第3話
「だってお金持ってなきゃ、街に出たって楽しめないじゃない」
馬小屋裏の花壇改め畑でのおそろいの作業着に着替えて、これまた薄汚れた頭巾で頭を覆い、出入りの業者に紛れて密かに王宮の通用口を抜け出したカイとアンリエッタは、ただいま王立図書館近くの通りで、お花の売り子中。アンリエッタ曰く、本を借りにくるような人は、花を買う余裕がある人が多いんだって。
アンリエッタに頬に炭と泥を塗られたカイは、引き攣った顔で「お、お花はいかがですか」と呟く。
「ほら、ちゃんと声を出しなさい、笑顔もしっかり!」
お客さんの気を惹こうと思ったら笑顔が第一よ、と言いながら、アンリエッタはバケツに突っ込んだピンクのバラをミズアゲ?している。
「奥様、お花はいかがですか」
アンリエッタの笑顔は完璧だ。『8歳の無邪気さと健気さを装った、可愛い子供に大人が期待する完全無欠な笑顔よ!』らしい。
……それがすごく可愛くない子供の言葉であることだけは、カイにも分かる。
お客さんの「かわいいわねえ、お家のお手伝い?」と言う声にアンリエッタははにかんで笑い、「はい、弟と一緒に」と言って僕に抱きついた。
容姿の似通った、(自分で言うのもなんだけど)整った僕とアンリエッタがニコニコじゃれる様に、優しそうな女性は目を細くしてお駄賃を弾んでいく。
そして、アンリエッタは特上の笑顔で、「わあ、ありがとうございます」とお礼を述べて、相手が見えなくなるまで愛想良く手を振って見送る。
それからくるりと背中を背けて……
「6、7、8ソルド、ふふ。気前のいい奥さんありがとー!」
(恐るべし、アンリエッタ。確かに僕は世間知らずだ、君に比べたら)
「……」
でもそれでいいような気もしてきた。
「カイ、行こう」
持ってきたバラの最後の1本を売ってしまって、アンリエッタはカイの手を引いて走り出す。
「どこか行きたいとこある?」と言う質問に、思わず「ルーディが見たい」と答えた。
言ってから自分で少し驚いた。今まで自分の弟や妹――母違いだけど――を見ようなんて思ったことは、一度だってなかったのに。
アンリエッタも驚いたのか、少し目を見張っていたけど、次の瞬間にすごく嬉そうに笑った。
そうしてアンリエッタ曰くの“幽霊屋敷”、スタフォード伯爵邸に2人一緒に走って行った。
「ただいまーっ」
ドアノッカーも鳴らさずに、アンリエッタは家の中に駆け込むと、驚くお母さんに「ちょっと近くまで来たから、寄らせてもらったの。この子、友達」とにっこり笑って嘘をつく。
アンリエッタと違って人がいいらしい彼女はまんまと騙され、お昼寝中のルーディを見せてくれた。
「小さいね……」
「でしょう?」
「ふふ、これでも大きくなったのよ」
手の小ささににやつき、驚かさないようにやわらかなほっぺたをつつき、起こさないよう慎重に抱っこして、ルーディの可愛さを十分堪能した後、カイたちは再び外へ出た。
庭に連れて行かれ、「これが私の家庭菜園よ。今はお父さんがしてくれているの」と胸を張って紹介されたその場所は、案の定トマトがいっぱい。
「ああーっ、トマトの葉っぱの色が悪いっ。水やりすぎてるのね!」
きっとお父さんは、トマト命のアンリエッタに今度の里帰りで怒られるのだろう。ちょっと気の毒になった。
それから、アンリエッタが美味しいという、おなかの具合が少し心配になるようなアイスクリーム屋さんに、やっぱり走って行って立ち食いをした。
カイはバニラ、アンリエッタはイチゴを頼む。
「こっちも食べる?」
「うん、じゃあ交換」
街の中心の広場の花壇に行儀悪く腰かけ、2人で分けながら食べたアイスは本当に美味しかった。今のところおなかも大丈夫。
(むかつくこといっぱいだけど、やっぱり一緒にいると楽しいな)
それがまたちょっとむかつくんだけど、と思いながら、カイはアンリエッタとまた手を繋いで走り始める。
「ねえ、なんかずっと走ってない?」
「体を動かすと健康にいいってクラーク先生が仰ってたじゃない。……ひょっとして疲れた?」
「っ、そんなわけないだろ。ただ、その、いつもアンリエッタが言ってるんじゃないか、無駄に動くとおなか減るって」
「うわ、それは大問題……けど、今日はいいわ」
アンリエッタはいつも忙しないけれど、今日はいつにもまして、だった。あちこち移動し、その間もずっと走っている。
「せっかくカイがいるんだもん、楽しいとこ、いっぱい行かなきゃ」
本当は少し疲れていたけれど、半歩先を走るアンリエッタが銀の髪をなびかせて振り返って笑ったのを見たら、まあ、いいか、と思えた。
その後は大聖堂の前の大広場に行って、そこの大きな噴水で、アイスのベタベタを落とした。ついでにびしょびしょになりながら、2人で水のかけ合いっこをして、おなかが痛くなるまで笑った。
次は市に出かけて、そこに立ち並んでいる賑やかな露店でパイを買い食い。アンリエッタは羊の肉ので、カイのは桃入りだ。
「たんぱく質って体にいいのよ!」とか言っていたくせに、アンリエッタは甘いのが欲しいと言い出し、カイのパイを半分食べたので、お返しにアンリエッタのパイをカイも半分もらった。
それから、アンリエッタがよく行っていたという植木屋さんに顔を出して、アンリエッタがそうしろと言うまま、2人でにっこり笑って、なんだかよく分からない余り物の植物の種をもらう。
そうして、いっぱい話して、いっぱい遊んで、いっぱい笑って……。
2人ではしゃいでいたから気付かなかった――そんな僕らを尾行している人がいたってこと。




