・素早さのサーモンサンド - 思い出が残る場所 -
「さあこちらへどうぞ」
「あ……ありがとうございます……」
ロランさんは釣り小屋のキャビンにあたしを引っ張っていった。
古いイスを手で払って、あの絹のハンカチを敷いてくれた。
イスは1つだけだったから、ロランさんはあたしの隣に立って釣り針を湖に垂らした。
湖の底に、チラッと魚影が見えた。
腰を落ち着かせて釣り針を垂らすと、しばらく会話が絶えた。
……繰り返すけど、村のすぐそこにこんな場所があるなんて、やっぱり驚きだった。
薄暗いこの林の中で、湖の周囲だけが明るかった。
銀色の空が水面に反射していた。
天気のいい日にきたら、もっともっと綺麗な場所なんだろうな……。
澄んだ水底に、若草色の椛の葉が沈んでいるのが見えた。
「凄くいいところですね……」
「私もそう思います。初めてここに案内してもらった時は、感動しました」
「あたしも! でも、誰に教わったんですか?」
それは何気ない質問だった。
だけど返事がそれっきり返ってこなかった。
あたしは不思議に思って、隣のロランさんを見上げた。
オレンジブロンドの超イケメンが、遠い目で湖の対岸を見つめていた。
「知りたいですか……?」
「はいっ、村の誰かですよね?」
ホリンかと思ったけど、ホリンだったらあたしに見せようとするはずだった。
だとすると、誰だろ……?
村長さんとかかな……。
「カラシナという女性です」
「え……。えっ、えええーーっっ?! うちのお母さんっっ?!!」
「はい。貴女のお母さんに連れてきていただきました」
「嘘、知り合いだったのっっ?!」
ロランさんが指先を唇の先に立てた。
あ、そっか。
ここって村の外で、今は釣りの真っ最中だった……。
「ごめんなさい……。でも、ビックリしてつい……」
「私こそ隠していてすみません」
「いえ、あたしが聞かなかっただけですし……」
「言わなかった私が悪いのです」
そこまでやり取りして、また会話が途絶えることになった。
お母さんはもういない。
お母さんの話をしても、そんなの寂しいだけだった……。
「それ……いつのことですか……?」
「君がまだ生まれていない頃です。ヨブ村長が現役の大工で、ゲルタがもう少し若く痩せていて、ダンがまだ青少年だった頃ですよ」
「む、村のみんなとも知り合いだったんですか……っ?」
「ええ、今も昔もアッシュヒルは素晴らしい村でした」
今日はビックリの日だ……。
そっか、だからロランさんってみんなとこんなに仲がいいんだ……。
だからダンさんは、ロランさんをあんなに敬愛していたんだ……。
「ロランさん、お母さんと仲よかったんですね……?」
「まあ、穴場を紹介してもらえる程度には」
あたしは物心付いた頃から、ある疑問を持っていた。
お母さんは、お母さん。
じゃあ、お父さんは……?
あたしのお父さんは、誰……?
「コムギさん」
「は、はひっっ?!」
「竿っ、引いています!!」
「わっわっ、わっほんとっ、わぁぁーっっ!?」
凄い力だった。竿ごと湖に持って行かれそうだった。
そんなあたしをロランさんが肩を引っ張るように支えてくれた。
竿をあたしと一緒に引いて、緩急を付けて一気に引っ張り上げた!
するとそれは――
ギザギザの口に、銀色の鱗、黒い背中!
それはおっきなサーモンだった!
ロランさんは立ち上がったあたしに、サーモンのかかった釣り糸を握らせてくれた。
「こんな大物が釣れるとは、村の外まできたかいがありましたね」
「やった、おっきなサーモンだーっ! これでいっぱい、サーモンサンドが作れますねっ! ありがとう、ロランさん!」
「どういたしまして」
「ヒャァッッ?!」
暴れるサーモンの頭を、ロランさんがおもむろに鞘でドカンと叩き付けた。
跳ねるサーモンは、それっきり動かなくなった。
「さ、村に帰りましょう」
「う、うん……」
大きなサーモンは、釣りかごに身体半分しか入らなかった。
「薫製にして切り身を店に届けますから、貴女は先に休んでいて下さい」
「え、あ、そっか……。ありがとう、ロランさん。えと、それと……」
「なんですか? 他に何かご希望でも?」
「あ、いや……。ん……やっぱり、なんでもないです……」
本当にあたしのお父さんなら、きっともう名乗り出てるよね……?
あたしは質問の言葉を飲み込んで、ロランさんと一緒に村に帰った。
「ゲルタと協力してすぐに仕上げます。サーモンサンド、楽しみにしていますよ」
「はい、すみませんがどうかお願いします!」
宿とパン屋の分岐点まで戻ると、そこでロランさんと別れた。
ロランさんは超イケメンだ。
遊んで暮らしている超お金持ちだ。
誰にでも超やさしい。
それに村で超一番強い。
学も気品も超ある。
そんな人が自分の父親かもしれないだなんて。
いくらなんでもそんな妄想は、あたしの願望が入り過ぎだった。
それでも思う。
ロランさんがあたしのお父さんだったらいいのに、と……。
そう思うだけならあたしの自由だった。
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