・嵐の夜 - 帰りたいけど帰れない -
白いシャツとズボンに着替えて、宿の大きな暖炉を借りて濡れた服を乾かした。
ここの暖炉の前には古いロッキングチェアがある。
あたしはそれにゆったりと腰掛けた。
ゆらゆらとイスに揺られながら、気持ちいいけれど心持ち熱い暖炉の火に当たった。
なんだか変な感じだった。
帰らなきゃいけないのに今は帰れなかった。
ただ時間だけが無為に過ぎていった。
ゲルタさんは忙しそうだ。
仕事を手伝おうとすると、
『止めときな、風邪ひくよ』って言われてしまった。
激しい雨音が叩き付けるように、アッシュヒルの大地に降り注いでいる。
強い横風と豪雨が宿の壁にぶつかって、木造のこの建物がゆらゆらと揺れた。
「お、落ち着かない……。わっ、わぁ……っ?!」
おまけに雷まで鳴り始めた。
今のは遠かったけど、小さく窓の外が光った。
あたしはますます不安になった。
ついロッキングチェアの上で、膝を抱いてしまっていた……。
「大丈夫かい? そういやアンタ、雷が苦手だったっけね」
「そういうゲルタさんは、なんで平気なんですか……」
「アッハッハッ、アタイはガキの頃から雷が鳴ると気分が高ぶる方さ!」
「う、羨ましい……」
「アタイは今気分がいいよ。滅多にきてくれないお客様を招けたからねぇ!」
「それ、あたしのことですか……?」
「そうさ。今日は泊まってきな」
ゲルタさんはご機嫌だった。
ゲルタさんの太い手があたしの肩にドンと置かれた。
「止んだら帰ります! お店のパン、出しっぱなしだし……」
仕込んでおいたパン生地も気になる……。
明日の朝1番で焼かないと、朝食に焼きたてのパンを食べられない人が出ちゃう。
「ロランも泊まっていってほしいんじゃないかねぇ?」
「え……。ロランさんが……?」
「そうさ。たまには、あの寂しい男を慰めてやりなよ」
「寂しい……ですか? いつもホリンと一緒で、楽しそうですけど……」
「それはそれさ。……ああ、ロランッ! アンタの部屋にコムギを泊めることになったよ、いいねっ!?」
「ちょっ、な、何言ってるんですかぁーっっ?!」
そこにロランさんが上の階から下りてきた。
着替えたロランさんは、水色と白のシマシマのパジャマ姿だった。
かわいらしい格好に、あたしは立て続けに驚くことになった。
「私の部屋ですか? ですがなぜ、わざわざ……」
「他の部屋はダニが沸いててね。きっと、この前きた旅の連中が持っていたんだろうね」
「ひぇっ?! ダ、ダニちゃんは困ります……っ!!」
「もう少しまともな嘘はありませんか?」
「え、嘘っ!?」
「いいからアタイの言う通りにしな、ロラン。嫌なら宿から追い出すよ」
「それは困りますね」
ゲルタさんとロランさんの会話は、大人の皮肉が混じっていた。
ゲルタさんは判断の理由を説明せずに、ただあたしに顎を送ってみせた。
「そういうことですか、わかりました」
「えっ、ど、どういうことっ?!」
「2名様、ご案内ってことさ」
ゲルタさんがメニューを手に取って、あたしに投げた。
受け取ると、自分が膝を抱きっぱなしだったことに今さら気付いた。
サーモンサンドを食べたから、お腹はあんまり空いていなかった。
「何にするんだい?」
「ではナッツの詰め合わせといつもの赤ワインを。コムギさんにはブドウジュースをお願いします」
「あいよ、ちょっと待ってな」
ナッツなら食べれる。
甘酸っぱいブドウジュースも飲みたい!
あたしはロッキングチェアから立ち上がって、ロランさんの向かいの席に座った。
けど風が、また強くなってきた……。
「ただの風です、大丈夫。……まあ、ボロ宿ですが」
厨房の方でゲルタさんがロランさんを鼻で笑った。
あたしはロランさんの気遣いにちょっと感動した。
だって、本当に雷だけは苦手だったから……。
「でも、凄い風ですよ……? 宿屋も、こんなに、揺れて……」
「何か起きても私が貴女を守ります。怖がることは何もありません」
また窓の空が光って、遠い雷鳴が届いた。
ロランさんの大きな手が、震えるあたしの手をソッと握ってくれた。
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