第3話
「あら、アンリエッタさまじゃありませんこと? あら、お1人」
(さっき王子と一緒にいたところで目が合ったでしょうが)
公爵とのダンスを終えたところで寄って来た、総額いくらになるのかしらってくらいに無駄に煌びやかな集団に、内心で舌打ちする。
わざとらしく、その少女――名前なんて忘れたけど、どっかの子爵の娘だったっけ――は「まあ」と呟いて、踊っている王子に目を向けた。
「カイエンフォールさまはアリアンヌさまとまだ踊ってらっしゃるのね」
「お似合いよねえ」
(とか言ってるけど、アリアンヌ嬢を見る目も穏やかな訳じゃないのよね)
アンリエッタは、なるほど順位付けされているわけだ、と両口の端をすっと上にあげる。アンリエッタの方が、今王子と踊ってるアリアンヌ嬢より気に入らないということだろう。
(ふーん、随分と舐められたものだわ。一体誰を相手にしてる気なのかしら――)
「ええ、本当にお似合いで。そういえばジョゼフィールさま、アイリー嬢、リーメイシャさまも最近殿下とダンスをご一緒されていました。皆さま、それはそれは絵になっていらして」
(それぞれの家に招待された時だけだけどね。さすがにそれは断れないから)
親切に教えてあげる義理なんてないから言わないけれど、と重要な情報を隠しながら、アンリエッタは飛びっきり可愛く、この上なく無邪気に見えるように微笑む。
リーメイシャさまにしな垂れかかられた時の王子の顔を思い出せば、いくらでもいい顔ができる。笑いを堪えるのに使った腹筋が翌朝痛くて仕方なかったくらい傑作だった。
ちなみに、アンリエッタが挙げた女性たちは、順番に、派手な露出と婚外交渉で揉めまくっている某伯爵夫人、友人の婚約者を奪いまくってはポイっとしている某侯爵の次女、十以上年下の男性ばかりを罠に嵌めては囲い込んでいる未亡人だ。どの方も男性受けはいいけれど、同性受けは悪い。
「え……」
あら、そんな風に口元が引きつらせると、せっかくのご自慢の紅が歪んでしまいましてよ、お嬢さま方。ほほほほ。
「私はお誘いくださらないのに何であんな方たちと……」
ああー、駄目よー、そんなプライドの高いお嬢さま方共通の心境をぼそっと呟いちゃ、ほら、みなさま図星をつかれて言葉に詰まってしまわれたでしょう? うふふふふ、ほんっとーにいい気味。
「……」
……あれね、ルーディ、姉さん最近、手遅れな領域に足を踏み入れつつあるんじゃ?って思わなくもないの。今度帰ったら慰めて……。
「でも……本当、素敵ですわ」
王子をぼうっと見つめながらその内の1人――さっきの天然発言の子だわ――が呟いた。
「……」
(……そんなに悩ましげに見つめる価値があるとも思えないんだけど、あの性悪王子。ほら、ちゃんと見なさいよ、相手を謀る気でいっぱいの顔じゃない)
アンリエッタはこっそり呆れのため息を吐く。
「ご婚約なさらないのかしら……」
「そろそろお話が出ているんじゃないかって」
「まあ、そうなんですか、アンリエッタさま?」
(またその話題……本当、嫌になる。なにか他のこと、考えられないのかしら?)
みながこちらを見るのが分かってなおのことうんざりした。しかも目が血走っていて怖い。
「さあ? あのようなご身分となれば、色々おありでしょうし、お仕えするだけの身の上では、判断いたしかねますわ」
困って見えるように答えて茶を濁した。
知っていたとしても話す訳がない、守秘義務があると言ったところで多分意味はない。これが悪意や野心なら手加減なく蹴散らしてやれるのだが、真剣な恋心ゆえのこともあるから厄介なのだ。
「……」
(べ、別に気持ちが分かるっていうんじゃないけどね。だって、ほら、可哀想じゃない。純粋なんだから)
「そういうアンリエッタさまはいかがなのかしら?」
動揺した隙を突くかのように、別の人から質問が振られた。さっきの少女が不安を混ぜてこちらを窺うように見ていることに気付いて、眉根を寄せそうになるのを押しとどめる。
「特には」
(さっきの公爵といい、なんで放っておいてくれないのかしら。……考えたくないのよ)
「まあ、ユリアネさま、失礼ですわよ。男性と混ざってお仕事なさるような方ですもの、アンリエッタさまには結婚なんて必要ではいらっしゃらないの」
「カイエンフォール殿下ともお親しいようですけれど、結局はお仕事なのでしょうし」
「ええ、殿下、そして我が国にお仕えすることができて、光栄です」
アンリエッタはにっこり笑いつつ、話題の核心でない言葉をあえてとらえ、話の焦点をずらした。
さて、ここらで逃げておかないと厄介なことになる。幸い彼女たちは悪意交じり――
(なら、やっちゃって問題なし)
「私、本当に仕事ばかりで、実は今も場違いな気がしてしまって、居たたまれないのです。みなさん本当にお奇麗なのですもの。奇麗といえばヨミンシアさま、その胸元の宝石、本当にお似合いです。それ、ルイエール産の翠麗石ではありませんか?」
そう言いながら、控えめに笑いかける。
(ルイエール国の特権階級が貿易を独占している特産品のそれ、実は私には一般市民の血の色にしか見えないんだけど)
などとはもちろん口にしない。
そう、こういう場で女の子たちが興味を持つのは恋とおしゃれだ。前者はついていけないけど、後者は物によってはアンリエッタもいける。なぜなら、どこで何が売れていて、どんな価値か、いつだってチェックしているから。
むろんアンリエッタ的関心のメインは食品や素材、不動産だが、人間の欲望がより顕著に出るという点で、宝飾品もばかにできない。質と値段が比例するとは限らず、人気不人気、地域ごとの価格差が大きいから、上手くやるといいお金になる。景気によって値段が乱高下しやすいなど、投機的なのは確かだが、そこにチャンスを見出せないようなら、アンリエッタ・スタフォードの名が廃るというものだ。
あとはそうして得た知識を利用し、煽られていると気付かれないように、贄を差し出し、見栄と競争心を刺激してやる――。
「そういえば、コーレイヌのアデリー嬢も翠麗石がお好きだとか」
アンリエッタは邪気なく見えるよう、小首を傾げた。
ちなみに犠牲になっていただく人はちゃんと選んでいる。第一に、煽られる側の彼女たちが同格だと見なしている相手であること。第二に犠牲にしても、優しくて道徳的なアンリエッタの良心が疼かない人。例えば、やっすい給料で働かせている使用人に、影で暴力ふるっていながら、外見ばかり奇麗に飾り立てているような人とか。
「そうでしたわね、でもあの方のものは大きいばかりで質は……」
「コーレイヌのお家柄ではありませんこと?」
「まあ、なんてこと」
にこやかに微笑みながら、他者を弄る嗜虐心が引き出されたあたりで、アンリエッタは脱出に成功した。
(動機が感情の人って、ある意味腹黒狸よりよっぽど恐ろしいのよねえ。自分の損になることでも平気でやってくるから、行動が読めないんだもの。打算のほうがかわいく見えるってどんな暗黒世界よ)
などと内心で文句を言いながら、人目につかない場所を探す。
テラスは微妙に遠いし、何かの時には袋小路になると見て、音楽を奏でる楽団の側、巨大な花瓶に活けられた花々の陰に狙いを定めた。すきっ腹にちょうどいいことに、軽食も並べられている。
途中で何回か捕まって、相手が女性の場合はあいさつと適当な相槌でさらっと流し、相手が男性の場合は適当に踊って、上手く脱出する。
うまくできないわけはないのだが、鬱陶しいことには変わりない。
「……」
(たーのしそうでいいわねえ)
ようやく目的地に着き、給仕に飲み物をもらって一息つけば、花の向こうにどこぞの令嬢とほほ笑みをかわして踊っている王子を見つけた。視線が交わって、思わずべっと舌を出せば、眉を跳ね上げた後、小さく笑って返されて、ますます気に入らなくなる。
……一応言っておくと、違うわよ? そういうんじゃないの。忠実で優秀な臣の私が苦労しているのに助けようともしない、配慮のなさを責めているだけ!
「……おのれ、狸爺め」
やさぐれた気分のまま、大口を開けて焼き菓子を口に放り込んだ直後、アンリエッタはついにうめき声をあげた。
(必ず5倍にして返してやるから、覚えてなさい)
こちらを指さして笑っているマロール公爵。彼と次に踊る機会があれば、今度は脛じゃなくて、もっと上方、男性にしかない急所を狙うことにする。