第4話
「ちょろちょろと走り回りやがって……ようやくだ」
「いいか、そこで大人しくしてな。騒ぐようなら、扱いを変えなきゃなんねえからな?」
大柄な男にナイフをちらつかされて、カイは息をのんだ。
薄暗い幌馬車の中。破れた幌の隙間から見えるのは夕焼けに染まりつつある街。
そろそろ帰ろうと城に向かって走っていたカイとアンリエッタは、路地から飛び出してきた大柄な男達の外套の中へと取り込まれて、それから馬車の中へと押し込められた。
揺れ動く周囲には、大きくて乱暴な感じの男たちが3人。そのうちの1人がさっきアンリエッタの口を押さえていた人だと気付いて、さらわれたんだ、となんとなく理解する。
「……」
身を寄せ合っているアンリエッタの目には涙が浮かんでいて、顔も青い。きっと僕も同じだろう。
「……そんな顔しなくったって、静かにしてりゃ取って喰ったりしねえよ」
「……はい」
「……?」
男たちを怯えながら見、小さく頷いたアンリエッタの声は震えていて、それでますます不安になった。けれど、カイに顔を向け直して俯いたアンリエッタは、唇の端をすっと上にあげた。それでますます混乱する。
『怯えた振りしてなさい。でも騒いじゃだめよ』
馬車の中で一緒にされた直後に、アンリエッタはカイに抱きついてきてそんなことを言ったのだが……。
(ねえ、じゃあ、これって振り、なの、アンリエッタ? 僕は……ちょっとだけ、本当に怖い、んだけど……)
「あ、あのっ、お家、に帰らせてもらえませんか……」
意を決したように、アンリエッタは男たちを見上げた。目を潤ませ、上目遣いで声を震わせるアンリエッタはひどく可愛らしい。怖いのも忘れてびっくりしてしまうくらいに。演技だとはとても思えないくらいに。
「……なにも傷つけようってんじゃないんだ、連れて来いって言われてるだけでさ」
眉をひそめ、困ったような顔をして、アンリエッタは声も出さずにポロポロ涙を零す。
「連れて来いって……うち、貧乏なんです。お金なんて払えません」
「……あんたじゃないよ、俺らの雇い主が話があるのは、そっちのお坊ちゃんのほうだ」
アンリエッタは泣くのを耐えるように唇を噛み締めて、男達を見上げた。
「なんで……」
「あー、わりぃな。詳しくは知んねえけど、どっかから使いが来て、アマダ……ボスが慌てて俺らをよこしたってわけでさ。筋のいい客からの頼まれごとっぽいから、心配いらねえと思うけど」
「バカ、余計なことしゃべんじゃねえっ」
「大丈夫だろ、こんなちっこいんだぜ、わかりっこねえよ」
男たちの会話を聞いているのかいないのか、アンリエッタはくしゃっと顔を歪めた。男たちが動揺したのが、カイにも分かった。
「あのね、私ね、いざという時に身代わりになるようにって家を出されたの……本当は帰るとこなんてないの……」
アンリエッタは「ねえ、これがいざって時なの」と悲しそうに唇を引き結び、またポロポロと滴を落とす。
(……アンリエッタ……ねえ、これって、本当に演技?)
男たちの表情が動揺から同情に変わったのを見て、なんだか不安になる。
「いや、だから傷つける気はねえし……」
「でも、アマダンの旦那に渡した後のことは俺たちにゃ」
「っ、だから余計なこと言うんじゃねえ!」
アンリエッタは顔を覆い、小さく嗚咽を漏らした。
男たちは気まずそうに黙り、顔を見合わせる。小石にでも当たったのか、車輪がひと際大きく軋んだ。
「なあ、なんか可哀相じゃねえ……?」
「元々そっちだけでいいって話だろ? 区別付かなかったから両方さらっちまったけどよお」
「客からすりゃこっちは用なし……アマダンの旦那なら、こんな子、帰すより売っぱらっちまうんじゃね」
さめざめと泣き続けるアンリエッタに居心地が悪くなったのか、男たちはそろって幌の外へ出て行った。
それを見送った瞬間、アンリエッタはさっと上着の内に手を入れると、そこからナイフを取り出した。
「ア、アンリエッタ!?」
カイは今度こそ真っ青になった。アンリエッタが無言で長い束ねた髪を切り落としたから。
「何してるの!?」
「しぃ、今騒ぐんじゃないわ」
そして先ほどまで自分の髪を結わえていたリボンや髪留めを使って、切った髪を器用にカイの短めの髪にくくり付ける。
「急な依頼となるとやっぱり城関係……アマダンと言えば男爵位を買おうとして第一夫人に近づいてるマーリナ商会のあいつかしら」なんてぶつぶつ言いながら、もう一度頭巾をかぶらせる。
「これでよし。近くにキーンたちがいるわ。道の端、物陰で目立たないようにして、キーンが来るまでじっとしてるのよ、カイ」
「え? あ、アンリエッ」
「大体お前のせいで捕まったんじゃないかっ。愚図の癖に身代わりにすらならないなんてっ、この役立たず!」
すうっと息を吸い込んだアンリエッタは、今まで聞いたことのないような大きな声でカイを怒鳴った。
「っ」
ピシャっという音と共に左の頬に痛みが走った。
「……っ」
アンリエッタに叩かれたと悟った瞬間、今の状況なんてすっかり忘れてむっとしてしまう。そのまま彼女を睨みつけたら、目の前の顔が歪んだ。
「……街に遊びに行きたいなんて……お前が言ったからだろう」
「っ、それは……」
(僕のせい――それは、そう……だけど……)
どやどやと男たちが戻ってきて、頬を押さえたまま呆然としてしまっているカイを見た。
「っ」
男たちに殴られ、アンリエッタの小さな身体が飛び、幌の骨組みにぶつかった。大きな音を立ててそこが軋み、合わせて馬車全体が大きく揺れる。
「アン……」
びっくりしてしまって咄嗟に彼女を呼びそうになったカイを、アンリエッタが恐ろしい顔で睨む。今まで見たことのないその表情に言葉を失ってしまった。
「殴っちゃまずいだろ」
「生きてりゃいいんだよ、むかつくんだこういうガキ」
「なあ、やっぱりこの子……返してやろうか?」
小さいし、わからないだろう、そういうことになって――僕は、僕だけは馬車から暗闇の中に降ろされた。
* * *
アンリエッタの言ったとおり、カイはキーンたちにすぐに保護されて、城へと連れ戻された。
外は既に真っ暗で、でもカイの心の中はもっと真っ暗だった。「なんで?」で頭の中がいっぱいだった。
アンリエッタは『ミガワリだ』と言って泣いて、
アンリエッタは髪を切って、
アンリエッタが僕を叩いて、
アンリエッタが『僕のせい』だと僕を睨んで、
そして僕は助かった。そしてアンリエッタはここにいない。
その意味は……。
「……」
本当はきちんと考えれば、分かることなんだと思う。ただ、そうしたくないと思っているだけ――。
城は物々しい空気だった。カイが暮らす宮殿のあちこちを異様な数の近衛騎士がうろつき、目が合う度に「もう大丈夫です」と口々に言う。なのに、キーンと同じように、何がどうなっているのか尋ねても、硬い顔で口を噤む。
自室に戻るのと同時に、必死な顔をした母上が駆け込んできて、僕を泣きながら抱きしめた。厳しい顔をした父上もやってきて、僕の無事を確かめると、やはり難しい顔をして部屋から出て行った。
むすっとした侍女頭が、いつもなら駄目だと言われる夜のおやつを持ってきて、その日が異常な日だと思い知らされた。
「……ねえ、アンリエッタは?」
何時間も経っているのに、誰もアンリエッタがどうしているか言わない。さすがに不安になってキーンに訊ねた。
「大丈夫ですよ、殿下。アンリエッタも……」
口でそう言いながら、キーンはびっくりするくらい悲愴な顔をして、僕の頭を撫でた。僕もアンリエッタも同じように扱ってくれる、丁寧で優しい彼の仕草にいつもなら安心するのに、その時僕は余計落ち着かなくなった。
キーンが呼び出しを受けてその場を離れたから、その知らせを持ってきた侍女頭にもう一度アンリエッタについて訊ねた。
すると彼女は顔を歪め、「あんな子が側役で災難でした」と吐き捨てるように言った。
「あの子が殿下を外にお連れしなければ、あのようなことにはならなかったのです。そうすればシャーロッテ第一夫人とて」
「――キャロル」
「……失礼いたしました」
母上の咎めに、侍女頭は不満そうな顔をしつつも、いったん口を噤んだ。
「僕が頼んだんだ、アンリエッタは悪くない」
母の心配に気付きながらそれを無視して侍女頭に食い下がれば、アンリエッタを嫌う彼女はむっとした顔で、それにのってきた。
「それならば、お止めすべきだったのです。殿下が責任をお感じになる必要はありません。すべてはあの子の咎です」
僕の我が侭も全部アンリエッタのせいになっていると気付いて、顔を歪める。
(じゃあ、アンリエッタのあの言葉は、本当、なんだ……僕のせいなんだ……)
「あの子は殿下を守る、その為にいる子です」
「っ」
(身代わりって、そういうこと? 一緒に逃げなかったのは……そうなの? アンリエッタ……)
母上と乳母のサリナを思わず見れば、母上は「大丈夫、大丈夫よ」と呟きながら悲愴な顔で僕を抱きしめて、サリナは僕から顔を逸らして目元を拭った。
眠ることが出来なかった、長い、長い夜。
そのアンリエッタが得意そうに、色んな書類や証拠を抱え、短くなった髪と殴られてうっ血した顔で、帰ってきたのはその翌日の明け方。
カイはそれをキーンから知らされて知った。




