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恋の見出し方  作者: ユキノト
第3章【蛇の仕留め方】
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第5話

 規定の時間すべてを、父親に騙されてこの娼館に売られたというエミリアを聴取することに費やしたアンリエッタは、最後に自分の左親指の付け根をナイフで傷つけ、ベッドを血で汚した。

(さて、どう取り繕おうか……)

 それから、床に転がった花瓶と、散らばった花を見て顔をしかめる。

「とりあえずそこの風呂場でシャワーを浴びてきて。それから、そのドレス、申し訳ないしもったいないけれど、ボロボロしてもいい?」

 そして、了解をとった上で、彼女が脱いだ衣類のあちこちを乱暴に引き裂き、ベッドの周囲に放り投げる。

 最後に部屋の他の場所を数ヶ所乱してから、アンリエッタは部屋全体を見渡し、息を吐き出した。


 同情はするけれど、泣いていたせいで彼女の顔が腫れているのは、工作にはちょうどいい。疑われることなくこの部屋の惨状に説明がつくし、アンリエッタの正体を知っていることで彼女が万が一挙動不審になっても、館側は乱暴に扱われたせいだと勘違いするだろう。

「ああ、彼女には悪いけど、後で手首の辺りとか、あざをつけさせてもらわなきゃ」

 そう独り言を呟き、アンリエッタは不謹慎な類の笑みを顔に浮かべた。


 ええ、そうなの。これは全部、“初めてのことに怯えて泣いて嫌がる可哀相な子を、力づくでいたぶった客”を作るためなの。はなはだ不名誉な噂だけど、“必要”なことなの、世のために。

 仕方ないのよ、そんな噂の的になるのがたとえあの根性悪、もとい、王太子殿下だとしても。

 もちろん、「「え、そんなご趣味?」とかドン引きされるのは私じゃないし」とか、「だから大した問題じゃない」とか、「むしろ万歳!最高!!」とか考えてないわよ?

 あの寛大でご聡明、かつお優しい殿下なら、それぐらいの不名誉は、“国民のために” “喜んで”被ってくださるはず。

 そう、これは美しき主従の信頼――「人の苦労も知らずに、今頃別室でお楽しみの奴にはいい気味!」とかもぜんっぜん!考えてないの、多分。


 着替えを済ませ、不安そうな顔をしているエミリアに身の安全を約束し、今後の振る舞いを言い含めて、アンリエッタは外套を羽織り、フードを被り直す。

「大丈夫、絶対に助けるから。その後希望があるなら、仕事も紹介するわよ、手堅くて食いっぱぐれないやつ」

 そう言って微笑めば、ようやく彼女は笑いを零した。

 この状況でこれだけふるまえれば大したものだわ、と感心しつつ部屋を出ると、扉の前にはこの館の執事が控えていた。媚を滲ませた慇懃な礼をよこされて、アンリエッタはフードの下で皮肉に笑う。

(上々――館はちゃんと私をカイエンフォールだと誤解している)


 その彼に丁寧な案内を受けて、そのように配慮されているのだろう、当然他の誰かとすれ違うこともなく、館の最上階の1室に通された。

「……」

 凝った象嵌の施された扉の向こうには、猫足のソファに座り、例の女主人の歓待を受けている王子の姿があった。

(……なんだ、もう戻ってたの)

と思ってしまってから、ほっとした自分に気づき、アンリエッタは顔を引きつらせる。


「……」

 ……ふ、ふふふふふ、今天国のお母さんから啓示があったわ、魂を口から逃がしたくないなら、考えない方がいいんですって――素直で純粋で可愛い、いい子なアンリエッタとしてはもちろん従います。


 歩み寄るアンリエッタを見て立ち上がった王子と目線を合わせ、かすかに頷く。

「では、こちらが今回の……」

 そう言って王子は、足元においていたかばんの中から10,000ソルド分の小切手を取り出した。

(く、私の給料2か月分。泣きそうだけど、まだまだ)

「トム」

 アンリエッタは演技めかして居丈高に、王子の偽名を呼ぶ。と、彼もわざとらしく目を見張って、さらにもう10,000ソルド分の小切手を女主人へと差し出した。

(はい、4ヶ月。って、ほんと、やってらんない……)

「我が主は娘を気に入られた。相応の扱いをするよう。近日中にまた連絡する」

 王子の言葉は、他の客を取らせるな、教育を受けさせろ、そのうち引き取る、という意味だ。


「ご贔屓、誠にありがとうございます」

 驚いていた女主人の顔が、にんまりと動いた。

 相場の10倍、20,000ソルド。笑いたくなる気分も、それが上客への愛想笑いのつもりだというのも分かる。が、不自然なまでに半円を描いた真っ赤な唇に、アンリエッタは密かに身震いする。

(これとこの先しばらく付き合いつつ、目の前で私の月給んヵ月分が湯水のように消えていくのを見る……)

 色んな意味でなんだか泣けてきた。


「いずれはわたくしへのご贔屓もご勘案くださいませ、ね?」

「……」

(っ、20,000とは言わないっ、でも、でも私にも特別手当ぐらい……!)

 女主人に手を握られ、さらにはそこをつつっと撫でられたアンリエッタは、気力を総動員して口の両端を微かに上げることになんとか成功した。が、噛みしめた奥歯が痛い。


 だって私、全身を舐めるように見られながら秋波を送られてるのよ、異性愛者と思しき“同”性に! これってやっぱり「胸がない」って暗に言われてるのよね? くっ、この世の全てが奴の手先に思えてきた……!



* * *



 王子と2人、横に並んで、足早に花街を抜けた。行きかう人が少なくなり、周囲に忍ばせている護衛たちの気配が浮き上がってきたところで、アンリエッタは今回得た情報を王子に報告する。

「エーム教は各地の神殿を拠点に、信者の妻や娘の人身売買を斡旋しているというわけだな」

「アルーバ河の港に連れて行かれた人もいたという話ですから、国外にも販路があるかもしれません」

 エーム教の教義は、これらの行為にまさに都合がいい。妻や娘を売ることを個人の精神の中で正当化できるし、彼女らの社会との繋がりを絶っておけば、犯罪は格段に発覚しにくくなる。

 15ヶ所の新たな神殿は、さらに手広く被害者を集めるため、そうして集めた彼女たちをよりスムーズに移動させるために必要、宗教団体認定は警察権を及びにくくするためにも不可欠。そんなところだろう。


「それは?」

「それ?」

「手のひらの傷だ」

 ああ、と呟いて事情を説明し、一緒に花瓶の件も告げる。隠し事をすれば綻びが生じるから、些細なことでも案外見逃せない。

(そうなの、私は勤め人の鏡なの。意趣返しなんて意図は、もちろん全く欠片もないわ。奴が嗜虐趣味だと噂が立ったら、灰色の宮廷生活だって少しぐらい楽しくなる!とか全然考えていないの、多分)

 にっこり微笑んだアンリエッタに、王子は目論見通り、じゃなかった、心外なことに顔をしかめた。

「そこまでする必要はなかっただろう」

「念には念を入れます。被害者たちの人生を確実に取り戻さなくては」

「……」

(ざまあみろ、人が働いている時に美人といちゃいちゃしてた罰よ!)

 王子の整った顔が不機嫌に歪んだのを見ながら、アンリエッタは思わず心の中で快哉を叫ぶ。


 だが、ご機嫌になれたのも束の間、王子に隣り合っている腕を前触れなく握られた。

「?」

 立ち止まった王子を振り返ったが、彼の背後からあたる店明かりのせいで陰になって、表情が良く見えない。

「っ、ちょっと……」

 アンリエッタと正面から向き合う形になった王子は、握った手を上方へと引き寄せる。

(え……)

 手のひらに吐息がかかる。次いで傷に形のいい唇が触れた。優しく、柔らかく、労わるかのように何度も口づけが落ちる。

「……」

 その場所から広がっていく熱に頭が真っ白になった。


「っ」

 自分の指の向こう、紫の瞳と視線が絡んだ瞬間、心臓がぎゅっと痛いほどに収縮する。

 そのまま彼の瞳に射るように見据えられているうちに、顔中に血が集まってきた。何が起きているのか、考えがうまくまとめられない。


(――って、状況判断の放棄、論外! 静まれ、私の交感神経っ。根性見せなさい、副交感神経っ!)

 慌てて我に返ってみたものの、そんなアンリエッタの努力を性悪王子はまたもや嘲笑う気らしい。腕を取り戻そうとするアンリエッタをものともせず、手のひらの向こうで、彼はかすかな音を立てて笑った。

「アンリエッタ」

「っ」

 手のひらをくすぐるようにカイの唇が動いて、その音に心臓が止まりそうになる。同時にまた理性が鈍っていく。

「……さ」

 だから、駄目だってばっ! 止まれ、私の口!!

「っきまで女の人抱いてたような手で触らないでよっ」


「……げ」

「ふーん、妬いてるのか」

 手を思いっきり振り払ったアンリエッタに、王子は微笑を見せた。

(1ソルドの対価もなく、この私が何かを失うなんて……)

 この上なく楽しそうなその顔のせいで、あってはならないことに、魂が口から抜け出ていく。


「……」

 ねえ、私の癒し、可愛いルーディ、悪いんだけど、またちょっとだけ、可哀相な姉さんの現実逃避先になってくれない?

 あのね、ルーディ、世の中の暗部をあんたに晒したくはないから、詳しくは言わないけど、そうなの、姉さんの魂はもう風前の灯なのよ。

 それでね、その原因は前も言ったけど奴なの。そう、奴なのよ?

 だからね、ルーディ、お願いだから前帰った時みたいに……『殿下格好いい』とか、絶っ対に言わないでっ! 今度言ったら、姉さんマジ泣きするからね!!



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