表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

153/198

・或る王の追憶、風の巡る丘にて - 私はもう帰らない -

「その、ロラン様……」

「ん、なんだい? 何か言いにくい話なのかな……?」


「いえ、大したことではないの。ただ……いつまでアッシュヒルに、逗留するおつもりなのかと、思って……」

「カラシナさん……もしや私がお邪魔なのですか?」


「そういうわけではないわっ! ただ、期日が気になってしまって……」


 カラシナさんは、いつか私がここを去ることを惜しんでくれている。

 そうだったら嬉しいが、それは私の願望によるところも大きいだろう……。


「ロラン様、教えてくれますか? 貴方は外交官で、王子様なのよね……? いつまで、ここに居られるのですか……?」


 私は王子。私はサマンサの王太子だ。

 いつまでもここに留まることはできない。


「しばらくの間、個人的な休暇を取ると父上に手紙を出しました」

「じゃあ、まだここに居られるのねっ!?」


「はい。私はアッシュヒルが気に入りました。叶うことならば、ずっとここに居たいくらいです」

「よかった……」


 滞在の延長を喜ぶカラシナさんの姿に、私は強い多幸感を覚えた。

 私はここに居続けることを彼女に望まれていた。


「おーいっ、ワシじゃよ! 奥におるのかーっ、ロラン殿よーいっ!?」

「もう、またヨブだわ……。ヨブッ、こっちよっ、ロランなら居間にいるわっ!」


 そこにヨブという壮年の男が訪ねてきた。

 彼は時々こうしてやってきて、私たちの楽しい時間を邪魔してくれる。


 元は王都で拳闘士をやっていたそうだ。

 私の実力を真っ先に見抜き、すぐに一目置いてくれた。


「おお、ロラン殿! 今日はロラン殿に頼みがあってきたんじゃよ!」

「頼み? 村人の護衛か何かですか?」


「ワシは周りくどいのは苦手じゃっ、単刀直入に言うぞっ! ロラン殿っ、おぬしこの村に骨を埋めぬかっ!?」

「もう、何を言っているのよ、ヨブ……」


「カラシナさんも聞いてくれ! 最近ワシは、手足が痺れるようになっての……そろそろ引退を考えておる……」


 彼の意図は聞くまでもなかった。

 この美しい村、アッシュヒルは危うい。


 素朴なところはとてもいいのだが、村の周囲には有象無象の魔物が住み着いている。

 それを今日まで守ってきたのが彼、元拳闘士ヨブだった。


「頼む、ロラン殿……。正式にこの村の一員になってはくれぬか?」

「ダメよ、ヨブ。ロラン様には役目がある。ロラン様にしかできない特別な役目があるの……」


 カラシナさんはあの日、私がいつか王になると予言した。

 私はサマンサに戻り、王となる運命にあるという。


 だが私にとってその運命は、今となっては非常に受け入れがたいものだった。


「孫のホリンが最近、ちょろちょろと歩き回るようになってのぅ……。その姿を見ていたら、ワシは、不安になってしまったのじゃよ……」

「あの子ですか。ホリンはまるで天使のようにかわいい子だ……」


「おおっ、わかってくれるかロラン殿っ!」


 私がサマンサに戻り王位を継ぐことは、サマンサの民の幸せに繋がるのだろうか。

 むしろ、このまま姿をくらました方が……。


「わかりました、私はこの村に定住することにします」

「おおっ、本当かっロラン殿っ!?」

「う、嘘……っ」


 私は王になんてなりたくない。

 この村でただの1人の人間として、近しい人々を守って生きていきたい。


 ヨブはとても喜び、皆に話を伝えてくるとはしゃいで店を出ていった。

 正面を向くと、向かいのテーブルでカラシナさんが私をどうしてか睨んでいた。


「どういうおつもり、ロラン王子様? いえ、未来のサマンサ王」

「既に祖国も見抜いておられましたか」


「ええ、貴方から話をたくさん聞かせてもらったもの」

「そうですか。私に興味持っていただけて光栄です」


「それで? ロラン様はどういうおつもり?」


 どうもこうもない。私は王子であることが嫌になった。


「……私は旅が好きです。今日まで使者として、あちこちを放浪してきました」

「そんなの知ってるわ」


 放浪を選んだのは、最初はサマンサをどうにかする糸口が欲しかったからだった。

 黄金に目がくらむ民と、政争に明け暮れる王侯貴族をどうにかしたかった。


「最近、義母の腹から子が生まれました。あの悪魔の息子とは思えないほどに、玉のようにかわいい男の子です。しかし私とあの子はこのままでは、いずれ争うことになるでしょう……」

「でも王になるのは貴方よ、ロラン。誠実な貴方こそ、理想の王者だとわたしは思うのだけど……」


「ありがとう、カラシナさん。ですが私はもううんざりなのです。私は王子ではなく、ただの1人の人間としてここで暮らしたい……。いえ、他でもない貴方と一緒がいいのです……」


 本当の望みを伝えると、カラシナさんは落ち着きを取り戻して食事を再開した。

 意外な反応に、私は彼女をしばらく呆然と見つめてしまった。


「だったらいつまでも、ロラン様はゲルタの宿に滞在するわけにはいかなそうね」

「それもそうですね。いっそそこの湖の前にでも、自分で小屋を建ててしまいましょうか?」


「もっといい方法があるわ」

「はて、どういたしましょうか?」


「わたし、二階の物置がね、どうしても片付けられないの……。あそこを整理してくれる人がいれば、空いたあの部屋を、誰かに貸してあげられるのだけど……」


 私から視線をそらしながら、カラシナさんが遠回しに私を誘った。

 この家に私を住ませてもいいと、彼女はそう言っているのだろうか。


「そうしたらね、その人に住み込みでお店を手伝わせるの。わたしも楽になって、その人も楽しい。とても良い考えだと思わない……?」

「ええ、それはとても。しかし、私などでよろしいのですか……?」


「別に。わたしはただお手伝いさんが欲しいだけ。あーあ、誰か2階を片付けてくれないものかしらね……」


 私は急いで昼食とお茶を平らげると、口にパンを詰めたまま立ち上がった。

 ここでならば私は本当の人生を始められる。


 それも一目惚れをした運命の女性と、同じ家で、同じ職業で。なんて幸福なことだ。

 私はこの家の2階に上がり、埃だらけの物置を汗を流して片付けていった。


「ゲホッゲホッ、なんて酷い埃だ……。だが片付けさえすれば、扉2つ向こうにカラシナさんがいる生活が……」


 こうしてサマンサの王子だった男は、全てを捨てて山奥の村アッシュヒルで暮らし始めた。

 私が片付けたその部屋が、その後に巡り巡ってあの子の部屋になるだなんて……。


 遠い日の私がしたことは、決してムダではなかった。


もしよろしければ、画面下部より【ブックマーク】と【評価☆☆☆☆☆】をいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ