後編
大ぶりの枝の上、少女の滝のようにも見える銀糸が、惜しげもなく日に晒され、風になびいている。
「カイエンフォール殿下」
その子の隣、同じ枝の上で困ったように彼女の顔をのぞき込んでいるのが、渦中のもう一人、カイエンフォール第1王子だ。
「どうなさったんですか?」
「ゾアク……」
困り顔をそのまま向けてきた殿下にそう儀礼的に返したものの、実のところ気はそぞろで、『この子が……?』と内心疑問でいっぱいだった。
思い描いていたのは賢そうで真面目そのものの、大人びた子だった。それこそ性別を一切感じさせないような……。
だが、目の前でしくしくと泣いているその子は、吹けば飛びそうに小さな体つきで、困惑と恐怖を顔に浮かべて泣いてこそいるものの、顔は可憐そのもの。
ゾアクとて小さい子、しかも可愛い女の子が困って泣いていれば、何とかしてやろうと思うくらいの神経は持ち併せている。
「……ご、ごめんな、さ……降り、な……くな、って」
しかも、不思議な色の大きな瞳に涙をいっぱい溜めたそんな子に、「でも殿下を先に下ろしてください」と嗚咽交じりにいじらしく訴えられれば、情も湧く。
彼女の望みに従い、殿下を先に抱えおろしてキーンに渡すと、ゾアクはその子へと腕を伸ばした。腕にかかる負荷をほとんど感じない幼い子に、目の前でほっとしたように可愛らしく微笑まれて悪い気はしなかった。
……そう、むしろいいことをしたようないい気分だったんだ。
どうやら第1王子のお気に入りが側役に選ばれたらしい。それはそれで微笑ましいか、と思って、あんな子が第1王子の側役なら、大人の嫌な思惑で被害が及ばないように少しぐらい気を払ってやろうと思うくらいに。
「アンリエッタ、大丈夫? 泣くぐらいならなんで登ったりするの?」
「大丈夫に決まってるでしょ、泣いたのはさっきの公爵がいたからよ。怖いわけないじゃない、りんごとか杏とか日々木に登って採ってたのに」
――さっき丁寧に礼を言って、手を繋いで駆け出していった2人のそんな会話を、こっそり寛ごうと寝転がった茂みの影で聞くまでは。
「つまり……またなんかろくでもないことだね、アンリエッタ」
「ろくでもないことって失礼ね、カイ。だってあの人、私を見に来たって言ったのよ? 可愛い、いい子にして見せておいたほうが、後々騙されてくれるってものじゃない」
「……」
(つまり……なにか、俺としたことがあのガキに見事にやられてた、ってこと、か……?)
ゾアクはこんな性格だ。自慢にする気はないが、大抵のことには動じない。……が、この時ばかりは頭が真っ白だった。
「やっぱりろくでもないことじゃないか。……まあ、でもそうか、そうだね」
「でしょ? カイも可愛いから利用できる限りはそうしなさいね」
「うん、今度からそうする」
「……」
カイエンフォール第1王子の頭がよさそうだというのは知っていたが、あまりに素直で心根が優しい。だから、ゾアクは正直、彼に王位は無理だと思っていた。……この時までは。
「私が見るにあの人、絶対厄介な人だし」
「変だっていう意味ならそうだと思うよ」
「……」
その辺の自覚はあるが、7、8のガキに言われれば、このやろうと大人気なく思うのもゾアクだ。
「でも、前から知ってるけど悪い人じゃないよ、多分」
「カイ、そんなこと簡単に判断しちゃ駄目よ。でも、そうね、私を先に降ろそうとしたわ。他の人たちと違って」
「……」
(俺にそれで喜べって言うのか……?)
にこっと笑い合っている彼らの顔は、ひねたゾアクの目から見ても可愛いが、言っている内容はひどく可愛くない。
「……」
あーだこーだと勝手に人を評しているガキどもに顔を引きつらせつつもふと悟る。
(なるほど、アンソニー・クラークは、どうやら本気でカイエンフォール第1王子を本命に据える気らしいな……)
葉の隙間から銀髪のガキどもをもう一度眺めると、顔がにやりと緩んだ。
(……まあ、それも面白かろう)
がさっと音と立てて、茂みから一気に飛び出る。
息を飲んだ後、咄嗟にチビの前に出て庇おうとしたのだろう殿下は、同じことをしようとしたチビとぶつかって、2人同時に後ろにひっくり返った。
「おいこらチビ、さっきから黙ってりゃ、好き勝手言いやがって」
その殿下の腕を取って引き起こす。先ほど見事なまでの猫かぶりを見せたアンリエッタ・スタフォードこと、チビの方は、首をむんずっとつかんで持ち上げた。身分どうのこうの問題ではなく、元凶はどう考えたってこいつだからだ。
「……え……ひ、ひどいです……私、なにもしてな」
「いや、もうそれ今更だから」
涙目を作り上げていたチビは、そう突っ込んだゾアクに舌打ちを零し、一瞬で据えた目つきになった。
(一体どんな育ち方してんだ……。いくら変わった家系だっつったって限度があるだろ……)
「……すっげえ変わり身」
「お褒めいただきまして。効率第一、無駄なことすんの、嫌いなのよ。ばれたんならもういいわ」
そんな彼女を心配しているらしい、斜め下で青ざめているカイエンフォール殿下が、こいつのせいで天使に見える。そんなのが必要なガキには絶対に見えないってのに。
「ええと、ゾアク、放してあげてくれない? その、いつもそんな風な訳じゃない……こともないけど悪気はない……こともなくはないんだ、多分」
……言っている内容はかなり微妙だが。
「と、殿下も仰っていることですし、放してくださらないかしら?」
「嫌だっつったら? 大人をからかいやがって」
「からかわれる方が甘いんでしょ?」
そうにっこりと笑う顔が相変わらず愛くるしいのが、最高に性質が悪い。
「別に放さなくても“私は”構わないわよ? ところで、ここで私が泣き叫んだら変態決定よね、“マロール公爵は”」
「……その前に俺があの噴水にお前を放り投げるのと、どっちが早いかな?」
「アンリエッタ……」とついに呻き声を上げたカイエンフォール殿下と、「結局こうなりましたか……」と疲れたような呟きと共にその彼の横にやって来たキーン。
「「……ふふふふ」」
そんな彼らを横に、人生史上最も可愛いのに最も可愛くないチビと、“含みで一杯”と露骨な顔で微笑み合う。
――どうやら、40年も前に転がり込んできた爵位のせいで退屈一色に染まったゾアクの人生は、ここに来て中々面白いものに変わるらしい。
「まあいいや。おいチビ、厨房に今からなんか食いもん取りに行くが来るか? 殿下もご一緒します?」
「とりにって盗りに? ってか、カイにそんなこと言う大人、初めて見たわ。やっぱ変なのね」
「お前、人を何だと思ってるんだ……。知り合いがいるんだよ。変で悪かったな」
せっかく見せてみた大人気をそんな風に返されると、さすがにがっくりくる。
「ええと、こういう場合は、「ただ?」って確かめるのが正しいんだっけ、アンリエッタ?」
「いい感じね、カイ。でも、それじゃ生意気だと思われて終わりだから、子供らしく困った感じで、「でもお金ないんです」って悲しそうに言っておくほうが賢いわ。慎み深い子って思ってもらうほうが、おまけは一杯つくの」
「……」
……殿下大丈夫か?と別の意味で思わなくもないが、そう分かったのが今日城にわざわざ出てきた収穫ってことにしておいてやろう。




