいたんだよ。」
「その、仲間がですか?」
「ああ。そうさ。でももういない。この世界にいるのは僕と陽佐君だけになってしまった。」
オッサンと二人きり。狭い世界で何も起きないはずも無くって奴だろうか。僕は少し横手さんから距離をとった。
しかし、当の横手さんはそんな変態じみた顔でなく、もう真っ暗な顔で、遠くを見つめるような目で、呟く様に話始めた。
「昔はね、もっと沢山人はいたんだ。あの頃は賑やかだった。死んだ者どうしで慰めあって、時には家族に会いたいって奴を何とかして会わせようとみんなで力を合わせたり。」
「死んじまったんだからと、吹っ切れて、夜通しみんなで酒を飲んで、食べたいもん食べて町中を走り回ったり。」
やりたい放題やってたんだな。
「でも。そんな生活にもみんな嫌気がさしたのだろうね。ただ何も無い。変わらない世界で、何か目的がある訳でも無く、使命が与えられる訳でも無く。ただ永遠共言える時間を過ごす。気が付いた頃には、人は僕とこのビルに住んでた奴しか残ってなかったよ。」
待って。待ってくれ。この話を聞く限りだと最初は沢山人がいたのに、今はもういない。って事はこの世界から出る方法があるのか?
「みんな、どこに行ってしまったんですか?」
「そうだね。あの世なのか、生きた世界なのか。僕には分からない。」
「待って下さい。あの世というのはここではないのですか?」
「ここは死後の世界だ。あの世とも言えるのかもしれないけど、みんなはここではない他の世界に行ってしまった。」
話が見えてこない。理解が難しい。
横手さんは、そこで重い腰を上げ、階段をゆっくりと、力無く下り始めた。
「どこに行くんですか?」
僕の声に、横手さんは止まらない。
「もう僕は疲れてしまった。せめて三人いれば、何とかなると思っていたが、後一人待つ元気が僕にはもう無い。」
横手さんと僕は雑居ビルの前の道路に立った。横手さんは僕に背を向ける。
「陽佐君。君を一人に、孤独にしてしまう事を申し訳なく思うよ。しかし、僕はもう自分の事しか考えたくない。楽になりたいんだ。」
横手さんは、またタオルで額を拭った。
再三言うけれど、汗は流れない。横手さんからは、もう何も、流れない。
ふと、瞬きをすると、僕の目の前には何も無かった。ただ残ったのは、この陽に強く照らされた、雑居ビルの深い影だけ。
横手さんは言った。楽になりたいと。最期にそう言い残した。
死後の世界に来てまでも、楽になれないのなら、次に僕はどこの世界に行けば良いのだろう。僕はどこまで行けば楽になれるのだろう。
深い影が僕を包む。僕からはもう何も流れない。