・勇者の故郷、アッシュヒルが滅びる日 - FFFF -
東の森が燃えていた。
そこから立ち上った黒煙が、アッシュヒルの空を薄暗く包み込んでいた。
でもフィーちゃんたちはきっと無事だ。
魔女の塔の周囲だけ緑が残っているのは、フィーちゃんがアイスレインの魔法を使ったからだと思う。
だけど安心したのもつかの間だった。
あたしたちは、とても一目では信じられない光景を見てしまった。
炎くすぶる決戦場で、村長さんが片膝を突いていた。
その前ではロランさんが息を激しく乱していて、その向こうにいる醜く巨大な悪魔を見上げていた。
シャツもズボンもボロボロになってしまったダンさんが、大きな身体で怪物が吐いた炎を消して回っていた。
残る敵はグレーターデーモン、たった1体だけ。
ロランさんと村長さんとダンさんが力を合わせれば、勝てない相手なんていないはずだった。
でも、現実はそうなっていない。
怪物はイボのある醜いその全身から、気持ちの悪い紫色の血液を吹き出しながらも、まだ立っている。
その足下には、おびただしい出血が生み出した紫色の大きなぬかるみがあった。
こんなに出血したらどんな怪物だって普通死んじゃうはずなのに、その怪物は立ったまま、あたしたちの様子を静かに観察していた。
「爺ちゃんっ、ロランさんっ、どうしたんだよっ!?」
ロランさんがあんなに息を乱すところなんて初めて見た。
ロランさんは呼吸を整えながら怪物の様子をうかがい、ホリンの手を借りて立ち上がった。
「どうと、言われましてもね……。私にも、何がどうしてなのか、まるでわかりません……」
「死なぬのだ……。こやつ、いくら攻撃しても、急所を突いても、滝のように血を流させても、死なぬのだ、孫よっ!」
怪物が観察を止めて、何か危険な魔法を使おうと両手のひらを重ねた。
すぐに村長さんがそれに気付いた。
立ち上がるなり凄い勢いで突進して、ほんの一瞬で怪物の胸元に潜り込んだ。
村長さんは拳と蹴りの5連続攻撃を入れた。
それから最後に見上げるほど巨大なその怪物を、渾身の右ストレートで吹き飛ばした。
だけど、その光景だけでも信じられないのに……。
「死なない……。こんなの、おかしい……」
ダンさんの言う通りだった。
村長さんがさらに追撃を仕掛けても、最後の怪物グレーターデーモンは、光にも宝石にもならなかった。
血を流しながら平然と立ち上がり、また危険な魔法を放とうとしていた。
撃たせるわけにはいかない。
あたしたちも戦いに加わった。
だけど……。
ユリアンさんの、筒から出る凄い矢がその腕を貫いても……。
ホリンが飛び込んで、相手の手首を雷神の剣で斬り落としても……。
グレーターデーモンは立ち上がる。
切断された手首が浮き上がり、みるみるうちに手首が繋がってゆく光景を、あたしたちは見てしまった……。
「おかしらぁっ、コイツマジのマジのマジモンのっ、不死身ってやつですぜっ!?」
「バカ野郎っ、見りゃわかるだろっんなことっ!」
こんなのずるい。
死なないなんて、そんなのずるいよ……。
こんなの、どうやって倒せばいいの……?
ついさっきまで目の前にあった希望の灯火が風に吹き消されて、深い暗闇が広がってゆくのを感じた。
「本当に不死身のようです。首を落としても、心臓を貫いても、脊椎を貫いても、ヤツが動きを止める様子はありません……。ああ、それはそうと、久しいですね、ユリアン」
「ハハハハッ、どっかで見たツラだと思や、テメェあんときの貴族様じゃねぇか! おう、ひでぇツラしてんなぁ!」
「お久しぶりです、海賊ユリアン」
「また会えて嬉しいぜ、貴族様」
ユリアンさんとロランさんが並んだ。
二人は一緒になって、グレーターデーモンの巨体に飛びかかった。
ホリンが先行して攪乱すると、ユリアンさんの剣が敵の腰の後ろ、ロランさんの剣が心臓の部分をそれぞれ貫いていた。
でも……やっぱりその怪物は止まらない。
どうやっても殺せなかった。
「孫よ……」
「爺ちゃん、大丈夫かよ……?」
「ワシはいい。それより孫よ、こいつを倒す方法を教えてくれ!!」
「いやわかんねーよっ、そんなことっ!?」
「なんじゃとーっ!? お前が未来の勇者じゃろうがっ! 早くどうにかせいっ、わしゃもう疲れたぞーっ!」
「どうにかもこうにかも、どうすんだよこれっ!?」
あたしにもわからない。
埋めて身動きを封じれば、いいのかもしれないけど……。
問題はそんな大きな穴、どうやって掘ればいいんだろう……。
ああ、こんなのずるい。
こんなのあんまりだと思った。
あとちょっとでアッシュヒルが滅びの宿命を乗り越えて、攻略本さんが本当のハッピーエンドを迎えられたはずなのに……。
あ、そうだ!
ここは攻略本さんに――
『コムギ……こんな時だが、とても悪い知らせがある……』
「あはは……この状況で、悪い知らせ……? それ、聞くのがちょっと怖いかも……」
『たった今、モンスターのページが改訂された……。そのグレーターデーモンのHPは【FFFF】……つまり、65535だ……。さらに毎ターンHPが999回復すると補足がある……』
「えと、あたしにもわかりやすく言うと、それってどういう意味……?」
『不死身ではないが、限りなく不死身に近い。ロラン殿とユリアンの攻撃がそれぞれ100ダメージ前後。ホリンが50、ダンが30、村長が130だ。だが、敵はその間に999回復する』
えっ!?
村長さんの攻撃力って、ロランさんよりも高かったの……っ!?
そっちの方があたしには衝撃だった!
『詰みだ……。こうなっては、この村を棄てて逃げるしかない……』
「そんなのみんなが聞く訳ないよ……っ!?」
信じきれなくて、あたしは攻略本さんを開いて確かめた。
グレーターデーモン(アッシュヒル)という項目が増えていた。
解説には――
『絶対に倒せない。諦めて負けよう』とあった。
そんなの無理!
諦められるわけないよ!
物語の観客はそれでいいかもしれないけど、あたしたちは負けられないんだからっ!
今もみんな、不死身のグレーターデーモンと戦ってくれている!
絶対に倒せないから諦めて逃げようなんて、そんなこと言えっこない!
『待てコムギッ、頭を冷やせ!』
あたしはまた戦いに加わった!
みんなと一緒に、運命を変えようと必死で戦った!
ほぼ不死身だろうとなんだろうと、そんなの知らない!
この怪物を倒して、あたしたちは未来を手に入れなきゃいけない!
ハッピーエンドは目前だったのに、こんなところで逃げるなんてイヤ!!
あたしたちは倒されても倒されても立ち上がって、戦った!!
『止めろ、コムギ……みんな、もうムダなことは……。あ、ああ……止め……あぁぁぁ……っ!?』
1人、また1人とやられていった。
でもそれでもあたしたちは諦めなかった。
ダンさんが倒れ、海賊さんたちが立てなくなり、ホリンが地にはいつくばってうずくまった。
何をしても再生し、暴れ回る怪物に、あたしたちはそれでも攻撃を続けた。
『ダン……ヨブ……ユリアン……ロラン殿、ホリン……ッッ!! 逃げろっ、逃げてくれっ、頼むっ、あ、ああ、ああああ……!?』
勝てない……。
何しても勝てない……。
どんなに傷つけても、死なない……。
こんな怪物を作るなんて、なんて身勝手な神様なんだろう……。
台本通りのストーリーのために、こんなずるい敵を作るだなんて……。
こんなの、こんなのあんまりだよ!
みんな、ただ静かにこの村で暮らしたいだけなのに!
『コムギッ、逃げろ! 君とホリンだけでも逃げろ! 君たちさえ生き残ればっ、私はっ!!』
ホリンは逃げない。
あたしも逃げない。
だって悔しいから。
こんな理不尽な滅び、許せないから。
「逃げない!!」
『そいつには勝てないんだ! 勝てないようにできているんだ、コムギ!』
「そんなの知らない、知らないよっ! データが何よっ! 攻略情報が何っ!? この世界は物語なんかじゃないっ、ここはあたしたちの世界だよっ!! 不死身だろうと、なんだろうとっ、絶対にあたしたちが倒してあげるんだからっっ!!」
あたしはハッピーエンドを攻略本さんに見せてあげたい!
村が滅びる結末なんて、絶対に認めない!
だから逃げない。
最後の最期まで、戦った。