・嵐の夜 - SIDE:逗留者ロラン -
私の名前はロラン。
理由あって姓はもうない。
ここではない別の町では、私を世捨て人のロランと呼ぶ者もいた。
今の私に相応しい通り名だ。
私は何を果たすわけでもなく、ただ日々を無為に過ごしている。
ホリンのように成長を望むわけでもなく、ダンのようにアッシュヒルへと勤勉に尽くしているわけでもない。
私は村に金を落とすだけの、ただの遊び人だ。
剣士としても、私はこれ以上の高みに至ることはない。
私はとうの昔に、成長の限界に達していた。
いや、そのはずだった。
少なくとも、今日ホリンに剣を教えていたあの時点までは、私の目の前には限界という残酷な壁があった。
「ホリンのあの成長速度……。前々から、少し妙だとは思っていましたが……」
ホリンの急成長。
ヨブ村長の若返り。
アルクエイビス様のところのソフィアさんもそうだ。
彼女も新しい魔法を覚えられず苦心していたのに、ある日突然、魔法を2つも覚えた。
そして私、世捨て人のロランもまたそうだ。
もうこれ以上強くなることは叶わないと、そう諦めていた私の身体は、今――
今、雷光そのものとなっていた。
大地を力強く蹴れば、私の身体は豪雨と強風の中を矢より強く速く突き進んでいた。
脚力が向かい風となった嵐をねじ伏せ、非常事態だというのに私を感動に震えさせた。
成長。
成長の限界に至ってしまった私に、再び成長が訪れていた。
私は目撃証言の収集を受け持った。
家から家へと、迅雷となって飛び回っていった。
「釣り竿ですか……?」
「ええそうよ、あの子たち釣り竿を肩にかけていたわ」
8件目の家を訪れると、ようやく子供たちの目撃証言と出会えた。
「あの、ロラン様……? どうかされましたか?」
「私は、なんて大バカ者なのだ……」
いや、その証言は答えにも等しかった。
あの子供たちは、昼に私たちと1度会っている。
「あの、何か温かい飲み物でも……」
「いえ、お茶のお誘いはまた後ほど。貴女の証言で、子供たちの行き先に見当が付きました……」
あの時、コムギさんが釣りに行くと漏らしてしまった。
釣りは子供たちが大好きな遊びだ。
もし、あの子たちがあの後、私たちを尾行していたとしたら……。
「失礼します」
「いいえ、子供たち――まあっっ?!」
このお宅は村の東部にある。
ここから村の西門から出た先の、あの釣り小屋に向かうのは、この嵐の中ではそうそう簡単なことではない。
コムギさんのあの、サーモンサンドを食べるまでは。
私は嵐の中、狂ったように笑い声を上げた。
まさかこんな形で、成長の壁を乗り越える日が来るとは思わなかった!
いや笑ってなどいられない。
もし私の推測が正しければ、結末によってはコムギさんを苦しめることになる。
落ちるように丘を下った。
村の慎ましやかな中心街を、水飛沫を上げて通り抜けた。
ホリンの大風車を通り抜け、今日コムギさんと共に歩いた西門への道を駆けた。
閉じていた西門を、ちょうど手前に置かれていた台車を足場にして、一躍で乗り越えた。
転びそうになりながらぬかるんだ山道を下った。
あの傾斜面までやってくると、枝や葉が肌を傷つけようと構わずに林を突っ切り、朽ちかけの釣り小屋の前に飛び込んだ。
「私です、ロランです! 中にいますか!?」
辺りに血の匂いはない。
無事でいてくれと神に願って、中に聞こえるように声を張り上げた。
すると微かな声が返ってきた。
小屋の壁には穴が空いており、そこから子供の瞳が私を見ていた。
「ロラン、様……?」
「い、いる……いるよ……」
「ごめんなさい……ぅぅ、寒いよぉ……」
息が止まりそうになるほどの深い安堵に、私はため息を吐いた。
小屋の扉が開き、涙を浮かべた子供たちが私を見つめていた。
「助けに来ました。さあ帰りましょう」
「で、でも……変な怪物が、外に……いるんです……っ」
「怪物? それはどんな魔物ですか?」
「なんか、体中水草まみれの変なやつだ!」
「でも凄く大きいんです! 動きは遅いけど、ロラン様より大きくて……っ」
カンテラを掲げて辺りを見回した。
闇と雨により視界は極めて悪い。
雨に体温を奪われ、手足がかじかんでいた。
「ごめんなさい……僕たちが、勝手に外に出なかったら……」
「本当にいたんだよ……っ、信じて、ロランさん……っ」
子供たちを安心させるために微笑んだ。
腰の剣を見せつけた。
こんな天候の中、もしモンスターの群れに囲まれたら子供たちを守り切れない。
「信じます。さて、では村に帰りましょうか。忘れ物はありませんか?」
しかし村の西門はそう遠くない。
すぐそこの傾斜面を上って、西門までの山道を少し歩くだけでいい。
たどり着けない距離ではないはずだ。
安全圏はすぐそこにある。
「父ちゃん、怒るかな……」
「大丈夫、貴方の帰りを心待ちにしていますよ。さあ、手を繋いで。貴女は私のコートから手を離さないように」
脱出が始まった。
豪雨の中を一歩一歩進み、激しい雷に震える子供たちを誘導した。
辺りは真っ暗闇だ。
カンテラの明かりもまともに届かない。
少し歩き林を抜けて、さっきの傾斜面まで進んだ。
しかしそこまでやってくると、妙に重いような、奇妙な足音が後方から聞こえてきた。
「ロ、ロラン、様……っ」
「あ、あいつだ……っ、あいつが追ってきた……っ」
「た、助けて……」
子供たちは恐怖に震え上がった。
その一方で、私はこんな状況だというのに充実感を覚えた。
このアッシュヒルにおいての、己の役割を実感した。
私は子供たちを守りたい。
コムギさんの暮らすこの村を守りたい。
愛しいカラシナさんはもういないが、ここには思い出がある。
「噂で聞いたことがあります。水夫たちは、確か貴方を藻男と呼んでいました」
道を引き返すと、本当に子供たちが言う通りの怪物がいた。
全身が水草だらけの、見上げるほどに巨大な怪人だった。
「恨みはありませんが、帰還を阻む障害として、排除させていただきます」
藻男が腕を薙ぐと、水草が鞭となって私をからめ取ろうとした。
だが今の私にそんな技は利かない。
今の私は、相手の挙動を見てからゆうゆうと反撃ができる。
私は鞭となった水草を切り飛ばし、迷わずに初見の怪物との間合いを詰めた。
「は、速……っ?!」
不安になったのか、子供たちが戻ってきてしまっていた。
私は藻男が吐き出すヘドロのような物を、潜り込むように回避して剣を斬り上げた。
さらに2発。
まだ余裕があったので4発。
これ以上は必要ないかもしれないが、念のためもう6発ほど剣を乱舞させた。
藻男の巨体は深緑の光となって宝石に変わり、私は宙にあったそれを回収した。
小指の先ほどのエメラルドだった。
「さあ帰りましょう。これはオハジキにでもして下さい」
林の中に戻った。
そして子供たちを庇っていたお姉ちゃんに、エメラルドを譲った。
「あ、ありがとう……あ、綺麗……」
「ロランさん、コムギおねーちゃんみたい……」
「コムギもオハジキって言って、宝石くれたよなー。俺たちだって、宝石の価値くらいわかるのによ……」
言われて私は笑ってしまった。
彼女と似ていると言われるのは、私にとって嬉しいことだった。
「さあ、早く帰って暖炉に当たりましょう」
注文したワインはもうゲルタの胃の中だろう。
私は子供たちを連れて傾斜面を上り、山道を進んで西門に護送した。
門を飛び越えて内側から開けてみせると、男の子たちがホリンのように憧れの目で見てくれた。
後は門の前にあった台車に子供たちを乗せれば、酒場まであっという間の道のりだった。
「ロランさん! あっ、みんなもいるっ、よかった無事だったんだね!」
暖炉で温められた酒場の空気より、コムギさんの笑顔にホッとした。
私と子供たちは上着を脱ぎ、暖炉の前でくっついて温まった。
やがてコムギさんとゲルタが厨房から戻ってきた。
2人はソーセージ入りの温かいジンジャースープを作って、私を待ってくれていた。
「やっぱりアンタは頼りになるね。これからもずっとここにいなよ、ロラン」
「今のところはその予定です。……ところで、私のワインは?」
「あっはっはっ! 酒気に逃げられちまう前に、アタイの腹の中にしまっておいたに決まってるじゃないかい!」
「ゲルタさん、普通に飲んでました……」
「ええ、ゲルタはそういう方です」
私は幸せを感じた。
私はこの村の人々に仲間として受け入れられている。
ゲルタがよこしたワインをボトルごとあおると、冷えていた身体が温まっていった。
雨足は今変わらずに強く、風が建物をガタガタと不安に揺らしている。
コムギさんと同じく、子供たちもこの宿に泊まることに決まった。
危機は去った。
だが嵐はまだ去ってはくれない。
強い風と雷にコムギさんが震え上がるたびに、私は彼女にいとおしい感情を抱いた。
彼女は私が愛した女性、カラシナさんにそっくりだった。
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