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・風の巡る丘にて、ある故人の追想

 あの人と暮らすようになってから、わたしは少し朝に弱くなったわ。

 彼はとてもやさしく気の利く人だから、それが心地良くてついつい甘えてしまう……。


「カラシナさん、起きているかな? 朝食の支度ができたのだけれど」

「……本当に貴方は、王子様?」


「ああ、旅暮らしが多いからね、1人でできることは多いに越したことはなかったのです」

「ありがとう、着替えたら行くわ」


 わたしはロラン様……いえ、ロランに依存してしまっていた。

 様を付けることを止めて、家族同然となって、かれこれ半年以上を共に過ごしていた。


 国に帰らなくて大丈夫と、以前はよく聞いたのだけれど、もうそれは聞かない。

 答えを聞くのが、恐ろしくなってしまっていたから……。


「おはよう。君のパンはコーンポタージュがよく合うと思ってね、朝から張り切ってしまいました」

「貴方は王子様ではなくて、シェフだったかしら……?」


 階段を下りると温かな朝食と、彼の笑顔が待っていた。


「それも悪くないね。店を拡張して、パン屋をしながらレストランでも開こうか?」

「ふふ、それはゲルタが良く思わないわ」


 コーンポタージュと、わたしが焼いたバケット、それにワインビネガーを使ったサラダを朝食にした。

 彼の作ったポタージュにバケットを浸して食べると、わたしは思った。


 ロランがやってきてから、自宅の居心地がこれまで以上に良くなった。

 彼を邪魔と感じたことは数えるほどしかなくて、彼が居なくなるなんて想像するだけでも恐ろしかった。


「ロラン、今日の予定は?」

「午前は店の手伝いを。午後はヨブの要請で山道の方に。先日、交易商人が魔物を見たと言っていたそうです」


「ふふっ、この村の勇者様ね」

「大使をやっていた頃より充実していますよ」


「ずっとここに居ていいのよ」

「ああ、そのつもりですよ。……男して、責任を取るつもりです」


 好きだとか、伴侶にしたいとか、そういった告白はしていない。

 けれど感情には逆らえず、つい体を許してしまった。


 それも一度や二度ではなく、何度も、何度も……。


 けれどもわたしの予言は外れない。

 彼の頭の上には、いつか王冠が掲げられる……。


 その日に繋がる出来事が起きるのが、わたしはただただ恐ろしかった。


「カラシナさん、君に受け取ってもらいたい物があります」

「あら、新しいお花?」


「これを」

「それは……」


 ロランはわたしの手を取り、手のひらの上に黄金に輝くブローチを置いた。

 中央にあしらわれた紫色の宝石が綺麗。


 一見はアメジストのように見えるけれど、屈折率の高さからしてもっと高価で珍しい石かしら。


「それは母の形見でしてね、父が母に渡した物だそうです。他でもない君に受け取ってもらいたい」

「ロラン……わたしはお婆ちゃんよ? 貴方のお父さんやお爺さんよりも、遙かに歳を取った女なのよ?」


「そこがミステリアスでなおさら素敵です。カラシナさん、私と婚約してくれませんか?」


 婚約という手順を踏むところが育ちの良い王子様らしい。

 わたしは誘いを拒むことなく、けれど言葉にするのもはばかられて、何度も控えめに彼へとうなずいた。


 エルフの純血を守らなければならないと息巻いていたわたしが、まさか自分から志を曲げるだなんて……。

 これでは村の同族たちに笑われてしまう。


「奇妙と思われるかもしれないですけれどね、私はパン屋の仕事が好きなのです。さあ、今日も始めましょうか」

「ロラン……。わたしは今でも時々、貴方の頭の上に王冠が掲げられる未来が見えるのだけれど……。そうならないと信じて、これを受け取るわ」


「私は王になどなりません。私は、ただのパン屋の従業員になりたいのです」

「わかったわ、ずっとアッシュヒルに居て……。そうすれば、わたしの予言が外れてくれるはずだから……」


 朝食を終えたわたしたちは一緒にパンを捏ねて、開店の準備を急いだ。


 彼がきてくれて、すっかり仕事が楽になった。

 メニューもたくさん増やせるようになった。


 ずっと彼と一緒にいたいと、そう願わずにはいられなかった……。



 ・



 けれども……。

 わたしは最悪の未来を見てしまった……。


 ロランが店を出てゆき、わたしはゲルタのところでお喋りでもしようかと丘を上りかけた時、かつてないほどのめまいに襲われた。


 未来の映像が頭の中に流れ込み、その映像の中でわたしは自分自身の死と、いずれくる滅びの未来を知ってしまった。


 遙か先の未来でロランは王となった。

 けれどもすぐに王位を退き、彼はわたしとの人生のやり直しを願って、アッシュヒルを訪れる。


 わたしはもう、その未来のアッシュヒルにはいないというのに……。


 わたしの死に悲しみ暮れていたロランは、ヨブの孫のホリンと出会う。

 まるでダンのようにホリンはロランを慕い、村を守りたいという想いを伝える。


 そしてロランは、その果てで――


「あの子は、無事に逃げられたでしょうか……。ああ、カラシナさん……これでやっと、貴女に、お会い、できる……」


 たった1人で村を守るために戦い抜き、そこで非業の死を迎える。


 王として人々に慕われ、恵まれた人生を生きるはずだったのに、あたしがアッシュヒルに導いてしまったがために、彼はこんな山奥の村で命果てる。


 勇者の名はホリン。

 わたしの役目はアッシュヒルにロランを導き、幸せな思い出を彼の胸に焼き付けること。


 そしてロランの役目は、勇者ホリンを育て、最期まで退かずに戦い果てることで(いしずえ)となり、ホリンを復讐鬼に変えることだった。


 それがわたしたちの運命。

 変えることのできない未来に、わたしは絶望した。


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