2.入部希望
翌日の昼休み。
セイヤはいつも通り食堂で昼食をとろうと廊下に出ると、デジャブのような光景が目に飛び込んだ。
「なにしてんだ、こんなとこで」
「あ、セイヤ君!」
声を掛けられ、まるで主人が家に帰ってきた子犬のように嬉しそうな表情を見せる蘆住。
(昨日の今日で懐かれるような要素あったか?)
そんな疑問もお構いなしに蘆住は手に持った巾着袋をセイヤに見せると。
「あの、お弁当たくさん作ってきたのでよかったら技術部で一緒にご飯食べませんか?」
まさかの女子の手作り弁当である。
家族のいないセイヤにとって学食やコンビニ食は既に食べ飽きており、かといって自分で作ろうなどと言う積極性も持ち合わせていない。そんななか放り込まれた女子の手作り弁当というのは砂漠でオアシスを見つけたような感慨を持つものなのだが、果たしてかの技術部の部長によって作り出された悪意の蜃気楼なのではないかと疑念が湧く。
「まあ、昨日の返答も兼ねて折角だしご一緒させてもらおうかな」
「ぜひぜひ!」
途端に表情を明るくする蘆住。
結局、女子の手作り弁当という誘惑には抗えず、セイヤは昼食を技術部でとることとなった。
「どうした。食べないのか? せっかく蘆住が作ってくれたのに」
「うっ……」
セイヤの目の前にはおよそ食事と思えないものが広げられていた。
黒光りする謎の塊、虫にしか見えないひょろ長く粘ついた物体、別の容器に盛られたご飯さえ異様な色彩を放っている。
桐咲さんはその光景に気圧されるセイヤを楽しむように不敵な笑みを浮かべているが、彼女の目の前にも全く同様のものが置かれていた。
明らかに箸の進まない様子を訝しんで、蘆住はおずおずといったふうにセイヤの顔を覗き込む。
「あの、もしかしてお気に召しませんか? 残しても全然大丈夫ですから」
「まさか。女子の手作り弁当を残すような男子がいるはずがないだろう、なあ」
「……いただきます」
一口、口にする。
それがセイヤの口腔粘膜に触れた途端、その身を衝撃が走った。
口のなかに広がるのは濃厚な刺激臭と虫を誤って口にしたような不快な食感。
(こんなん食い物じゃねえッ⁉)
だがセイヤの目の前で不安げな表情をする蘆住を前にそれを口にするわけもいかず、一刻も早くこの地獄のような時間を終わらせようとできうる限り咀嚼せず胃のなかに流し込む。
一気に食べ終えると蘆住は嬉しそうに顔を綻ばせ、桐咲さんは満足そうに頷く。
「どうだ。蘆住の弁当はうまいだろ」
「おいしい……です」
「よっぽど気に入ったみたいだな。ほら、私の分も食べていいぞ」
(てめええええええッ⁉)
その後、セイヤは悪夢の第二波をどうにか胃に収め、技術部に来たもう一つの目的を果たそうと背筋を伸ばす。すると桐咲さんは「ところで」と口火を切った。
「答えは決まったのかい?」
桐咲さんもセイヤの雰囲気を察したように見据える。
その瞳はやはりどこかこちらを見透かすかのように余裕で満ちていた。
セイヤはそれを正面から受け止め、告げた。
「はい。二年B組、縣セイヤ。技術部に入部希望します」
答えは判り切っていたろうに桐咲さんは満足げに目を細める。
やがて彼女は立ち上がりこちらへと歩み寄ると右手を差し出す。
「改めてよろしく頼むよ」
セイヤは握手に応じながらどこか感慨深さを感じていた。
(まさか俺が技術部に入ることになるなんてな)
以前では考えられなかったことだ。
親父がいなくなってからメイズもMSSAも名前を聞くだけでうんざりするものだった。しかし桐咲さんの言葉に乗せられるようなかたちだが今は自分からそこに近づこうとしている。
もちろん卒業後の就職先が約束される、しかも役職持ちという彼女の提案に惹かれたというのもあった。一つの行動に対して目的は多いほうが良いとセイヤは常々考えている。
会って日の浅い桐咲さんに将来を約束されるというのも変な話だが、彼女ならばどんなことでも涼しい顔でこなしてしまいそうな只者でない雰囲気をセイヤは感じていた。
握る手は冷たく、そんな些末なことさえ彼女を信頼する理由になっていた。
どこか心地の良い僅かな沈黙。
だがそれを突如破るよう部室の扉が開いたのだろうガラガラと音が響く。
次いで足音が響き、機械と立て掛けられたMSSAの隙間から高飛車そうな吊り目の女生徒が自身の縦ロールを指で弄びながら姿を現した。
「相変わらず汚い部屋ですわね。ここにいると脳みそにカビが生えそうですわ」
(またキャラ濃いのが来たなあ)
「ってことはここの部員ですか?」
(どっかで見たような気もするけど)
思い出そうと頭を捻るが桐咲さんの言葉でそれも打ち切られる。
「そいつは敵だ。構えろ」
(何を?)
聞こうとして縦ロールの女生徒のクソデカ溜め息でそれを遮られる。
「話す内容も野蛮でアホなことばかり。やはりこんな部は即刻潰すべきですわね」
「この部を潰す⁉」
「私はアホじゃない」
「いやそこッ⁉」
(っていうか私はってなに自分だけアホのレッテルから逃れようとしてんだよ)
どこか不機嫌そうに口を尖らせる桐咲さん。
(そんな表情もするんですね)
ふと視線を感じ、目を向けると縦ロールの女生徒が胡乱げな表情でこちらを見ていた。
「貴方、もしかして技術部の入部希望者ですの?」
「ええ、まあ……」
「なにを言っているんだ。君は既に技術部の正式な部員だぞ」
「え、でもまだ入部届……」
「口約束でも法的効力は生じる。つまり君はもう技術部から逃げられないのだよ」
「いや、別に逃げようなんて思ってないですけど」
(なんでそんな急に不安になること言いだすんですかね。もしかして部活に必要だからとイルカの絵を買わされたりするんだろうか)
セイヤが不安を募らせていると、縦ロールの女生徒は小馬鹿にするよう口端を上げて微笑みかけてくる。
「貴方も哀れですわね。先の短い部に入れられて」
「それってどういう意味ですか」
尋ねられてより一層口端を上げる縦ロールの女生徒。
「やはり彼女に聞いてないようですわね。この技術部は部員不足で一週間後に廃部になるということを」
「へ?」
さっと視線を逸らす蘆住。
桐咲さんは相変わらず余裕を湛えた表情で考えが読めない。
(あ、でも今ちょっと目ぇ逸らした!)
「で、でも俺がいま入部したから人数は足りるんじゃ」
「いいえ。我が校のルールとして部の継続には最低四人。そして技術部はこの場にいる貴方達三人で全てですわ」
(マジか)
彼女の言葉にセイヤは愕然とする。
「つまり貴方は一週間後にはバツイチ! まあMSSA製作なんて野蛮な部活に入った時点で自業自得ですわね」
「なんか嫌な言い方だな」
若干的外れな言葉を付け加え縦ロールの女生徒は楽しそうに哄笑する。
(というか廃部による退部経験をバツイチとは言わないだろ)
「で、期限は一週間後だが君は何しに来たんだ?」
桐咲さんの言葉に彼女は哄笑を止め、表情を消して淡々と告げる。
「ええ。どうやら技術部が悪あがきをしてるという噂を耳にしたので、ちょっとのぞきにきたのですが杞憂でしたわね」
「ではそろそろお帰り願おうか。私達も暇ではないのでね」
「そうですわね。わたくしも暇ではありませんので」
売り言葉に買い言葉で互いに火花を散らす。
やがて縦ロールの女生徒は背を向けると、この話は終わりとでもいうように捨て台詞を吐く。
「一週間後が楽しみですわね。ではごきげんよう」
やがて扉が閉まる音が耳に届き、セイヤはどっと疲れが押し寄せるのを感じた。
「さっきの人、誰なんですか?」
「君も学園のことに疎いな。他人に興味が無いのか?」
桐咲さんはそっと笑みを見せる。
「彼女は九条カナエ。この学園の生徒会長だ」
「なんで会長はあんな技術部を目の敵にしてるんですか?」
「それが謎なんですよね。ここの技術部、去年まではそこそこ結果出しててそこそこ有名だったんですけど、カナエさんが生徒会長になってから部費が減らされたり風当りが強くなったりで部員が減っちゃったんですよ」
つまり二人は風当りの強いなかそれでも技術部に残り続けたのか。桐咲さんはここを卒業したら起業するとまで言っているほどだからなんとなくわかるが、蘆住も見かけによらず意外と一本芯が通った性格なのかもしれないと椅子を受け取りながらセイヤは思った。
「最初に合った時、技術部の悪評が君の耳に全く入っていなかった様子で驚いたよ。よっぽど友達がいないんだな」
「いつも一人で食堂にいるのを見てましたから! 私のリサーチ力が役に立ってよかったです!」
「いじめられそうなんでやっぱり入部は無しでいいですか?」
「い、いじめたりなんかしませんよ!」
蘆住が誤解だというように両手を振って否定しているなか、桐咲さんは制服の胸ポケットからシャーペン二本分ほど大きさがある縦長の機械を取り出し、片手で操作し始める。
「二年B組、縣セイヤ。技術部に入部希望します」
機械から流れたのはつい先ほどセイヤが発した言葉だった。
「なんでボイスレコーダーなんか持ち歩いてるんですか」
「にねにね二年B組、あがにねにね」
「再生するのをやめろおおおおおおッ⁉」
セイヤの叫びに桐咲さんはボイスレコーダーを胸ポケットに戻すとどこかしたり顔で微笑みかける。
「言質は既に取ってある。安心しろ。いじめたりなんかしない。私は後輩の面倒見がいいんだ」
「もうすでにいじめられてる気がするんですけど」
(考えてみれば女子二人に男子一人って肩身狭いな)
「というか桐咲さん、最初とキャラ変わってません?」
「今後私のことは部長と呼べ。あとキャラは少し素に戻っただけだ」
(素?)
聞き返そうとしたが、部長が突如オフィスデスクから立ち上がりどこか憂鬱そうな表情を見せたので気後れして聞くタイミングを逸する。
「放課後、君と蘆住でそこにファイリングしてある生徒について調べておいてくれ。勧誘しようと考えている生徒だ。出来れば明日、明後日辺りの放課後にその生徒と時間の都合をつけてほしい。交渉は私が直接行う」
「いいですけど。部長は放課後なにか用事ですか?」
テキパキと指示を出す部長に感心しながらセイヤは尋ねると、なお一層沈み込んだ表情でふっと自嘲するように部長は微笑む。
「追試だ」
それを最後に部長は幽鬼のごとくゆったりとした歩みで部室から去っていった。
ふと見ればオフィスデスクに載っている分厚い本は付箋で肥大した教科書で、中を開けばまるでみみずののたくったような文字が縦横無尽に駆けまわっていた。
(部長も苦労してるんだな)
セイヤは自身の中になにかがこみ上げてくるのを感じる。それは部長に対する同情だけではない。
(俺、卒業したらあの人の会社に就職するのか)
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたらブックマーク・広告の下から評価していただければ幸いです。