・或る王の追憶、風の巡る丘にて - 私はもう帰らない -
「その、ロラン様……」
「ん、なんだい? 何か言いにくい話なのかな……?」
「いえ、大したことではないの。ただ……いつまでアッシュヒルに、逗留するおつもりなのかと、思って……」
「カラシナさん……もしや私がお邪魔なのですか?」
「そういうわけではないわっ! ただ、期日が気になってしまって……」
カラシナさんは、いつか私がここを去ることを惜しんでくれている。
そうだったら嬉しいが、それは私の願望によるところも大きいだろう……。
「ロラン様、教えてくれますか? 貴方は外交官で、王子様なのよね……? いつまで、ここに居られるのですか……?」
私は王子。私はサマンサの王太子だ。
いつまでもここに留まることはできない。
「しばらくの間、個人的な休暇を取ると父上に手紙を出しました」
「じゃあ、まだここに居られるのねっ!?」
「はい。私はアッシュヒルが気に入りました。叶うことならば、ずっとここに居たいくらいです」
「よかった……」
滞在の延長を喜ぶカラシナさんの姿に、私は強い多幸感を覚えた。
私はここに居続けることを彼女に望まれていた。
「おーいっ、ワシじゃよ! 奥におるのかーっ、ロラン殿よーいっ!?」
「もう、またヨブだわ……。ヨブッ、こっちよっ、ロランなら居間にいるわっ!」
そこにヨブという壮年の男が訪ねてきた。
彼は時々こうしてやってきて、私たちの楽しい時間を邪魔してくれる。
元は王都で拳闘士をやっていたそうだ。
私の実力を真っ先に見抜き、すぐに一目置いてくれた。
「おお、ロラン殿! 今日はロラン殿に頼みがあってきたんじゃよ!」
「頼み? 村人の護衛か何かですか?」
「ワシは周りくどいのは苦手じゃっ、単刀直入に言うぞっ! ロラン殿っ、おぬしこの村に骨を埋めぬかっ!?」
「もう、何を言っているのよ、ヨブ……」
「カラシナさんも聞いてくれ! 最近ワシは、手足が痺れるようになっての……そろそろ引退を考えておる……」
彼の意図は聞くまでもなかった。
この美しい村、アッシュヒルは危うい。
素朴なところはとてもいいのだが、村の周囲には有象無象の魔物が住み着いている。
それを今日まで守ってきたのが彼、元拳闘士ヨブだった。
「頼む、ロラン殿……。正式にこの村の一員になってはくれぬか?」
「ダメよ、ヨブ。ロラン様には役目がある。ロラン様にしかできない特別な役目があるの……」
カラシナさんはあの日、私がいつか王になると予言した。
私はサマンサに戻り、王となる運命にあるという。
だが私にとってその運命は、今となっては非常に受け入れがたいものだった。
「孫のホリンが最近、ちょろちょろと歩き回るようになってのぅ……。その姿を見ていたら、ワシは、不安になってしまったのじゃよ……」
「あの子ですか。ホリンはまるで天使のようにかわいい子だ……」
「おおっ、わかってくれるかロラン殿っ!」
私がサマンサに戻り王位を継ぐことは、サマンサの民の幸せに繋がるのだろうか。
むしろ、このまま姿をくらました方が……。
「わかりました、私はこの村に定住することにします」
「おおっ、本当かっロラン殿っ!?」
「う、嘘……っ」
私は王になんてなりたくない。
この村でただの1人の人間として、近しい人々を守って生きていきたい。
ヨブはとても喜び、皆に話を伝えてくるとはしゃいで店を出ていった。
正面を向くと、向かいのテーブルでカラシナさんが私をどうしてか睨んでいた。
「どういうおつもり、ロラン王子様? いえ、未来のサマンサ王」
「既に祖国も見抜いておられましたか」
「ええ、貴方から話をたくさん聞かせてもらったもの」
「そうですか。私に興味持っていただけて光栄です」
「それで? ロラン様はどういうおつもり?」
どうもこうもない。私は王子であることが嫌になった。
「……私は旅が好きです。今日まで使者として、あちこちを放浪してきました」
「そんなの知ってるわ」
放浪を選んだのは、最初はサマンサをどうにかする糸口が欲しかったからだった。
黄金に目がくらむ民と、政争に明け暮れる王侯貴族をどうにかしたかった。
「最近、義母の腹から子が生まれました。あの悪魔の息子とは思えないほどに、玉のようにかわいい男の子です。しかし私とあの子はこのままでは、いずれ争うことになるでしょう……」
「でも王になるのは貴方よ、ロラン。誠実な貴方こそ、理想の王者だとわたしは思うのだけど……」
「ありがとう、カラシナさん。ですが私はもううんざりなのです。私は王子ではなく、ただの1人の人間としてここで暮らしたい……。いえ、他でもない貴方と一緒がいいのです……」
本当の望みを伝えると、カラシナさんは落ち着きを取り戻して食事を再開した。
意外な反応に、私は彼女をしばらく呆然と見つめてしまった。
「だったらいつまでも、ロラン様はゲルタの宿に滞在するわけにはいかなそうね」
「それもそうですね。いっそそこの湖の前にでも、自分で小屋を建ててしまいましょうか?」
「もっといい方法があるわ」
「はて、どういたしましょうか?」
「わたし、二階の物置がね、どうしても片付けられないの……。あそこを整理してくれる人がいれば、空いたあの部屋を、誰かに貸してあげられるのだけど……」
私から視線をそらしながら、カラシナさんが遠回しに私を誘った。
この家に私を住ませてもいいと、彼女はそう言っているのだろうか。
「そうしたらね、その人に住み込みでお店を手伝わせるの。わたしも楽になって、その人も楽しい。とても良い考えだと思わない……?」
「ええ、それはとても。しかし、私などでよろしいのですか……?」
「別に。わたしはただお手伝いさんが欲しいだけ。あーあ、誰か2階を片付けてくれないものかしらね……」
私は急いで昼食とお茶を平らげると、口にパンを詰めたまま立ち上がった。
ここでならば私は本当の人生を始められる。
それも一目惚れをした運命の女性と、同じ家で、同じ職業で。なんて幸福なことだ。
私はこの家の2階に上がり、埃だらけの物置を汗を流して片付けていった。
「ゲホッゲホッ、なんて酷い埃だ……。だが片付けさえすれば、扉2つ向こうにカラシナさんがいる生活が……」
こうしてサマンサの王子だった男は、全てを捨てて山奥の村アッシュヒルで暮らし始めた。
私が片付けたその部屋が、その後に巡り巡ってあの子の部屋になるだなんて……。
遠い日の私がしたことは、決してムダではなかった。
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