・勇者の故郷、アッシュヒルが滅びる日 - お帰りなさい -
・瀕死のパン屋さん
「ホリン、動ける……?」
「ははは……なんとかギリギリ、はいずるくらいはな……。そっちは……?」
「そっか。じゃあ、逃げて……」
「お断りだな。逃げるときは二人一緒だ」
あたしたちは全滅した。
ついに誰1人、その場から立てなくなってしまった。
誰かが敵を止めなきゃやられちゃうのに、もう誰も起き上がれなかった。
ああ、悔しい……。
こんなのってずるい……。
あたしたちに希望を見せて、最後に絶望の底に突き落とすなんて、こんなの酷い……。
目が霞んで、隣のホリンの顔すらまともに見えなかった。
「あれ……誰か、立ってる……。ロラン、さん……?」
そんな霞む視界の彼方で、誰かが立っている。
グレーターデーモンと向かい合い、動けないあたしたちを背中で守ってくれていた。
「私ではありません。……あれは一体、誰ですか? まさかユリアン、なのですか?」
「ははは……俺じゃねぇのは確かだなぁ……」
「む、無念……っ、無念じゃぁ……っ」
「も、もう無理っすぅぅ、おかしらぁ……」
何か変だった。
みんなボロボロで剣を杖にして立つのがやっとだったはずなのに、その人は悠々と直立している。
私は霞む目を擦って、焦点をどうにかして合わせようとした。
そしたらその人、ロランさんの剣を持っていた……。
「ホリン、ダン、村長、ロラン殿……」
その後ろ姿が喋った。
くぐもった不思議な声だった。
「ずっと会いたかった……。ユリアン、貴方は何も変わらないな……」
さらによく見ると、その人は大げさな鎧と、頭に煌びやかな兜をかぶっていた。
そのせいで声がくぐもって聞こえるみたいだった。
「おかしら、こいつ、おかしらのこと知ってるみたいですぜ……? 知り合いですかい?」
「いや、知らねぇな……。お前さん、どこの誰だ……? なぜここにいる……?」
でもなんだか、聞き覚えのあるような声だった。
声の質は違うけど、でもよくよく思い返してみると、この少し堅苦しいイントネーションって……。
「私か? 私ならばずっとそこにいた。今日までずっと、そこから君たちを見ていた。手もなく、足もなく、口もない身体で、ずっと見守っていたよ……」
あっ、攻略本さんだ……!!
攻略本さんが、人間の姿になっているっ!!
「あの……っ、攻略本さん……攻略本さん、なんですよね……?」
「ああ、私だ。こうして会えて嬉しいよ、コムギ」
あれ……でもやっぱり変だ!
ロランさんの剣、今もあたしが持っているのに!
なのに攻略本さんも、ロランさんの剣を持っている……。
「少しだけなら動けます、私が援護しましょう……。よろしければ、お名前をうかがってもよろしいですか?」
「私か……? 私は……私は、ホリンだ。ホリンと名乗っている……」
「お、俺ぇっっ?!!」
「やっぱりホリンが勇者だったんだ!!」
ロランさんに続いて、ユリアンさんまで立ち上がった。
それにダンさんと村長さんまで……。
「俺、最後まで、戦う……。勇気、くれた、コムギのため……」
「ま、これが最後の勝機かもしれねぇしな……。援軍助かったわ、銀ピカ鎧さんよ」
でもあたしとホリンはどうしても立てなかった。
身を寄せ合って、支え合って立ち上がろうとしたけど、地に崩れてしまった。
「ロラン殿――いや、ロランさん、援護をお願いします」
「本当に、未来のホリンなのですか……?」
「ええ、私はホリンです……」
ロランさんの問いかけに、攻略本さんは悲しそうにそう答えた。
「しかしよぉ、助けてくれるのはいいがよ、アレをどうやって倒すよ、もう一人の小僧?」
「ヤツの再生能力を封じればいい」
静かに返し、攻略本さんが左手の立派な盾を掲げた。
そうすると盾からぼやけるような不思議な波動が広がって、それがグレーターデーモンを包み込んだ。
「え、今の何……? わぁぁっっ?!」
ただ盾を掲げただけなのに少し間をおくと、怪物の全身から血が凄い勢いで吹き出した!
「皆が与えたダメージはムダではなかった。今ならば倒せる」
その盾、よく見たら攻略本に載っていたのに似ている。
あれって、あらゆる効果をかき消す力を持つっていう、勇者の盾だ!
「最初からそれをやってくれたら、ワシらも血反吐を吐かずに済んだんじゃがのぅ……」
「まったくだ。人が悪いぜ、小僧」
「私が私であることを思い出すこと。それがきっと、この身体を取り戻す条件だったのだろう……」
勝てる!
これならきっと勝てる!
不死身じゃなくなったんだから、後は根性でタコ殴りにするだけだよ!
「ではお願いします、ロランさん」
「ええ、私たちにお任せを」
とはいっても、今のロランさんは手ぶらだ。
あたしとホリンはまた支え合いながら立ち上がって、やってきたロランさんに剣を返した。
ロランさんがそれを握って、そしてみんなと一緒に最後の突撃を仕掛けようと、彼方の怪物を鋭く睨んだ。
あたしはまだぼやける目で、未来のホリンである攻略本さんの姿を見つめた。
でも、何かおかしい……。
何かが変だと、そう思った。
でもわからない。
わからないまま、アッシュヒルの勇者たちが、激痛に苦しみあえぐ悪魔に飛びかかっていた。
先頭のダンさんが、みんなを爆裂魔法からかばって倒れた。
村長さんも盾になって、怪物の尻尾攻撃を受け止めて、その場に崩れ落ちてしまった。
ユリアンさんがあの凄い弓で怪物の頭を撃ち、立て続けにロランさんと一緒に十字となって斬り抜けた。
そして最後に、攻略本さんが剣を槍のように構えて、グレーターデーモンの心臓に突っ込んでゆくのを見た。
まるで願望が生み出した幻のような光景だった。
斬っても斬っても倒せなかったグレーターデーモンが、断末魔を上げて後ろに倒れてゆくんだから……。
その肉体が紫色の光となり、大粒の黒い宝石に変わるのを見て、あたしはますます目前の光景を疑った。
悪魔の巨体はもうどこにもなかった。
血の海も、何もなかったかのように消えている。
不死の怪物はついに滅びた。
そう自分に信じさせるのに、少しの時間が必要だった。
非業の勇者は、最後の最後に自らの手で故郷を救った。
過去に戻り、滅ぼされた故郷を救う。
それこそが攻略本さんの願いだった。
見ると、攻略本さんの肩が震えている。
震えながら、兜の下から涙を流しているようだった。
そんな攻略本さんがこちらに振り返り、あたしとホリンの前にやってきた。
『ホリン……よかったね』
って、あたしは心の中で祝福した。
ホリンはホリンの前に片膝を突いた。
地にうずくまるホリンを支え起こした。
それから静かに、その顔の隠れる大きな兜を脱ぎ始めた。
「会いたかった……ホリン……」
「おいおい、ホリンはお前だろ?」
「ごめんね、ホリン……本当に、ごめんね……」
「なんで、俺が俺に謝るんだよ?」
「待ってくれてたのに、会いに行けなくて、ごめんなさい……ごめんなさい、ホリン……」
その兜の下に真実があった。
ホリンは、ホリンじゃなかった……。
「お、お前……っっ?!」
「あたし、ホリンの仇を討ったんだよ……。でも、アッシュヒル、帰ってきても……。誰も……誰も、あたしにお帰りなさいって、言って、くれなくて……」
「まさか、お前、コムギ……?」
攻略本さんの正体はホリンじゃなかった。
まさかの、あたし自身だった……。
未来のあたしはホリンの胸に飛び込んで、静かな涙を流していた。
そっか……。
だから、あたしたちの間だけ、言葉が通じたんだ……。
同じ人間だから、波長が合ったんだ……。
未来のあたしは、ずっと昔に殺されてしまった想い人と今、再会したんだ……。
見てるとちょっと嫉妬しちゃう光景だったけど……。
でも、それよりもずっと、あたしはこう強く思った。
「よかったね、攻略本さん……」
「ありがとう、コムギ……。これが私が望んでいた、本当のハッピーエンドだ……。あの日失った全てが、今ここにある……。コムギ、君のおかげだ……」
「攻略本さんのおかげだよ! ありがとう、攻略本さん!」
この日、あたしたちは運命を乗り越えた。
わからないことがまだいっぱいだけど、今はその事実だけで十分。
大好きな攻略本さんが救われた。
あたしたちも未来を手に入れた。
それだけで十分だった。
よかったね、攻略本さん。
本当に本当に、よかったね、攻略本さん。
嬉し涙を浮かべる攻略本さんは、たとえその正体があたし自身だろうと、大切な友達であることには変わりなかった。
勇者の故郷は救われた。
めでたし、めでたし……。