第1話
うちの姉さんが、結婚することになりました。
お相手はもちろん、というか、それ以外の男の人をちょっとでも想像したと知られれば、目だけで刺し殺されるんじゃ?と最近僕が真剣に疑って、じゃない、拝察申し上げているカイエンフォール殿下です。
……どうしよう、お母さん、姉さんの無礼っぷりが、僕にまでうつってきたかもしんない。
それにしても――あの姉さんが。結婚。結婚。あの姉さんが。
正直に言うと……未だにちょっと信じられなかったり。
ううん、姉さんをお嫁にって思う人がこの世にいないとか思ってたわけじゃないよ? ただ、思ったところで、実際お嫁に出来る人がいるのかなあって思ってたんだ。
殿下、やっぱり偉大な人なんだって思ってていいと思う?
ううん、殿下に対して、『蓼食う虫』なんて無礼なことはもちろん思ってないよ? マーガレットさんも、「まあ、とんだ誤解ですわ。アンリエッタさまには美しさのみならず、棘と毒がおありですもの――蓼なんて可愛いものではすみません、ほほほ」って言ってたし……って、つまり蓼以上ってことじゃない?
……殿下、一生ついていきます。
ちなみにその後、「ルーディさまも頑張ってくださいね?」って、マーガレットさんに微笑まれた。さすが殿下の乳姉さん、笑顔が奇麗なのになんか怖かった。
けど、それより何より――『も』って何!? 僕に姉さんみたいになれってこと!?
……うん、答えは怖くて聞けてないんだけどね。お母さん、情けなくてごめんなさい。僕に宮殿生活はやっぱり厳しいよ。
ああ、そうじゃなかった。
何が驚きかって、姉さんと結婚ってものの組み合わせが驚きだったんだ。
「いーい? 惚れた腫れたなんて一時の熱病よ? かたや結婚は下手をしたら一生ものの生活問題なの。恋だの愛だのでは食ってく保証にならないのよ、ルーディ。短期間なら絶食できたって、一生おなか空かせてるわけにはいかないでしょう?」
だって、姉さん、事あるごとに僕にそう言い聞かせていたし。
「馬鹿ね、「愛がなくても、ご飯が保証されてれば良し」って言ってるんじゃないわ。そこは間違えたらダメよ? 姉さんが言いたいのは、結婚において愛は至上価値じゃないの。最低ラインなの。分かる? その上で、現実を見据えろって言ってるの」
……なるほどって、一応言っといたけどさあ、姉さん、僕にも夢とか見させてくれない? 僕まだ11だよ。
ちなみに、「愛などいらぬ!」「ご飯のため!」「お金!」と涼やかに割り切れるなら、それはそれでありらしい。言わんとすることはこれまたわかる気がするけど……だ、か、ら、僕まだ11! 夢、夢をちょうだい!
さすがに胡乱なものを見る目をしちゃったら、姉さんは「何よ、何も間違ったこと言ってないわよ」と開き直った。
「浪費やギャンブルとかの散財系の性癖があるのは、愛があったって論外! ……まあ、甲斐性なしぐらいなら、愛があれば耐えられるのかもしれないけどね……。言っとくけど、甲斐性なしなだけよ? 勤労意欲はあるし、働いてるけど、ただそれがちょっとずれててお金にならない、その他の浪費はしない……って本はいいの、本は身になるから、多分。10,000ソルドもする哲学大鑑については話し合いの余地があるけどね、うふ、ふふふふふふふ。あとは家族愛はちゃんとある、トマトはそこそこ育てられる、好き嫌いはしない、牛に足を踏まれても慌てないで半日は踏まれていられる……」
……姉さん、最後のはどう考えても当てはまるの、お父さんしかいないよ。姉さんも僕も甲斐性なしでもお父さん、好きだもんね。
うん、ほんとに血が繋がってるのかなあって思うぐらい性格違うけど、姉さんがお父さんを好きな理由は分かるんだ。
姉さんが殿下の執務補佐官になったぐらいからかな? お金を渡そうとしてきたり贈り物をしてきたりっていう人が増えたんだって。うん、もちろん下心付き――賄賂だよ。
婚約が決まってからは、わざわざリバーズの農園にまで来る人も珍しくなくて、金額も桁違いになった。
「お帰りください。私は私のために、娘に枷をはめるような真似をする気はありません。あの子がやりたいように生きられなくなるぐらいなら、命もいらない」
その人たちにお父さんはいつも笑いながら穏やかにそう言うんだ。
気付けばいいのにね、姉さんがそんな仕事についてるのに、お父さんが領地を賜ったりしなかったのはそういう人だからだって。
姉さんはいつも「そういう要領の悪さが甲斐性の悪さに繋がってるのよね」って文句言うけど、やっぱり嬉しそうなんだよ。
「いいかい、アンリエッタ? ダメだと思ったら、いつでも帰っておいで」
で、そんなお父さんはしがらみがないから、そんな風に言えちゃうんだよね。天然だって説もあるけど。
え? ああ、発表前に僕とお父さんが宮殿に呼ばれて、姉さんと殿下から婚約の話があった時のことだよ。
「お父さん……甲斐性なしな理由が分かる世間知らず発言だけど、気持ちがすっごく嬉しいわ。ありがとう……」って、姉さんは涙ぐんでたけど、僕がチラッと見た限り、殿下のお顔は引きつってらしたなあ、お気の毒に。
まあ、そんな姉さんの結婚相手の殿下は、もちろん父さんみたいな甲斐性なしじゃない。反面教師って奴?
「姉さん的最低ラインはもちろんあるんだよね?」
父さんと話を終えた姉さんにそう訊いたら、一瞬でトマトみたいになってたから、そこも大丈夫らしい。
それを見てらした殿下が不思議そうな顔してたから、後で教えて差し上げようっと。姉さんとお父さんのフォローをする僕ってやっぱりいい子だよね。
え? 王子なんだから、甲斐性があるのは当たり前だろうって?
うーん、どうだろう。だって他の殿下方は皆さま揃ってどうしようもな…………な、なし、今のなし!
え、ええと、そうだ、カイ殿下の甲斐性の話だった。あの方は貴族にも貴族以外の人にも信頼されていて顔も広いし、「個人の趣味と資産でやっている」と仰る事業も色々あって、どれも「それなりにうまく行っている」らしいから、王子なんて辞めても十分食ってける……じゃない、王子の肩書きがなくても十分にやっていけると思う。
なんだかんだ言ったって、姉さん同様したたかで腹ぐ…………お母さん、僕、やっぱり姉さんに毒されてきてるかもしれない。どうしよう、取り返しのつかないことになったら……って、また脱線しちゃった。
まあ、こんな感じで、僕からすると『僕の姉さんがお嫁に行く』だったんだけど、これ、他の人からするとそうじゃないわけ。
うん、次期国王さまのご結婚、すなわち将来の王妃さまの誕生ってことで、色んな人からこれまた色んな反応があったんだよねえ。




