・逃げ隠れる兄と追う弟 - 弟と娘 -
「別に会うくらいいいじゃないですか。どうして会わないんです、ロランさん」
「私はここでの生活が気に入っているのです。ここには大切な思い出があります……。会っても、弟の願いは叶いません……」
「なら帰らないって伝えたらいいですよ。俺には難しいことはわかんないですけど、会わない方が間違ってる気がします」
私とロベールだけの問題ではない。
もし向こうの誰かが知れば、黄金に目がくらんだ国の者たちは、また欲と野心に溺れて政争を始める。
ロベールが連れてきた私の昔馴染みには、どうにかして私のことを黙っていてもらうしかないだろう。
「兄弟で力を合わせるところを、向こうの連中に見せつけてやればいいじゃないですか!」
「サマンサの闇は貴方が思っているよりも遙かに濃く深い。私はアッシュヒルを政争に巻き込む気はありません」
ホリンの提案はとても魅惑的な話だった。
私だって何度も妄想した。私とロベールが手を取り合う姿を見せれば、愚か者どもが争いを止めるかもしれないと。
しかし人は莫大な富を目の前にすると、倫理観など平気で捨てる生き物だ。
私はホリンほど楽観的にはなれない。
「ならなんで、そんなに愛おしそうな目でベルさんを見るんですか?」
「自慢の弟だからです」
「だったら感情に任せて、ほんの数十歩だけ向こうに歩けばいい。そうすればベルさんも喜ぶ」
ホリン、今の貴方は私の理性を試す悪魔か何かですか……?
ホリンの甘い言葉に私は従いかかり、私の理性がそれを引き留めた。
幸せそうにコムギさんと笑い合うロベールの姿から、私は目を離せなくなっていた。
「しかしホリン。貴方こそ、あの光景に何か思わないのですか?」
「ロベールとコムギのことですか?」
「そうですよ。うかうかしていると、ロベールにコムギさんを取られてしまいますよ?」
そう言ってもホリンは動じなかった。
「あいつ、コムギ狙いらしいですね。この前サマンサに行った日、訓練場で宣戦布告されました。俺とコムギ、まだそういう関係じゃないんですけどね……」
私はそれを聞いてつい笑ってしまった。
ロベールは正々堂々と宣戦布告した上で、ホリンからコムギを奪うという。
ホリンが言う通り、2人はまだ付き合ってすらいないのだが……。
コムギさんとホリンに影響されたのだろうか。
私の弟は、私の知っていた頃から少し変わったようにも思えた。
「しかし、それには一つ問題があります……」
「大丈夫です。ロベールには絶対に負けないですよ、俺」
「いえ、コムギさんの父親のことなのですが……」
「ああ、カラシナさんを孕ませて蒸発したバカ野郎が、昔いたそうですね」
「とんだ愚か者もいたものですね」
「まったくっすよ。コムギのかーちゃん、すげーやさしくて俺大好きだった! それを捨てるなんて、最低のゲス野郎ですよ」
ホリンに悪意はない。
それに彼の言うことは、私には間違っているようには聞こえなかった。
「しかしホリン、そのバカでゲスな男なのですが、私に心当たりがあります……」
「えっ、コムギのとーちゃんが誰か知ってるんすかっ?」
「私かもしれません……」
「……え。えっ、ちょ、え、ええええっっ?!」
私は愚かだった。
カラシナさんの拒絶の本当の意図に気付かなかった愚か者だった。
「もし、コムギさんが私の娘だったとしたら、あの2人は叔父と姪の関係になります」
「マ、マジですか……? あ、それでアイツッ、突然カラシナさんの部屋の掃除を……っ!?」
コムギさんには一緒に住もうと誘われている。
誤解をされる前に、ホリンにはいずれ明かしておかなければならない話だった。
「つまり……俺がコムギともしも結婚したら……ロランさんがロランさんがお父さんってことですかっ!?」
「その言葉は、ロベールからコムギさんを勝ち取ってからにしなさい」
私たちは再びコムギさんたちを木陰から盗み見た。
楽しくロベールとお喋りをするコムギさんに、ホリンは少し不機嫌そうにしている。
「さあ、私のことなどいいですから、貴方はあの輪に加わりなさい」
「でも俺、ベルさんにああさせてやりたい気持ちもあるんです。あいつ色々抱え込み過ぎだし、コムギにずっと会いたがってたみたいだからさ……」
「ホリン、貴方はお人好しにもほどがあります。ほら、行きなさい」
「おっとっとっ!?」
私はホリンの背中を強く押して、再び木陰に隠れた。
ホリンは照れくさそうに言い訳をして、ハンバーガーが気になっていたのか向こうに駆けて行った。
彼らの注意がホリンに集まっている間に、私はその場を離れて塔へと引き返すことにした。
機会を作ってくれたホリンに感謝しながら、会いに来てくれたのに会ってやれないロベールに密かに謝罪した。
・
かくしてロベールは5日間の滞在を終えると、ホリンと共に流星となってアッシュヒルを去った。
それから翌日、たくさんの物資を調達して帰ってきたホリンは、ロベールからの言づてを私に運んでくれた。
「『兄は迷惑かもしれないが我は諦めない。兄上が会ってくれるまで、何度でもアッシュヒルを訪ねる』……だってさ。会った方が早くないか、ロランさん?」
「それは参りましたね……。ホリン、貴方は次も彼の手助けをするつもりですか……?」
「もちろんっす。ロランさんが折れるまで、俺もベルさんも諦めないっす」
「ホリン……。これは情だけの問題ではないのですよ……」
「情だけの話っすよ。ロランさんが言い訳して会おうとしないだけです」
「それは……そうなのかもしれませんが……。言ってくれますね、ホリン……」
私は弟がまたアッシュヒルを訪ねてくると聞いて、喜びを感じずにはいられなかった。