出会い
九月一日ほど呪われた日は無い。十三日の金曜日と間違えて三十一日の有象無象をしこたまぶっころしてくれれば休めるのにと、構わず平和な制服姿に混じって私は鞄を揺らしていた。
やけに尖った鉛筆が鞄の内側でキツツキのように叩いている。でも悪いことばっかりではない。高校という最も被写される場所をまじかで写生できる。生々しい学校模様を原稿に刻み込める。これこそが女子高校生が人生で最も優れた女の美の時代であるのと私は訴えたい。たとえば夏休み明けにチャラチャラしだした教室の元こちら側に。
私は等々描き尽くしたマイケル〇ジャクソンの像を窓から眺め、あれ、ない? そこにあったのは長くサラサラにした茶髪のコンタクトに変えて目がぱっちりした可愛らしい私だった。
「うーまんいんざみらー?」
黒板を見ると『席はもう変えておいたよ!』と書いてある。ちょうど私はここ、窓際の一番後ろだった。今日の朝日はやけに眩しい気がした。私の新しい高校生活がはじ――まるわけがなかった。
朝のホームルームのことでした。教卓前の男女がイチャイチャしていて、それを男子が鬼のごとく睨みつけているのに私も混じっているところでした。私はまだまだ腐女子のようです。これは後でわかります。そこに見たことのないピチピチの先生がやってきて出席を取りました。
そのところの会話です。
「ねぇ、理さん。私はずっとあなたと一緒ですよ」クラス一の美人が霞さんがすりすりしている。
「ああ? うん? そうだね? そうだね?」喉に朝食を詰まらせたのか真っ青の理君だ。
「はい。次、茨田さん」
「あいよ~」
「……次、遠藤則夫君」
「は、はぁい!」
「ええじゃあ、大野君」
「もぐもぐ。はい、美味しいです!」
「先生は美味しいぞ~でも女性に美味しいはセクハラだから。ちゃんと返事しな~次、霞さん~?? 霞さん?」
「今は霞じゃないです。嫁に入ったので。今は浦嶋だ」
「じゃあ浦嶋さん」
「はーい♡」
教室がざわざわした。ついに男子が水筒だけじゃなく机や椅子まで投げ始めた。語尾の変な陽キャの人と陰キャのグループまで投げてる。
「理~放課後、体育館裏来いよ~?」
「浦嶋君~体育館倉庫来なよ。焼き殺してやるから~」
「放課後……放火後!? 蘭が危ない! らーん!!」浦嶋君が発狂した。
「はい。理君、落ち着いてくださいね」先生が宥める。
「先生。蘭が危ないので早退します」
「帰しませんよ?」先生は黒の組織のスパイ。
先生はふたたび出席を取り直した。次は私だ。
「えーっと、椋木花楓さん」
「はい(もきゅん)」
……
……
……。
教室が凍った。私の高校生デビューに見惚れている……わけではない。車に轢かれる寸前の老人のような顔をしてるもん。
ドブネズミが猫の真似をすると人間は熊を見るかのような怖がった目をします。私はここから窓ガラスを割って逃げたい気持ちになりました。そうすればもちろん死ぬとわかるくらいには頭は悪くないので、ホームルームが終わった後トイレに行って化粧を落としました。眼鏡。それは私のあいでんてぃ。いつもの私にBack to the future。こころはとても重くて水にも涙にも流れません。
私は日当たりの良さこそ自慢できても風の強さとそれに靡くカーテンに顔を叩かれるのを耐えながらふたたびの学園生活に戻りました。私が学校だけでなく昼夜問わずやること、漫画です。分厚いようで薄っぺらい紙を狭い机に広げて、線を引きます。私は同人誌をなんだかんだ売り上げるくらいに評判がある女子高校生漫画家なのだ!
高校は良い。これは持論だが、同人誌の半分は高校生が出てくる。けれど描いている人はおっさんばっかりだ。その点で私は現役女子高校生。詳細に背景、心情を描ける。これは高校なんかじゃないって言われれば、原稿をその顔に叩きつけ、たっぷりと青春の香りを味合わせてやればいい。きっとオトナ帝国のひろしの気分になるだろう。知らないけれど。
授業中、休み時間、私は漫画を描き続ける。現実逃避をする。いや、ある意味で現実直視かもしれない。私ほど学校の光景を描いている人はこの学校にはいないだろうから。でも私がこうするのはまぎれもなく現実逃避だ。私のこころはつねに原稿用紙の小さな窓の内側にしかないとさえ思う。現実は窮屈だ。昼休みは友達と遊ぶ彼らがうるさくなってしまって、図書室に籠る。
図書室はいつもガラガラだ。学生の本分が勉強ならば図書室ほどうるさくあるべきだろうか。そうでもなければ授業が充足している証明か。きっとどちらでもない。どちらでもいい。ともかくここだけは一人ぼっちでいても変じゃない。目立たない。周りの人が私のことをどう思っているかなんて気にしなくていい。最も静かな人がもっとも目立つのも、陽子と電子という友達の二対が引き合う原子という教室の現象で、ここはその外だ。私は個として存在できるし、許される。
私は何のためらいもなく筆(青春)を謳歌する。原稿は進んでいる。
内容はこうだ――高校一年生の魚寒はいじめられていた。ある日、野球部の銀という漢に出会う。銀は魚寒を助け友情が芽生える。でもそれは銀だけで、魚寒が抱いていたのは友ではなく恋。銀の血飛沫が桜のように舞って、それが恋の息吹になった。けれど銀は忙しい身、魚寒はなんとか銀の気を引こうとわざといじめられる。不良に殴られる。魚寒の銀と会いたかった。男の結晶たるあの岩のような拳に出会いたかった。それだけでない。抱擁。あの屈強な胸板に包まれたい。だから魚寒はだんだんもっと強い不良に喧嘩を売るようになる。ボロボロになっていつか抱きかかえられたいから。そんなときに銀は――秋の風が原稿を吹っ飛ばした。
「あわわわわっ!!」
まるでそれは春風のように原稿は舞う。私の心臓はバラバラになりそうだった。夢の欠片を集めているつもりが指を滑る紙は逃げる鳥のよう。眼鏡が落ちました。
「私のあいでんててぃ」
「アイアンメイデン?」
「私のアイデンティティ!」
社会からすれば当たり前の差し伸べられた手が原稿と間違えて私の手の上を触った。ほんとうにアイアンメイデンみたいだった。彼の手には棘がついていた。それが私に刺さって、彼は離さなかった。原稿は私の心臓だ。だから手を貫いた棘の行く先はそこだった。私は彼に心臓を突き刺された。アイアンメイデンの抱擁のつもりだ。男の子の角ばった手の、紙とは違ってごつごつとしたたしかにある骨格がまるで襞のように私を抱いてしまった。それでいて私は蜘蛛にかかった蝶の気分でもありました。
もしも私が女の子で、その細い体がゆえに男の子に恐怖するとしたら、きっと恋とは危険なものなのです。ホラーなんです。でも私の刺されたこころは確かに彼を求めている気がした。この恐怖を! 死を!
……浦嶋君はムンクの叫びのような凍てついた顔をしていました。違った。これはただのホラーでした。浦嶋君は”私の原稿を見てしまった”。
細いムンクの叫びの顔、まるで魚の顔。それでいて今青い、凍てついた寒い色。合わせれば魚寒。




