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恋の見出し方  作者: ユキノト
閑話休題【魚の測り方】
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【魚の測り方】

 離宮から城に戻るなりホートラッド王女を煙に巻き、カイは自分の宮殿に向かった。不満そうな顔をされたが、限界だった。


 ホートラッド国王一行の訪問に始まった、ここ半月ほどの時間は、気が遠くなるほどの長さに感じられた。

 青にも緑にもつかない瞳が傍らにない――それだけのことでこれほど自分がおかしくなると、カイは想像もしていなかった。

 最初は違和感だけだった。何かを見つけて、誰かと話しながら、気にかかるものがある度にカイの目は意識すらしないまま、アンリエッタを探した。そして、その度に今彼女がいないことを思い出した。それほどに自分はアンリエッタを見ていたし、アンリエッタも同じだったと否応なく気づかされた。

 次第に苛つきが増していく。カイが気にかけるもの、気にすることが、他の人間にはわからない。

『人はみんな違うんだから、最初は理解し合えなくて当たり前。だから話し合うんじゃない。カイは王子さまだから、みんな特別に頑張って、察そう、理解しようとしてくれるの。それに甘えたら、ただの嫌な奴になる……というか、今まさになりかかってる!』

 昔大喧嘩をした時のアンリエッタの失礼極まりない台詞を思い出して、シャイライン王女や執務補佐官補など周囲の人々に対して、その都度説明を試みたが、返ってくるのはおもねるような反応だけ。反論などはもちろんなく、議論が深まることもない。喧嘩になることなど言うまでもなくなかった。

 ミドガルド人とホートラッド人、多くの人間に囲まれながら、四六時中王女と過ごしていたというのに、その中でのカイは孤独そのものだった。

 なぜ半月一緒にいないことぐらい大した問題じゃないと思ったのか――自分の見込みの甘さを思うと、何度でも自嘲がこみ上げてくる。



 目的の場所について、木製の扉をノックもなく押し開ける。

「アンリ」

(……? なんだ?)

 室内は静まり返っていた。ドアの向こうにむっとした顔で、『アンリエッタ! ノックぐらいしなさいよっ』と嚙みついてくる彼女の姿が見当たらない。

「……アンリエッタ?」

 訝しみつつもう一度、今度はちゃんとその名を呼ぶ。

「……」

 ペンを片手に少しだけ眉を寄せていつも座っている机の前に、今は彼女の気配がない。執務室と繋がった寝室にも、水場にもどこにも。

「アンリエッタ、どこにいる」

 静まったままの部屋にカイの声だけが響いた。

「……」

 自分の心臓の鼓動が鮮明に聞こえ出し、ここ数日間突き詰めないようにしていた靄が全身に一気に広がっていく。急激に寒気が襲ってくる。



 3日前の祝賀会の夜、ダンスを終えたアンリエッタは、カイですら一度も見たことのない顔をしていた――そう、完全な無表情。

 出会ってからずっとだ。アンリエッタはよく笑って、怒って、泣いて、むきになって、考え込んで、驚いて、悪巧みをして、人を引っ掛けては、内心のままにくるくると表情を変えた。

 そんなも彼女も国務に関わり始めてからは、カイにはそうと分かる顔を、必要な時に必要なだけ作るようになっていたけれど、基本的に表情の豊かさは変わらなくて……。

「……」

(……そのアンリエッタがあの時、なぜあんな顔、をした……?)

 あの時の顔を今また思い出すと、足元がぐらつき始めた。



「……」

 深呼吸を繰り返し、何とか気を落ち着けてぐるりと周囲を見渡した。いつも以上に整えられた室内の様子に気付き、戦慄する。ただでさえ少ないアンリエッタの私物が、全く見当たらない。

(なんだ、アンリエッタ? なにをしている? どこに行った? 俺を置いて――)

 速まっていく心臓の拍動に胸が痛くなる。


(……俺の部屋)

 必要な場合も少なくないため、彼女には俺の部屋に立ち入る権限を与えている。そう思いついて自室に戻ったものの、そこもやはり気味が悪いまでの静寂で覆われていた。

「っ」

「お帰りなさいませ、殿下」

 ノックの音に振り返り、そこに顔をのぞかせた自分の乳姉に失望を覚えた後、詰め寄った。

「マーガレット、アンリエッタはどこだ?」

「アンリエッタさまは実家にお帰りになっておいでです」

 恐らくかなり露骨だっただろうに、マーガレットはそんな自分にもいつものように嫣然と微笑んだ。

「今晩にはお戻りの予定と伺っております」

 そう聞いて息を吐いたものの、乳姉が得体の知れない笑みと共に続けた言葉に、またも呼吸を奪われた。

「リバーズに行かれていたそうですよ」

「リバーズ……?」

 珍しくはない地名に、なぜか今、よく知っているはずのオリーブ色の穏やかな瞳を思い出す。


 あの晩アンリエッタとの踊りを終えたカイは、シャイラインと彼女の父であるホートラッド国王につかまって、その間にアンリエッタはキーンとテラスに出ていった。そして、そのまま祝賀会から消えてしまって――。

「……」

 生唾を飲み込む音がやけに鮮明に自分の耳に届いた。


(あの後、アンリエッタが迎賓の間から消えた後――キーン、は……どこにいた……?)


「……」

 知らぬ間に右手が口元を覆う。

『ならば、ご子息に決闘を申し込みませんと』

(まさか、あの時のキーンの表情は……)


「殿下、1人だけさっさと行かないでください。俺、あの王女嫌いなんですから」

 アゾットが不満を露にカイの部屋にやってきた。マーガレットが「申し上げるべきは、警護の面からの諫言では」といつものように淡々と応じる。

「それではつまらないでしょう? ……あれ? アンリエッタはいないんですか?」

 落ちゆく西日が部屋に射し込み、カイとマーガレット、そして室内を一瞥して首をひねったアゾットの足元を赤く照らし出している。

「もう決めてしまったんですかねえ、即断即決のアンリエッタらしいというかなんと言うか」

「……何の話、だ?」

 口内がひどく乾いて声がかすれた。呼吸が苦しい。

「いやだな、そんな怖い顔をしないでくださいよ」

 そうおどけたように言うアゾットを、カイは刺し殺さんばかりに見つめる。


「あー、3日前の祝賀会で一緒に帰っていくキーンとアンリエッタを見たんですよ。いい感じだったんで、声をかけ損ねたんですが」


 目の前の顔が見知らぬ人間のものに見える。


「アンリエッタは、左手に近衛の制服のタイを巻いていましたし」


 ひどく遠く響く声が容赦なく言葉を紡いでいく。


「ついにキーンもアンリエッタにプロポーズしたのかな、と」




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