俺の夏休みは終わった
この夏のギラつく太陽がいつかの砂浜にもあったなんて思えない。この惨状の共犯者がいつでも同じ顔をしていたのだ。時に親切に、楽しく、そしてこんなにも残酷に。
「最後の問題です。浦嶋君。君に相応しいのは霞京子と渡里天音、どちらですか?」
最後の問題。霞京子は依然として聖母のように微笑んでいた。そこに表面的な脅迫はない。あるのは美だけだ。ずっと前からある慈愛に満ちた完全性だ。完全な善意、絶対正解の愛のようでもある。だから恣意的なものは無かった。でも何か強い重圧を感じている。
一方で天音は依然としてふつうの少女だった。「動物さんがぁ」とびくびくしていた。びくびくする振動が超音波になって、ドローンが異常気象で死ぬ蝉のようにバタバタと落ちていった。血だまりにポチャポチャと。
それでハッとしたらしい。気を取り直した。
「って、え、私と霞さんのどちらって、なに? ふさわしいって?」
「なにを言ってるの渡里さん。私とあなた、理さんと添い遂げるのはどちらかって理さんに聞いているのよ」
「そ、そうだよね。やっぱり。でも、そんなこと、意味わかんないよ」
俺を挟んで会話する二人。なにを優雅にしているんだ天音。もしも俺が天音を選ばなかったら、天音もどうなるかわかったもんじゃない。霞はたしかに微笑んでいる。しかしそうだ、この惨状は霞が作ったものだ。騙されちゃいけない。
と、目で訴えても、天音はどうしてかポカンとしていた。
すると霞が訊いた。
「なにがわからないのかしら」
天音は無知なのか。それとも覚悟が決まっていたのか。それでもやや震える声で言った。
「だって――私も霞さんもべつに理君のこと好きじゃないじゃん」
霞はしばらく固まった。あの笑みが無くなった。なにがわからないのか、わからない。という以上に霞にとって天音は余りにも異質だったみたいだ。天音がなにをいっているのか、どうしても理解できない。霞は賢い。すぐに言葉の意味を理解できる。にもかかわらず、どうしても見つからないのは、そもそも天音のその言動そのものが人間じみていないのだ。論理や理論とはかけ離れた、より感覚的な、それにしても感覚的すぎる言い分だった。
そうなると、思考してできた論も通用しないということなので、霞は感情的になるしかなかった。
「違うわ、私は浦嶋君を愛しているわ!」
「ええ、そうなの? だっておかしいよ! 理君ってどこにでもいるただの高校生だよ! イケメンじゃないし、何の特技もないよ!」
「だ、だったらなによ!」
「おかしいよ!!」
「おかしくないわ! というか、おかしくってもいいわ! 私は浦嶋君を愛してる!」
「ダメだよ! そんなの!」
しっとりしていた霞の声が高く、女らしく響く。天音はどこか嫉妬? しているのか。霞を必死に批判する。
霞は我慢の限界だったろう。天音にどういわれようが、霞は俺を放したくない。というか、霞、いつのまに俺に掴まっていた?
「なに!! もしかして天音さん、彼のことが――」
「違うよ!!! 理君が霞さんみたいな美少女と付き合うとか私、許せないもん!!!」
「……えぇ」
天音の目は真っすぐだった。言動に見合わず、真っすぐだった。だから霞はやや気圧された。
いや、それ以上にその言動は恋敵のものなのか。霞にとって天音はまごうことなき恋敵、のはずが、自分を褒めているのか貶しているのかわからない批判をされて、ではそれが自分を混乱させるための作戦かといえば、それも違う。つまり霞はまた、天音がわけわからなかった。
それをたしかにしてやったぞと思ってニヤついた天音は、畳みかける。
「理君のどこがいいの!!」なんで俺が傷つ――、
「どこって! ゲームうまいじゃないっ!!!」
「……えっ」
霞の目は真っすぐだった。言動に見合わず、今までのことに全く見合わず、一言だった。当然、天音はわけがわからなかった。
さっきので俺はやっとわかった。天音がここに来た理由が。天音は俺と霞が付き合うのが気に入らないらしい。恐らく、天音は俺を大した男ではないとみている。でも天音は自分を可愛いと思っている。そんでもって俺が天音を好きにならないのをおかしいと気に入っていない。だからこそ天音は俺が天音よりも下で、そもそも可愛い私が不細工な理君なんかと付き合うわけないじゃん! ゲラゲラ! と納得していた――ところに自分よりも遥かに美少女の霞がやってきて、俺に惚れこんで、天音は自分のプライドが傷付いたのだろう。理君に惹かれなかった自分は、その理屈の逆で、自分こそが理君より劣ってたってこと? と。
そうでもまだ俺に魅力があるのかもしれない。霞さんのことだ――というところでゲームがうまいだけ。
「ゲームうまいだけじゃんっ!!」
「べつにいいでしょ!」
「よくないよ! 理君って、結構、減点できちゃうよ!」
「私はそれでも愛せるわ! そんなところも素敵でしょ!」
「あれ、なんかドキッとしたわ」
「理君は黙ってて!!」
これ俺当事者俺。
「あなたみたいなお転婆にはわからないのでしょうね。彼の配信だって見てないでしょ! あんなに楽しく、私たちを楽しませてくれる人いないわ! 私でも絶対にできないし、あなたなんか百年かかっても無理よ! それに声もカッコいいし!」
「ゴホゴホ、あ、あ、ハイ」
「理君は黙ってて!! え、でもゲームうまいだけじゃん。それよりさ、イケメンとかお金持ちとか、優しいとか性格良いとかあるじゃん! 」
「だってゲームうまいもん」霞はぽっとした。
「なにその、足速いからかっこいいみたいな価値観!!」天音はゴロゴロと怒っていた。
執事は傍から見てそれを「穏やかですなぁ」と見ている。全然違う。
メイド少女は「馬鹿みたい。帰ろ帰ろ~」と呆れ帰った、我が妹は「動物さん……さっき飴くれたのに」と悲しんでいた。陽キャはなんか身支度を整えていた。
「いいわ、そんな道理なんて。浦嶋君、決めて。私と彼女、どっちと結婚するの?」
「結婚……?」
「もちろん、あなたのことを誰よりも理解している私でしょ!!」
「理君、身の程を弁えてよ!!」
「天音この野郎」
とにかく天音なんかと付き合うなんて論外だ。もう死んでもこんな女と付き合うもんか。俺のことなんだと思っている。べつにいいだろ、俺が霞と付き合おうとも。だから俺は霞を――と、流されてはいけない。霞が上目遣いで俺をじーっと見ているのはたしかに可愛いし、今すぐ結婚したくなるスペックでもあるし、将来安泰だし……非の打ちどころなさすぎるし。結婚したいかも。
しかしもうわかっている。これは恋ではない。重圧だ。俺が彼女を選んだとしてそこに恋なんてこれっぽっちもない。彼女にある美に俺は惑わされているだけだ。また惑わされてる。
なんかもう嫌だな。ああ、そうだ。それが嫌だったのか――めんどくせえ。霞京子って、めんどくせえ。俺は何度、あれに恋して葛藤して、また恋するんだ。もうなんかめんどくせ。
俺は彼女を突き放した。
「霞、ごめん。俺はお前とは付き合えない」
綻びた彼女の面。目を見開き、パチパチさせ、強張らせた顔。化け物みたいな、霞の悲惨な女の顔。荒くなる息。
「なんで。なんで!」
それでも俺は突きつけた。いや、もっと言ってもいいかもしれない。それくらいしなきゃ、この女はくたばらない。
「霞が嫌いだ」
いつの日にか俺は思っていた。どこかの曲がり角から彼女がやってきて恋できないかとか。学年一の彼女といきなり同棲して、親しくならないかとか。ちょっとだけだけど、彼女が、実は俺のストーカーで両想いでした――そんなのを夢見た。たしかに俺は霞京子に惹かれていた。
でもそう思ったのは彼女が絶対に手に届かなかったからだ。そう妄想しても怖くなかった。
今は違う。実際にそれが現実となった。そのせいで、滅茶苦茶だ。俺の夏休みは。俺はこいつのせいで誘拐されたし、それに、しばらく配信できてない。ゲームできてない――こんなにまで都合の良い恋が、クソしんどい。好きな子がいつの間にか自分のことを好きになっていたら気持ち悪い。
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃない」
霞は泣いた。水滴一つ垂らさなかったあの頬から涙が流れていた。
メイド少女が「うわー、泣かせた!」とわーわー言ってくる。「黙ってろよ」と俺は言い返した。
「理君。大丈夫? そんなに嫌いだったの?」
「いや、べつにそうじゃないけど。やっぱり言い過ぎた?」
「うーん。私はとりあえず――逃げた方がいいって思う!」
「え?」
「――ふふふ……」
啜り泣きが啜り笑いに変わった。霞は目を隠したまま壊れたように笑いだした。執事が心配してやってきた、それを払った。メイド少女は電話をして「ヘリヘリ!」と慌てて逃げ出した。
笑いが途端に止み、霞は大笑いして叫んだ。
「じゃあすべて、なくなっちゃえばいいわよね?」
霞はスマホを取り出すとポチっと押してしまった。どうやら天音の予感は的中したようだ。どかーんと、爆発音が瓦礫がどこからか飛んできた。
「え、嘘だろ」
「ヤバい! ヤバいよっ!」
もしかして爆破した? と驚く隙なくとたんに連続的に色んなところから爆発音とその振動、臭いが。「わっはっはっは!!」と大笑いする霞の声に木霊するように会場は爆発していく。
「おにーちゃん!」
「我が妹!!」
妹のほうに柱が倒れていった。それを陽キャが引っ張って助けてくれた。陽キャは「こっちはいいから、お前ら逃げろ!」と叫んだ。
「かっこつけやがって」
「理君、こっち! ここから外に出よう!」
俺は天音についていってこの場から逃げることにした。でも崩壊音に掻き消されつつある笑い声、瓦礫に隠れていく霞の姿が少し、心配だった。それももう瓦礫が阻んで俺にはどうしようもない。執事が何か叫んでもいた。
ともかく俺と天音はこの崩れる会場を出た。夏の樹海、じめじめとした空気が鼻を刺した。
「ふぅ、なんとかなったか」
「なってないよ!!」
たしかにそうだった。爆破音は止んでいなかった。それに地面が揺れていた。地震? 天変地異? 樹海の木々が倒れていく。
「理君、早くここを出るよ」
「ここ?」
「話してる時間ないよ! 早く浜まで行って、出ないと!」
俺と天音は走り出した。倒れる木々。揺れて覚束ない足。後ろを見れば完全に崩壊した屋敷と会場、それから引火して燃えていっている森。巨大なドームはまだ夏の日差しを反射し続けていたものの、だんだんと地震が強くなっていて、持たないだろう。
ん? おかしい。天音の姿がなくなった。と思って後ろを見ると、天音が転んでいた。
「いたたた」
「大丈夫か」
「ちょっと足捻っただけ。急がないと」
天音は走る。遅い。俺の後ろをついてくるので精一杯だ。いつもならもちろんこんなことはないのだが、怪我が深刻なのだろうか。
混沌とする樹海。一刻も早くも逃げた方がいい。となると俺は天音の手を引っ張って走った方がいい――けど、なんか、それは、ちょっと恥ずかしいというか。
俺は手を繋ぐか繋がないか、伸ばし伸ばさずと、うねうねさせていた。
「あっ! あそこだよ!」
「あ。海だ」
「あとちょっと――うわっ!」天音の背中がいきなり消えた。
「おい、天音っ――うわっ!」と思ったら俺も消えた。
地面がない。踏み外し、転び、坂をゴロゴロと転がった――気づくと、あったのはプニプニとやけに柔らかい何かと、口に、唇にピタッとしっとりとした何かが触れていた。その隙間からは鋭く湿った風が、それがそのまま俺の口から喉、肺に。少し息苦しい。
「あ、天音??」
「理君?」
うん? 俺は天音の上に乗っかって、唇を合わせていた? 押し倒れたような天音のうるっと涙ぐみつつも蕩けた瞳、日陰に溶けてもなお白い肌、弱弱しく微震する唇。乱れた長い髪が土について汚れている。天音は目を逸らし、恍惚として、じっとしていた。
俺の頭はひとつ支配されていた。今ならこの子を――ん、誰か来る? 俺は咄嗟に天音から離れた。天音はややムッとした。
「おーい! 理~天音ちゃん~、どこにいるんだーい? あっ、見つけた!」
大野が木を持ち上げて、やってきてた。その奥には浜とそこに乗った船が見えていた。
「大丈夫かい? ボロボロだけど」
「大丈夫だ。問題ない。てか大野、無事だったのか」
「ああ、あのあとなんか飲まされた気がしたけど、メイドっぽい子が助けてくれたから。それに――」
「お兄ちゃん! 早くして! この島もう持たないよ!」
「べつに来なくてもいいが、俺と妹ちゃんで逃避行しちゃうぞ~!」
「陽キャめ。やはり我が妹を狙っているのか。許せん」
俺は大野に起こされ、ムッと頬を膨らましてペタン座りしたままの天音の手を、半ばイライラしながら掴んで、無理やり起こした。
「乱暴」
「いつまでも怒ってるなよ」
「理君の無責任……」
天音は唇を噛んでよくわからない顔をした。俺はなぜかドキッとしてしまった。が、それどころではないのでさっさと「うわっ!」と躊躇する天音に構わず、引っ張って船に乗せた。
大野が船を押していく。体格に見合って意外と力があったらしい。
「よいしょっ、よいしょっ。ふぅ……僕らの夏休みももう終わりだね。理、いいのかい? 帰るけど」
「いいに決まってるだろ」
「僕も美味しいもの食べたかったなぁ……よし、行こう!」
船がドンと揺れた。転覆するんじゃないかってくらい。揺れ、崩れ、燃え盛る島。海はどういうわけか穏やかだった。
名残惜しさはある。俺にとってこの島は楽園だった。霞は女神だった。
「理君。後悔したって遅いよ?」
「いや、どうぞしてもらって、船降りて戻ってもいいけどな」
「こいつら……」
「お兄ちゃん、帰って来てくれて良かった!」
抱きついてすりすりしてくる我が妹は最高に我が妹だった。陽キャの冷めた目があるが、俺はお前に妹はやらんと断固として睨みつけた。
「お前ってさ、べつに妹だからいいけどさ。ここを出たってことはさ、霞さんじゃなくて天音ちゃんを選んだんだからさ。妹ちゃんばっかじゃなくてさ?」
「は?」困惑する俺氏。
「そ、そういうことじゃないし!」天音は恥ずかしがっていた。
「え? 天音ちゃん、霞さんに勝っちゃったの? わぁ! 凄いね! あの霞さんだよ!」
「そ、そうかも。そういうことかも~理君くらい貰ってやってもいいけどな。べつにいらないけど~」
なんだこの正直な夏の少女は。
「そういえばさっきはさんざん言ってくれたよな。俺が不細工とか。ゲームだけとか! 減点方式とか! 天音だって減点し放題だからな! 調子乗るなよ! べつに俺は天音が好きじゃない! いや、どっちかというとあんまり好きじゃなくなってきてる!」
「え? は? 理君、なんなの? 生意気だよ。だれが助けに来たと思って――って、ああ! 私の賞金が!」
「そういうところだぞ」
「そういうって、理君だって霞さんに満更でもなかったくせに!」
「だから断っただろ!」
「えぇー? でもなにやってたかわかんないしなぁ」
「なにもしてないが?」
「――おい、この野郎。霞さんになんかしたのか?」がっつく陽キャ。
「してないが?」
「お兄ちゃん、最低」
「してないが!!!」
金ちゃんが夏の歌の鼻歌をしながらオールが漕いで進んでいた。その頃合い。海の波面に昼に浮かんだ月があった。
その上に船を乗せると途端に風景は閃光に。それが退くと、知っている海に着いた。そのまま砂浜まで船を動かして俺たちの夏は終わる。
すっかり夕暮れになっていた。妹と天音は水を蹴って遊んでいるけど、俺たちは、さっきあった口論みたいな元気もすっかり疲れて静かになっていた。ただその浜で夕焼けに煌めく海を眺めていた。
そこにやけに元気な声が飛んできた。
「ねぇ、なに! 霞とやりあったって聞いたんですけどー!」茨田が真っ赤なオープンカーから大声を出していた。
「あっ、紗綾ちゃんだ」手を振る天音。
「え? 茨田!?」俺と陽キャはもちろん茨田にぞっこんである。俺に至っては霞京子への願望が尽きたのでよりぞっこんである。なにが悪い。
「あら、ワタシのことかしらぁ~?」とサングラスにスーツの陽気なオネエさん。
「あんたじゃねえよ!」とツッコミしたのは俺だけだった。陽キャはオドオドして大野の後ろに隠れた。いったい何があったんだっけ。
八月の太陽が沈む浜辺にさようならして、俺たちはオネエさんのオープンカーに乗って故郷へ帰っていった。俺の夏休みはついに終わった。




