04 新たな事件とふたりの探偵
蒼葉と小鳥の捜査の幕が開いた頃、若本の元に新たな事件の知らせが舞い込んでいた。
*
「あぁん⁉︎ また殺人事件だと⁉︎」
六本木警察署内部に若本の声と、血管の浮き出た若本の拳がデスクに叩きつけられる音が響く。
椅子に掛かっている茶色のロングコートを手に取ると、急ぎパトカーへ飛び乗り、現場へと急行した。
殺害現場は都内にある一般人の住宅。多くの人が住む住宅街のど真ん中で行われた非常に大胆な犯行である。
事件の起こった家に住んでいたのは父親、母親、長男、次男、父方祖母の5人。
殺されたのはこの家の長男以外の全員。死体の第1発見者は、この家族と付き合いの深いという隣人。いつものようにお茶をしようと寄った際、玄関の鍵が開いており、中へ入ってみたところ事件が発覚したという。
若本が現場に着くと、すでに野次馬に溢れておりそれを地元交番の警察官が必死にそれらを抑えている状況。
野次馬は近所の住人がほとんどで『なぜこの家族が!』『とてもいい人達だったのに!』と口々に発しており、中には泣き崩れる人もいた。
「いい人達?」
若本は違和感のあるこの言葉に思わず耳が傾く。
人ごみをすり抜け、『狭山』という表札の文字を横目で見ると事件宅へと入り、捜査を開始した。
家の中は鼻に付くような臭いが充満していた。その臭いに、思わずハンカチで鼻元を押さえる。
「ひどい臭いだぜ」
玄関の目の前には階段。この家は2階建てのようだ。
若本はまず、1階部分から捜査を開始した。
リビングへ向かうと、次第に強くなる異臭。廊下を進み、リビングへ繋がるドアを開けようとすると、扉の上部についたすりガラスに血がベッタリ付着していることに気が付いた。
若本は確信をし、扉を引く。
一面真っ赤な血で染まった部屋の中で、テーブルにうつ伏せるように冷たく動かない遺体と、その向かい側で床に仰向けで倒れている遺体があった。
テーブルの遺体は背中に大きな切り傷、仰向けの遺体は特に損傷が激しく顔が刃物のようなもので幾度かに渡り切り刻んだ跡が見られ、性別すら分からない。また腹部にもいくつか刺し傷のようなものが見られ、出血がひどい。身なりからすると恐らくリビングの遺体は2人とも女性だと思われる。
若本は状況を確認すると、他の部屋へ急いだ。
リビングをいったん出て、廊下を進むと広々としたダイニングキッチンがある。
ここに遺体はなかったが、キッチンが荒らされており、流し台の下の戸棚は開けっ放し。そこに並べて置かれていたであろう包丁が真ん中だけ無くなっていた。
続けて2階へ上がる。2階には廊下を中心に向き合うように4つの扉があった。恐らく各住人の部屋だろう。若本は1番手前の右側の扉を開けた。
夫婦の寝室だろうか。キングサイズほどの広めのベッドが部屋の中央にあり、その奥には大きなクローゼットが見える。
ふと視線を落とすと、ベッドでほとんど隠れているが足らしきものが見えた。近寄って確認してみると、そこには背中に包丁を突き立てられた遺体が大量の血の海の中に倒れていた。
遺体の損傷が少なく、大凡の身元の割り出すことができそうだ。顔立ちや皮膚の感じから50〜60代の男性、恐らくこの家族の大黒柱、父親にあたる人物。
若本は遺体を確認すると、いったんその部屋を出て向かいの部屋を確認した。この部屋は和風な雰囲気もあり、バリアフリーの備えもあるため、祖母の部屋と考えられる。ここは特に荒らされている様子はない。
後は奥2つの部屋。
まず、祖母の右隣にある部屋に入った。そこにはたくさんのゲームソフト、アニメのDVD、お菓子、カップ麺のゴミなどが足の踏み場もないほど散らかっていた。
天井には蜘蛛の巣も張ってあり、しばらく太陽の光を浴びていないだろう部屋はとてもジメジメしており壁にはカビのようなものも生えていた。
言うなればゴミ屋敷のような状態。調べようにも物が散乱しすぎてどこから手を付ければいいのか迷うほど。
しかしここには生ゴミやカビ臭さは漂っていたが、あの独特な死臭はない。若本はここの調査を後回しとし、最後の向かいの部屋を調べることにした。
若本はゴミ部屋を出ると向かいの扉の前に立った。なぜか冷や汗が吹き出た。とても嫌な感じがする。
若本は急いで扉を開けると、そこには小学生くらいの少年があまりにも変わり果てた姿で遺体として転がっていた。
四肢のない胴体のみがそこに乱暴に置かれている。首元が鬱血しているところを見ると恐らく死因は縊首による窒息死。
それだけではない、腹を切られ中の内臓が掻き回されている。部屋中赤く染まり、嫌な死臭が鼻につく。
将来楽しい未来が待ち受けているであろう小さな子供にあまりに非道卑劣な殺害方法。若本は溢れんばかりの怒りを抑えることに必死だった。
しかし少年の損傷箇所が妙に気になった。刃物で切られたような傷口ではなく、何かに噛み千切られたような跡をしていた。
ひと通り目視した若本はいったん外へ出る。すると、集まっていたマスコミに即座に囲まれた。
「警部、どうですかこの現場は!」
「これもきっとあの例の連続殺人犯の仕業ですよね⁉︎」
「また〈神〉の到来ですか⁉︎」
マスコミはいつもそうだ。
壮絶な現場を視聴率を引き上げるただのネタとしか思っていない。
若本は思わず小さく舌打ちをする。
「警部お答えください、これは〈神〉の仕業なのでしょうか⁉︎」
ひとりのリポーターのマイクが若本に突きつけられた。その顔は『〈神〉の仕業だ』と言ってほしいといわんばかりに期待の表情をしている。そんな無神経なマスコミに思わず若本は感情を露にする。
「胸糞ワリィぜ。犯人も、お前らも」
その言葉の直後、マスコミ勢は突然静かになり、その場に立ちすくんでしまった。
若本は、そんな唖然としているマスコミを他所に、部下の胸ポケットに入っていた煙草を奪い取ると、ここ2〜3年禁煙していて触れていなかった久しぶりの1本に火をつけた。
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市内に立ち並ぶ見るからに華やかで、一般庶民には入りにくい店から堂々と出てくるふたりの男女。
男は膨よかな体型でいかにも金持ちという風貌をしている。女は芸能人のようにとても美人でスタイルが良い。高めのヒールを履いているせいか、隣に並ぶ男より身長が高い。短めのスカートにブランドものであろうロングのボアコートを纏っており、身に付けているアクセサリーも高額そうなものばかり。
「社長、今日は本当においしかった。ご馳走してくれてありがとう」
女はそう言うと、社長の腕にぎゅっとしがみつく。
「いいんだよ。麻美ちゃんが喜んでくれたらそれで充分。また今日の夜もお店に行くからね」
「わぁ、本当⁉︎ 嬉しいっ!」
社長と呼ばれた男は麻美の美しい容姿に涎を垂らしながら、厭らしい目つきでデレデレと見惚れている。社長は店の呼んだタクシーに麻美を先に乗せると、続けて自分も乗り込んだ。
「社長、わざわざ近くまで送ってくれてありがとう。ここまでで大丈夫よ」
「家の前まで」と社長が駄々をこねていたが、それはダメだと麻美は制止する。
「本当にありがとうね。またお店で会いましょう」
そう言うと麻美は社長の頬にキスをする。社長は喜びの表情を見せ、「またね」と言い残し去っていった。
社長が見えなくなるまでその場で見送りを済ませ、麻美は反転すると家路へ向かい歩きはじめる。
カッカッと力強く歩くその表情は先ほどまでニコニコしていた美しい麻美ではなく、眉間に皺を寄せ、面倒臭そうに舌打ちをする物騒な顔付きをしていた。
麻美の家は見た感じ裕福そうな住宅が並ぶ裏手にあるアパートの1室。そこはお世辞にも綺麗と呼べない古めかしい造りのアパートであった。
カンカンカンと階段を上がる音が響く。手すりには錆が広がり、壁の損傷もひどい。
麻美は乱暴に鍵を取り出し、〝結城〟と書かれた傾いた表札が設置された自室の202号室に入る。ゴミ袋やビールの空き缶が散乱した綺麗とは言えない2DKの部屋。
麻美は玄関にブランドバッグを投げ捨て、ハイヒールを脱ぎ散らかすと、ストッキングに包まれた足で床を強く踏みつけ部屋の奥へ入る。
そこには、ゴミ袋に囲まれ、冷たい床で膝を丸めタオルケットを被った少年がすやすやと眠っていた。まるで天使のような寝顔の少年のその姿を見るや否や麻美は怒りを露わにし、少年の腹を思い切り蹴り上げる。
「……あ゛うっ!」
痛みの声を上げ、目を覚ます少年。突然腹に走る衝撃と、たった今まで熟睡していたまだ覚醒しきっていない脳に混乱を来たす。
「お前何寝てんだよ! あたしが誰のために昼間っから行きたくもねぇ奴と飯食ってきたと思ってんだよ! このクソ餓鬼!」
まだ状況を理解していない少年に向けられる暴言。麻美の怒りは暴言だけじゃ収まらないようで、少年の髪の毛を鷲掴みにすると、頬を何度も何度も叩く。
「あっ! いたッ、おか、さ……っ! ごめ……っ!」
少年は叩かれるテンポと同じタイミングで、出せる言葉を必死に並べる。あたりどころが悪く、口の中が切れ、血が垂れ始めた。
「あっ、顔はまずいな」
麻美はパッと手を離すと少年の腹を足裏で思い切り蹴り飛ばす。少年は勢い良く吹き飛ばされ後ろのテーブルにぶつかると、大きな音とともにテーブルごとひっくり返った。
するとテーブルの上に乗っていたお皿や麻美の化粧品がばらばらと音を立てて床に散らかる。
「あ〜イライラする。片しとけよ」
麻美はそう吐き捨てると、私服のまま化粧も落とさずベットに横になり仮眠に入った。
少年はすぐに起き上がることができずに、その場で深く咳き込む。テーブルにぶつかった背中も痛むのか、苦痛に顔を歪ませる。だが早く片さないと母親である麻美が起きた時に、次は何をされるか分からない。
少年は痛みを堪えゆっくりと立ち上がった。
左手首は誰が見ても分かるほど変色して腫れているが、少年には重たいであろうテーブルの端を持ちゆっくりと元に戻す。
そしてまだ使い物になる右手を使い、散らばった小物をひとつずつ拾っていく。しゃがむ度に先程蹴られた背中に激痛が走るがグッと堪え、散らかった部屋を普段の倍近く時間を掛けて片付けた。
ひと通り片付けが終わると、少年は窓際の壁にもたれ掛かるとそのままぺたんと床に座り込む。
少年の目に移る光景は、スーパーの総菜やコンビニ弁当の容器、カップ麺やビールの空き缶のゴミで散らかっている部屋。
その他大半は麻美の服やかばん、靴などで床が埋め尽くされている状態。少年のプライベートスペースはないに等しく、空いたスペースを探し睡眠をとっているため、寝る場所も毎回異なる。
少年はふぅとため息を吐く。麻美は寝息をたて始めたのを確認すると、視線を落とし、腫れている左手首をさする。ちょっと休憩したら氷を作って冷やそう、と慣れた発想が頭が巡る。
少年が床にだらりと下ろした手に、あたたかいものが触れる。そこを見ると犬のぬいぐるみが転がっていた。これは少年が小学校の時に母親である麻美が少年の誕生日に買ってくれたプレゼント。
少年は懐かしさに微笑むと痛む両手でそのぬいぐるみを手にする。かなり汚れているが、少年にとってはとても大切な宝物。最近では麻美に踏まれたり、ゴミに紛れるなど行方が分からなかったが、先程吹き飛ばされた際に出てきたようだ。
少年は買ってもらったその日に『一生の宝物にしたいから』と麻美にお願いし、ぬいぐるみの背中に名前を縫ってもらったことを思い出し、くるんと裏返す。
少年の持つ右手からチラリと見えるその刺繍――そこには『奏斗』と縫われていた。