4.レッドファルシオン
翌日の放課後。
部室で座りながらその辺に置いてあった〈世界の厨武器大全〉を読んでいると、扉が開く音が聞こえしばらくすると榎本が姿を現した。
「来たか」
手元の参考書を閉じ、いつぞや見た只者ではない雰囲気を醸し出し始める部長。
さっきまでひいひい言いながら勉強していたとは思えない変わり身の早さだ。
「アンタがここの部長か」
「ああ、そうだ」
上級生である部長に対しタメ口で尋ねる榎本。
部長はそれを気にした風もなく涼しげに答える。
「見たところ既に答えは決まっているようだが」
「ちげぇねぇ」
互いに言葉は交わさずとも理解しているかのように薄く笑いあう二人。
やがて榎本は後ろにいたセイヤと蘆住の方へ向き直ると歯を見せて笑う。
「つうわけで今後ともよろしくぅ」
「ということは?」
部長は満足そうにゆっくり頷く。
「廃部回避だな」
「あ……」
驚きか嬉しさか言葉を失う蘆住。
やがて彼女の頬に一筋の涙が伝うのを見て取り、その思いが後者であるとセイヤは認めた。
「ご、ごめんなさい。安心したら……」
「いたいけな女子を泣かせてしまったな。やっぱり辞めるなんて言っても遅いぞ、二人共」
悪戯な笑みを見せる部長。
「あ、あたぼうよ。なっ!」
「あ、ああ」
一瞬たじろぎ咄嗟にセイヤへ水を向ける榎本。
(あたぼうよって言ってる奴初めて見た)
ふと蘆住が気になり様子を窺うと目元を真っ赤に腫らした瞳と視線が合う。
なんと声を掛けていいのか迷い、近くにあった箱ティシュを手渡す。
「大丈夫か?」
「う、うん。ありがと」
受け取りながら微笑む蘆住。
榎本はふと何かを思い出したように「ん?」と小首を傾げる。
「そういえばお前、俺が入部しなくても考えがあるって言ってたけど結局何だったんだ?」
「そ、そんなことより入部届け出しに行こうぜ。実は俺もまだ出してないんだ」
「あん? 別にいいけどよ」
どこか釈然としない様子でセイヤの提案に従う榎本。
話題を逸らすことに成功し、セイヤは密かに胸を撫でおろす。
「じゃあ俺達、入部届け出してくるんで」
「ああ。行ってこい」
「いってらっしゃい!」
二人の見送りの元、部室を後にするセイヤと榎本。
職員室へと向かう道すがら色々聞いてみることにする。
「そういえばお前、親が〈サードニクス〉に勤めてるんだっけ」
「それがどうしたよ」
さっきまで素面だったのに急に不機嫌さを露わに苦々しい顔をする榎本。
(あ、これ地雷だ)
あまり自分の家庭について詮索されるのが好きでないセイヤはそれを敏感に感じ取った。
サードニクスといえばMSSA製造企業のなかでも業界で名の通る存在であり、親がそこの重役ともなれば聞かれずとも自慢げにしてしまいそうなものだが。やはり榎本にもなにかしら事情があるのだろう。
「や。悪い。ただの興味本位だ。無理に聞こうとは思ってない」
「チッ、別にいいよ」
セイヤの反応が意外だったのか、ばつの悪そうに舌打ちする榎本。
どうやら許してくれるようだ。
しばしの沈黙の後、榎本は予想外にも身の上を話してくれた。
「親父はいわゆる仕事人間でな。MSSAなんてよくわからねえもんを作るのにかまけて、小さい頃から俺とおふくろに構う暇なんてなかった。だから親父もMSSAも嫌いなんだよ、俺は」
榎本の言葉にセイヤは直感する。
(同じだ)
病気の母と幼いセイヤを置いてメイズに挑んだ父親。その存在をセイヤは今も忌々しく思う。だが同時に別の感情も持っていた。
榎本は続ける。
「一度は親父を理解しようとした。だからMSSAについて学んだ。それでも解せねえ。MSSAなんてもんが家族よりも大事だとは今でも到底思えねえ」
「それでも技術部に入ったのは?」
セイヤは尋ねる。
きっと答えは自分と同じなのだろうと確信を持って。
「もう一度、もう一度だけ理解してみようと思ったんだよ。親父がなにを求めて、なにを見たかったのか」
「家族だもんな」
「……ああ」
榎本はそう返事をするとまるでセイヤの言葉を待つように視線を向ける。
こっちは話したんだからそっちも話せよとのことらしい。
「俺の親父は……」
いつもならばセイヤは自分の身の上ばなしをすることが億劫であるはずなのだが、この時は自然と話す事が出来た。榎本がセイヤと似た境遇だということもあるだろう。だがなによりここまで胸襟を割って話せる人をどこか求めていたのかもしれない。それはきっと榎本も同じなのだろう。
語るうちにいつの間にか職員室へと辿り着いていた。
「いつの間にか語っちまったな」
榎本がどこか照れ臭そうに頭を掻く。
それはセイヤも同様だった。
「また今度、話の続きしてもいいか?」
「なにかしこまってんだよ。それぐらいお安い御用だぜ」
お安い御用なんて使う奴はじめて見たと思いながら、セイヤはその言葉を頼もしく思った。
二人は職員室で入部届けを受け取りその場で書いて提出する。
無事入部届けは受領され、他愛のない話をしながら部室へ戻った。
部室へ戻ると蘆住が笑顔で出迎えてくれる。
「あ、おかえり」
「おう」
部室を見回すとオフィスデスクでうなだれる部長の姿が目に入る。
「二次関数だとかキャロル表だとか、こんなもの人生で使う時が来るのか? I・R・O・Nでアイロンかと思ったら、アイアン。I・S・L・A・N・Dでアイスランドかと思ったらアイランド。しょうもないひっかけを日常で使う言葉に入れるんじゃない」
参考書を手に恨めしそうな表情でぶつぶつと呪詛を紡いでいた。
(別にイギリス人もひっかけのつもりで作ったつもりはないと思うけど)
ちなみに榎本が来る前までもこんな感じだったが、彼が現れた瞬間驚きの変わり身の早さで只者でない雰囲気を醸し出し始めたのだった。
部長のこの状態を初めてみた榎本は若干引いたように窺う。
「なんかさっきまでとキャラ違くねぇか?」
「部長がポンコツだと不安になってお前が入部しなかったかも知れないだろ? もちろん俺の時もそうだった」
「なんだぁその釣った魚にゃ餌やらない理論」
呆れるように溜め息を吐く榎本。
すると部長はじろりとセイヤを睨む。
「私はポンコツじゃない」
「勉強、教えましょうか?」
「君に教えを乞うぐらいなら死んだ方がマシだ。……蘆住、ちょっとここがわからないんだが」
「あ、はい!」
呼ばれてどれどれと部長の参考書を覗き込む蘆住。
(蘆住に教わるのはいいのか。というか部長は三年の勉強しているはずだが蘆住はわかるのか?)
「キャロル表は内側の四角に入ってるのが……」
「なるほどなー」
(わかるのか。なんなら部長に教えるためにわざわざ三年の勉強をしたという説もある)
部長は参考書に目を向けながらついでといったふうに話し始める。
「そういえばお前達。職員室で寺島には会ったか?」
「いや、会ってませんけど。寺島先生がどうかしたんですか」
「なに、彼奴はここの顧問だからな。声でも掛けてくると思ってたが。またぞろ校門でヤニでも吸ってるのだろう」
(いや彼奴て)
しかし技術部の顧問が誰かは気になっていたがまさか寺島先生だとは、とセイヤは意外に思った。
寺島先生の授業は適当で、テストも出ると言ったところがそのまま出るので楽だという理由で生徒にはそこそこ評判のいい先生である。もちろんセイヤはクラスメイトが話していたのを小耳にはさんだ程度なのでホントのところはよくわかっていない。
いかにも放任主義な彼が技術部の顧問であることに妙に納得するセイヤ。
「まあ挨拶は彼奴が顔を出したときにでもすればいい。それよりも……」
部長は棚から分厚いファイルを取り出すと、中から設計図のようなものをオフィスデスクの上に広げた。
「これが今、我が技術部で開発中のMSSA、〈レッドファルシオン〉だ。新入部員には今からこれを頭に叩き込んでもらう」
その時部長の顔にどこか得意げな笑みが浮かんでいることをセイヤと榎本は見逃さなかった。
「ハハッ。こいつぁすげえ」
榎本が部長の出したそれを見て感嘆の声を上げる。
彼には部長の示したそれ、レッドファルシオンの設計図がどんなものか理解できるのだろう。
だがMSSA製作について造詣の浅いセイヤはそこに描かれているものがどんな代物なのかよくは理解できていない。
「〈モニター〉の君にもレッドファルシオンのことはぜひ頭に入れてもらいたいのだが」
あまり理解できていないことを察してか部長はセイヤに意地の悪そうに言う。
どうやらさっきポンコツと言ったのを根に持ってるらしい。
企業や技術部が製作したMSSAをアピールする場として年に一回、ワールドMSSAグランプリ、通称WMGが催される。
企業に所属するモニターは自社の開発したMSSAを手にCMに出演したりと広告塔としての意味合いが強いのだが、技術部ではもっぱらWMGで直にMSSAを手に取り競技を行う者を指す。無論そこに必要なのは純粋にMSSAを扱う技術に他ならない。
「わからないことがあったら何でも聞いてね」
「あまり新入部員を甘やかすんじゃないぞ」
「いや、どの口が言ってんですか」
セイヤはため息交じりに設計図を見てみると謎のパーツの断面図だったり、謎のアルファベットや記号の横に謎の数字が書いてあったりととにかく謎だらけでさらに深いため息が出る。
「これがファイで直径、tが厚さでこっちの記号が電源っつー意味だ」
「なるほどなー」
榎本がそう助け舟を出してくれるが正直これを理解できる気が全くしない。自然、セイヤの返事も玉虫色になってしまう。
すると部長は棚からまた別のファイルを取り出し、セイヤに手渡す。
「君にはこれを渡しておこう。MSSA設計図の基本的な読み方が書いてある」
ファイルを開くと部長の言葉通り前半は紙媒体で設計図の読み方がびっしりと記されており、後半のリフィルには驚くことに何十枚ものブルーレイディスクが収められていた。
「君の場合MSSAセンスはあるがいかせんヒョロヒョロ過ぎるからな。ブルーレイの方は筋トレでもしながらでも見るといい」
「ちなみに全部で何時間あるんですか?」
部長は少し考え込むようにDⅤDの視聴時間を指折り数える。
「三十時間ぐらいだ」
「見終わるころにはインテリマッチョですね」
「なにをわけのわからないことを言ってるんだ。君は馬鹿なのか?」
部長は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
(っていうか今ふつうに馬鹿って言った!)
部長はやれやれと言った様子で続ける。
「なにWMGまではまだ一か月以上ある。一日一時間やれば問題ない」
「そう聞くとまあ……」
「器具はそこにあるから好きに使え」
部長が顎で示した先にはエアロバイクやダンベル、丸まり立てかけられたヨガマットに懸垂用であろう鉄棒などの筋トレ用品が一瞬それとわからないほど雑然と置かれていた。
どうやら長く使われてないようで薄く埃がのっていた。
(見た感じかなり良い物なのに……。もったいない)
「榎本。君にはとりあえず今製作中のMSSA、レッドファルシオンの特性を説明する。その後で君の意見を聞きたい」
次は榎本だというように部長は説明を始める。
傍から聞いてみるが会話の内容に専門用語が入り乱れてセイヤには理解できない。
これを見終わるころには目の前の会話も完璧に理解できるようになっているのだろうか。
他の部員は知る由ないのだろうセイヤは一抹の不安と自分のみ知識不足による疎外感のようなものを持ちながら手元のファイルへ視線を落とし、必死に食いついた。
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