・逃げ隠れる兄と追う弟 - 最愛の弟 -
・兄
「ありがとうございます、ダン」
ダンに顔がすっぽりと隠れるフードローブを手配してもらった。
「オ、オレ、お力になれた、だけで……嬉しい。ロラン様、いってらっしゃいませ……」
「行ってきます。このお礼は後ほど」
「村、救ってもらった。それで、十分だ……!」
「それはあの戦いのことですか?」
「オレ、感謝、してる……。みんな生きてる、ロラン様の、おかげ……」
「私は手助けをしただけです。この村を救ったのは、アッシュヒルの民自身と、コムギさんです」
私はダンに感謝してローブを身に付けると、弟の姿を求めて、郊外のダンの畑からカラシナさんのパン屋へと歩いた。
弟はカラシナさんの娘に強く惹かれている。
それが私にはいささか奇妙に感じられてならない。
私たちは髪の色からしてもまるで似ていない異母兄弟とばかり思い込んでいたのだが、どうやらそれは私の勘違いだったようだ。
まさか女性の好みがここまで似るだなんて……。
私とロベールはやはり同じ父親を持つ兄弟なのだと、私は数十年遅れの実感に浸ることになっていた。
私にとってロベールは政敵などではなく、目に入れても痛くないかわいい弟だ。
それが会いにきてくれて、嬉しくないはずがなかった。
私は村の気持ちの良いあぜ道を歩き、やがて目的地の寸前までやってくると、木陰に身を隠すことになった。
コムギさん、イベリス姫、従者インセンス、そして私の大切な弟ロベールが揃って店から出てきたためだった。
「さあっ、美味しいピクニックにしゅっぱーつっ!! すぐそこの近所だけど……」
バスケットを手にかけて大股で歩くコムギさんに、弟は密かな眼差しを送っていた。
その姿が私には、カラシナさんに夢中になっていた頃の自分に重なって見えた。
「こんなに美しい湖畔で、今日もムギちゃん師匠のハンバーガーが食べられるだなんてっ、なんという至福のひとときでしょう!」
「姫様、ロベール殿下の御前だ。もう少しだけ、淑女の慎みを持たれてはどうだろうか……」
ロベールはコムギさんから視線を外さない。
コムギさんはそれを知らずにイベリス姫と並んで前を歩いている。
「それは不要だ、インセンスよ。そんなことをされたら、我まで取り繕った態度を取らなくてはならなくなる」
「話がわかりますわね、ロベール様!」
「うむ。両王家の権威が及ばぬこんな山里で、貴族だ王族だとふんぞり返っていても、ただ虚しいだけだ」
私はロベールのその言葉に成長を感じて、胸がとても熱くなった。
それと同時に申し訳ないと強く思った。
政争を終わらせるために必要だったとはいえ、私は弟に王の重責と激務を押し付けてしまった。
「それはそうなのだが、ロベール殿下……。しかしもし姫様に失礼があったらと思うと……。その時は何とぞ、ご容赦を……」
「失礼なのはインセンスの方ですわっ!」
彼らの目的地は風車の近くの丘だった。
わたしもその近くの湖畔を時々釣り場にしている。
夕刻になると西の大風車が大きな影を作って、それが回りながら湖に映り込むところがとても素敵な場所だ。
……かつてはカラシナさんと、そこで釣りをしたものだった。
「あんなに大きな風車を管理しているだなんて、やはりただの従者ではありませんわね、ホリン様は……」
「はははっ、あれがただの従者なものか! あんなに強く公平な男は、我が兄上をのぞけば他にいない」
ホリンを賞賛する弟の姿に私は安心を覚えた。
あの歪んだ母の影響をロベールが受けて、いつかおかしくならないかと私はずっと心配だった。
ロベールの女性恐怖症は幼少の頃からだが、コムギさんやイベリス姫とは自然体でやり取りできている。
良かった。弟は真っ直ぐに成長しているようだった。
「ええ、それにとっても良い人ですわ。ちょっと品とか配慮がないところが、困ったところではありますけれど……」
「ホリンの話なんて後にしてっ、新作食べようよっ、新作! タルタルメンチカツバーガー!」
サマンサ名物ハンバーガーをコムギさんが再現した。
しかもそれにはメンチカツがはさまれ、海賊直伝のタルタルソースがトッピングされているという。
アルクエイビス様のところで質素な生活をしていた私には、今すぐあの間に入ってその手作りハンバーガーを分けてもらいたい衝動にかられた。
「わぁぁっ、サックサクッですのっ!」
「揚げ物の油っこさを、このほんのり甘いバンズが受け止めてくれるところがまた良い……。スイセンに帰るのが嫌になってくるほどだ……」
そんなに、美味しいのですか……?
「ありがとう、ベルさん……。あたしにハンバーガーのレシピを教えてくれて……。あたし、食べるたびに感動してる!」
「感謝するのは我の方だ。こんなに美味い食べ物を知ったら、我もサマンサに帰るのが嫌になる……」
羨ましい……。
私はコムギさんの新作パンを食べられる弟に羨望と、壁のない幸せな笑顔を浮かべる姿に喜びを覚えた。
「ロランさん」
しかし私はのぞき見に夢中になり過ぎたようだ。
無防備な私の肩に、ホリンが雷神の剣の鞘を当てていた。
「こんなに隙だらけのロランさんは初めてです」
「帰っていたのですか、ホリン」
「朝一に戻って、今の今まで寝直してました」
「……そうですか。恥ずかしいところをお見せしましたね」
「でも、元はといえば勝手なことをやった俺のせいです。すみません、ロランさん。でも俺は、ロランさんはベルさんと会うべきだと思ったんです」
成長したのはロベールだけではなかったようだ。
ホリンは知った上でわざとこうしたと、師匠である私に謝罪した上で開き直った。
「こうして弟を遠くからのぞけるのは、ホリン、貴方のおかげです」
「見るだけですか……?」
「ええ、会ったところで私たちの関係はどうにもなりません。弟は私に王位を返すつもりのようですが、今さら私が王になってどうするのです。せっかく、政情が安定していたのに……」
理性より情や直感を重視するホリンからすれば、私の話はわからない話だった。