・風が巡る丘、ロラン・サマンサとパン屋のカラシナの物語 - 石の町ブラッカ -
再開が遅くなりました。今日から3日に1更新で再開します。ゆっくり応援してください。
丘の大風車はコトコトと歯車の音色を奏でて、緩やかに巡る。
初めてこの大風車を見上げた日から、かれこれ20年近くが経ってしまっているというのに、その姿は当時と何も変わらない。
今も昔も規則正しい歌声を響かせ、白いその帆に風の姿を映し出す。
変わらぬその姿はこの地の民にとっての守り神も同然の存在となり、我々をやさしく見守ってくれている。
あの当時、私はサマンサの大使としてこの国にやってきていた。
公務を終えて王都スイセンを去り、気まぐれでブラッカの町に立ち寄ると、そこで不思議な女性と出会うことになった。
私は彼女に導かれて町を離れ、身のすくむような険しい渓谷を抜けて、山上湖が美しく輝く村にやってきた。
そしてあの丘の上に、風を受けて巡る四枚の白帆を見た。
山奥の村とは思えないほどに立派で大がかりな大風車に、私は感動した。
その勇姿が先人の努力と夢の結晶に見えた。
私の栄光、私の黄金時代といえば、その村で彼女と小さなパン屋をやっていた頃だ。アッシュヒルの気の良い人々と、毎日を気ままに暮らしていたあの頃が私の黄金期だった。
一時は己の頭上に王冠を掲げられた頃もあったが、私はあれを栄光だと感じたことは一度もない。
気質の面でも、私は王にはまるで向いていなかったようだ。
さて……。
少しだけ私の昔話に付き合ってもらえるだろうか。
私と彼女が出会い、そして結末へと至った一部始終を君に知ってほしい。
昔々、コムギさんが生まれるよりもほんの少しだけ昔。
あるところに、ロラン・サマンサと呼ばれる旅好きの王子がいました。
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「もう行くのか、ロラン? もう少しここでゆっくりしていけばいいだろうに」
7つ上の少し歳の離れた友人、トルー・スイセン王が不満げに私を王宮の回廊で呼び止めた。
「そうは言ってももう半月も滞在してしまっています。これ以上は居座り過ぎでしょう」
「そう言わずまた鹿狩りに付き合ってくれ。貴殿がいないと味気ない」
「お誘いは嬉しいですが、私はこの地のあちこちをもっと巡ってみたいのです」
「ううむ……。だが我が国は、王都スイセンと港町モクレン以外は、正直パッとせんぞ……?」
「都市の大きさになんの意味がありましょう。私はこの目で見比べたいのです。祖国サマンサとこの国の差異を」
「うぅむ……そうか、残念だ……。しかし貴君に導かれる民は幸せ者だな。貴君は必ず良い王になるよ」
王位……。王位のことは私にとって忘れたい問題だった。
サマンサ王家は古くより政争が絶えない。
私もいずれ弟と争わなければならない運命だった。
あんなに小さくてかわいいというのに、いつかは私を憎むようになる。そうなる日がくると思うと、ただただ怖ろしい。
「そうだ、ブラッカに行くならば馬車を出させよう」
「いえ、お気持ちは嬉しいのですが、今回はあえて歩いて行くつもりなのです」
「ははは、本当に貴君は変わり者だ! ではまた会おう、ロラン!」
「ええ、また。トルー、貴方もどうかお元気で」
「そちらも暗殺などされるなよ?」
「ええ、それは貴方も」
私は美しいスイセンの王城を去ると、水とバケットサンドだけ買って、ブラッカ行きの街道に出た。
その街道はサマンサでは見かけない、物珍しい動植物の宝庫だ。
針葉樹と呼ばれる尖った葉を持つ木々や、くちばしの小さな丸い鳥たち、山々に浮かぶ白い靄が、南国生まれの私には物珍しく、ただ眺めているだけで楽しかった。
それから気ままに4時間ほどを費やして街道を歩くと、ついにブラッカの町が見えてきた。
「そこの白マントのお兄ちゃん、ブラッカでは今追い剥ぎ騒動の真っ最中だ! 気を付けてくれよ!」
防壁までやってくると、兵士の男に物騒な話を聞かされた。
流れ者の男たちが昼夜問わず無差別で人を襲い、金品を剥ぎ取るどころか、若い娘をどこかへと連れ去るという話だ。
「ご親切にどうも。運悪く見かけたらお説教しておくことにします」
「はははっ、ダメ元でそうしてみてくれや、白い兄ちゃん!」
兵士の男は陽気だったが、町に入ると人々の疑心暗鬼の目が私を遠巻きに囲んだ。
ブラッカの町はあまり緑らしい緑がなく、どこもかしこも石で作られているのが印象的だ。
恐らく人口は1000人にも達していないだろう。
その限られた人数で防壁を管理し、耕作や経済活動を営む姿に私は目を引かれた。
この地でも人々は豊かとは言えないながらも力を合わせて、日々を懸命に生きている。
泥まみれになって畑を耕す農夫たちや、鉄や材木を叩いて物品を生み出す職人たち、商売熱心な商人たちの姿を眺めながら、私は繁華街にあるであろう宿を探していった。
しかしよそ見が過ぎたようだ。
私は裏通りから現れた何者かと、ぶつかってしまった。
「ぁ……っ」
「これは申し訳ありません、ついよそ見をしてしまいまして……ぇ……っ!?」
相手が女性とは思わず、私ははね飛ばしてしまったその人の背中を抱いていた。
しかしそれどころではないほどに、とても驚いた。
その女性はあの希少種族エルフと同じ特徴を持っており、さらには女神のように美しい容姿をしていた。
「ごめんなさい、わたしも急いでいて前を見ていなかった」
「いえ、私の不注意が原因です、貴女は何も悪くありません」
薄水色の綺麗な髪をした女性だった。
顔立ちはやわらかく、狼のような灰色の瞳がミステリアスだ。
それに背が高く、どことなく甘く香ばしい匂いがする。
その匂いは彼女が身に付けるエプロンに染み着いているようだった。
「あの、もう大丈夫ですので、手を……」
「こ、これは申し訳ありませんっ! 私としたことが、つい……っ」
「いえ、離して下さるなら別に。……見たところ、追い剥ぎではなさそうですね」
「違います! 私はロランッ、旅の……旅の旅人です……っ!」
「ふふふ、旅の旅人さん、ですか? わたしはカラシナ、少し先の村から品物の売り買いにやってきました」
私は戸惑った。
普段の私はそれなりに洗練されている自負があったというのに、その時の私は酷いものだった。
「あら、どうかされましたか、ロラン様?」
「い、いえ、少し……どうやら疲れているようです……。スイセンから歩いてきたもので……」
おかしい。さっきから動悸が治まらない。
妙に顔が熱く感じるのは、こちらの気候にまだ身体が合っていないせいなのだろうか。
あまつさえ、舌さえまともに回らないとくる……。
急にどうしてしまったのだ、私は……。
「ふふふっ、本当? あの距離を歩いてくるなんて、ロラン様は体力があるのですね」
「街道を歩くのが好きなのです。人々の生活を遠くから眺めるのも、私の趣味のようなもので……」
「あら、若いのに渋い趣味をされてますね。あ、こう言ってしまうと、まるでお婆ちゃんみたいでしょうか」
「カラシナさん……ぶつかってしまったおわびに、よろしければ私が護衛を、いたしましょうか……?」
「追い剥ぎの話? 大丈夫、わたしこう見えての強いの」
「一見そうは見えませんが……もしや魔法を?」
「ええそうよ。あ、いけない、急がないと品物が売り切れちゃう。ではロラン様、またどこかで……」
「え……あ、待っ……いや……ぁ……」
カラシナという名のエルフは柔和に微笑むと、立ち尽くす私を置いて往来の彼方へと去っていった。
私はその後ろ姿を目で追い、姿が消えた後もその場に棒立ちになって、つい呆然としてしまっていた。
どうやら本当に疲れているようだ……。
私は再び宿屋を探して、人で賑わう大通りの方に引き返した。