03 猫と少年
X月Y-1日 21:10
今日『友達が売られてしまった』という女性が、隠れ家Bar【Eccentric】を訪れた。
泣きじゃくり、時間をかけて化粧をしたであろう顔は涙と鼻水でボロボロになった。
どこで誰が聞いているか分からない、もしかすると実はこの隠れ家も會田組の支配下にあり、ここの店主が組長である會田に情報を流してしまう可能性だってある。
しかしそんなことも考えられないほど、この女性は大好きだった『友達』が売られてしまったことを大変悲しんでいた。
――お姉ちゃん、泣いてる。
何の注文もせず泣いているだけで、常連さんというわけでもなくほぼ飛び込みでやってきた女性だったが、マスターは丁寧に傾聴する。
――お友達、その悪い人たちにころされちゃったの?
女性がようやく泣き止みカウンターにうつ伏せて眠ってしまった頃には0時を回っていた。
マスターはそっと店の表へ出ると、ドアノブにかかった『OPEN』と書いた小さい案内板を裏返し『CLOSED』に変える。「今日は臨時休業だな」そう呟くと、カウンターの奥に座る客ににこりと微笑んだ。
*
X月Y日 21:00
隠れ家は今日も通常営業。時計の針が21時を指すとともにオープンした。
カランカラン
音を立てて開く扉。
店主が音のした方へ視線をやるが誰もいない。それでも扉は開いたままになっているため、少し視線を落とすと、そこには見るからに幼い顔つきをした少年が扉を押さえ立っていた。
「おっと、いらっしゃい。奏斗くん」
奏斗と呼ばれた少年は、慣れた足取りでカウンターの一番奥の端っこへ座ると「ホットミルク、飲みたい」と小さな声で注文をした。
「はいはい、いつものね」
店主はにっこりと笑うと、冷蔵庫から牛乳、そして食器棚から取手のついたコップを取り出す。
コップの約8分目あたりまで牛乳を注ぎ、電子レンジで約1分半。チンと音がなり、電子レンジから取り出された牛乳からは湯気が立っている。
その工程を奏斗は目をキラキラと輝かせながら見入る。何かが出来上がる過程を見るのはとても楽しいようだ。
そして最後に温まった牛乳の中に、小匙1杯の砂糖を入れた。
これが奏斗お気に入りのマスター特製ホットミルク。
「はい、できたよ。熱いから気をつけな」
スッと奏斗の目の前に出されるホットミルク。奏斗の目は明らかに先程の倍は輝いた。
カウンターに座るとどうしても座高が足りないため椅子の上に正座をし、飲みやすい体制を整える。
猫舌なのだろう、フーフーと熱を吹き冷ます動作をすると、ズズッと音を立てちびちびと啜る。
とてもおいしいのか、パアッと表情は明るくなり、幸せ満面の笑みを店主へ向けた。
「ははは。ありがとうね。そこまでの顔を見せてくれるなんて、毎回作り甲斐があるよ」
店主は満足そうな奏斗の顔に安心し、頭を撫でてあげた。
「それで? 昨日に引き続き、今日もひと仕事終えてきたのかい?」
「うん」
「そうかい。奏斗くんがうちに来てホットミルクを飲むときは、何かを終わらせた後のおつかれさまの1杯だからね」
奏斗は再びズッとホットミルクを啜る。
「おじさん、何で分かるの?」
「分かるさ。これまでたくさんの人のいろんな顔を見て来ているからね」
「すごい」
「そうでもないさ。それで? 奏斗くんは、どんなひと仕事を終えて来たんだい?」
奏斗は持っていたコップをカウンターテーブルへ置いた。
「悪者をやっつけたんだ」
「へぇ。ヒーロー役か何かかい?」
「昨日は川に流されていた猫を助けたんだけど、今日は、困っている人を助けたの」
「すごいじゃないか、奏斗くん」
「僕、正義の味方になりたくて」
奏斗の表情は輝いていた。口下手でうまく話が出来ないようだが、自慢気に得意気に話しをしていた。
奏斗はいつもホットミルクを頼んで、1杯だけ飲むとすぐに店を出て行く。
この時間に外を出歩く未成年。恐らく何か事情があるんだろうと店主も特に詮索をするわけでもなく奏斗を受け入れていた。ホットミルク代の請求もこれまで1度もしたことがない。
「じゃあおじさん。また来るね」
「あぁ。またいつでもおいで」
21時半。ホットミルクを飲み終わると、奏斗は店主にひらひらと手を振り、満足そうに店を後にした。
**
同日 22:30
カランカラン
「たのもぉー!!」
「おい小鳥! もうちょっと静かに店に入りやがれ!」
「えー、いいじゃない。マスター、ジントニックちょうだい!」
またしてもいつもの顔ぶれがやってきた。
店主はにっこりと笑うと「はいはい」と言いながら、ジントニックを作り始めた。
***
X月Y+1日 12:00
「あっ。蒼、葉、そこは……っ」
「うるせぇな小鳥。お前がここがいいって言ったんだろ」
「だ、だめっ……。やめて……、いやっ」
「くくっ。滑稽な姿だな、小鳥」
「やだ、蒼葉……っ。いやっ。嫌……、嫌って言ってるでしょー! 痛いっつーの、馬鹿蒼葉!」
小鳥の見事な一本背負いが決まった。床に体がめり込み、泡を吹きながらカクッと気絶する蒼葉。
若本からの仕事の依頼を引き受けた後、蒼葉は小鳥にせがまれ、強制的に足のマッサージをさせられていたようだ。日頃の恨みをマッサージ中の指圧に丹念に込めて行っていたところ、返り討ちを食らってしまった。
「お前、ほんっと自己中だな」
「だって痛いもんは痛いんだもーん。あたし我慢がこの世で一番嫌い」
「へいへい」
蒼葉はボロボロになった体を自身で優しく労わりながら、机に置いてある依頼のあった連続殺人事件の書類を見下ろした。依頼を受けたからには早速調査を進めたい。書類を眺めるだけでは解決できないため現場に足を進めたいところ。
「ねぇねぇ蒼葉、またアレ出してよ」
「はぁ〜?」
集中力が小鳥のひと言で中断される。
「うさぎさん。この前出してくれたじゃん」
「あの時は酒も入ってたし、その場のノリっつーのもあるんだよっ」
「いいじゃん! もう1回見たい! 見たい見たい見たい見たい見たい‼︎」
始まった。小鳥はこうなると長い。先程も自分で言っていたように小鳥は本当に我慢ができない。駄々をこね始めると三日三晩コレが続くのだ。
蒼葉はたまったもんじゃない、と激しく溜息をつくと手のひらを天井に向けて開く。
青くきれいな霧のようなものが蒼葉の手の周りに集まってきた。薄っすら光沢を纏っており、周囲がほんのり青色に輝く。
そしてその霧がふわりと揺れたかと思うと、うさぎに形を変えた。
蒼葉がもう片方の手のひらを開くと、そこにも霧が集まり、うさぎが現れる。
青いうさぎは、まるで生きているかのようにぴょんぴょんと宙を跳ね、小鳥の周りに集まっていく。
これが蒼葉の能力。
自分の目で見たものを正確にコピーする〈複製〉である。
蒼葉、年齢不詳。
好きな食べ物はプリンとラーメン。
嫌いな食べ物はトマト。
あおば探偵事務所オーナー。
小鳥も若本も蒼葉との付き合いは長いが、皆蒼葉のことをほとんど知らない。
隠し事が多い、というより自分のことを話すことができない。
なぜなら、自分の記憶が半分以上消えてしまっているからである。
蒼葉は〈複製〉を得た頃より前の記憶を全て消されてしまった。
いつからこの力が使えるようになったのか、どこに住んでいたのか、学校に通っていたのか、自分の名前は何なのか、更に家族や友人がいたことすら覚えていない。
それがアオバの得た能力の対価。
気付けばひとり、知らない街でぽつんと立っていた蒼葉。
この街が自分がもともと住んでいた地域なのかすら分からず、歩けど歩けど体力だけがなくなり、どうすれば良いのか分からず途方に暮れた。
記憶からすっぽりなくなっている自分の過去。
見たものを出現させることができる不思議な力。
蒼葉は自分についての手がかりを得るため、探偵事務所を開くことをこの時に決意し、蒼葉という名を名乗るようになった。
蒼葉の能力〈複製〉は、非常に優れた能力。
鉛筆を出すと文字が書ける。バイオリンを出すと音を奏でることができる。バイクを出せばエンジンはかかり運転することができる。拳銃を出すと、相手を射抜くこともできる。
ただしそれは蒼葉が直接目で見たもの限定にされる。テレビや雑誌など画面や写真越しに見たものは出すことができない。
街角で見つけた超高級プリンをコピーしてみたことがあるが、食べている感じがしないし味もない。味までは再現することができないようだ。
一度出せるようになったものは、期限なくいつでも出し続けることができる。特に制限時間などもなく、蒼葉が『いらない』と思えばコピーは消える。
これらの能力は、その人それぞれが抱えている強い想いから得られることができると言われている。
そしてそれらの力を手にした能力者は、其れ相応の対価を差し出さなければならない。
これだけの能力を手に入れてしまった蒼葉にとって、与えられた対価はあまりに大きいものであった。
「力を手に入れたあの時の俺は、一体何に苦しんでたんだろうな……」
蒼葉がぽそりと呟く。
今となっては何も分からない。何も思い出せない。
しかし力のおかげでたくさんの縁が出来た。記憶に関する手がかりは何もないが、別に良いと思えるほど恵まれた環境で今を生きていることに強く感謝をしていた。
「うさぎさんたちぐうかわなんだけど!」
「なんだよぐうかわって」
小鳥の周りにはおよそ5羽ほどのうさぎが飛び跳ねており、小鳥は楽しそうにうさぎたちと一緒に戯れる。
うさぎを出せるようになったのは、以前依頼のあった学校で無理やり小鳥に引きずられ、うさぎ小屋へ連れて行かれたことがきっかけ。
それからというもの、うさぎのことを思い出すたびに『うさぎを出せ』と言ってくる。
「あたしの能力、うさぎっていう言葉使いたいなぁ。らびっとぱふぱふ〜、とかね。どう? 我ながらイケてると思うんだけど」
どうと言われても、と蒼葉はもはや突っ込む気力も失せてしまい、呆れかえった。本当に自由な発想を持つ小鳥のペースにいつもいつも振り回される蒼葉。
そんな蒼葉を他所に、小鳥は「うさぴょんと記念撮影」と言いながら自撮りを楽しむ。
蒼葉は深い溜息をつくとパチンと指を鳴らす。
すると小鳥の周りで元気に飛び回っていたうさぎたちが、ふわっと霧状に変化し、次々と姿を消した。
「ちょっとぉ、何するのよー!」
「遊びは終わり。お仕事すんぞ、小鳥」
小鳥は、餌を溜め込んだリスのようにぷくっと頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いてしまった。小鳥はこうなると蒼葉の言うことを全く聞かなくなる。
しかしそれは当たり前の日常。小鳥の扱いに慣れた蒼葉はふぅとひと息つくと腕を組む。そして静かに口を開いた。
「チュウチュウのアイスチョコバー買ってやるから」
首が180度回転し「おおっ」と小鳥の目が輝く。『ちょろいな』と口角がニヤリと上がる蒼葉。
これは小鳥が面倒臭くなってきたらいつも使っている手。かわいいものや大好物にはとても弱いため、今回も例のアイスチョコバーで簡単に釣り上げた。
「さぁ~て」
小鳥は若本の持ってきた書類に目を通す。
理解しているの分からないが、とんでもないスピードで眼球が動き、ページを捲っていく。
「あい、おっけー。とりあえず、X月Y日六本木周辺の裏路地ね」
小鳥の能力〈全てを明らかにする瞳〉。
小鳥の瞳孔が開き、通常ではありえない指の動きでスマホを操作する。画面には目では追えないほどの情報が流れ、小鳥はそれをすべて漏れなく追う。
「はい、まずこれね」
画面を見ると写真が9枚、画面いっぱいにすべて見る側に確認できるように表示されている。写真は夜の時間帯なのか真っ暗な部屋の中なのか、全体的に暗く、何の写真なのかはまだ分からない。
蒼葉がスマホを手に取りまじまじと見てみると、薄っすらとだが人影のような影が見えた。更に目を凝らしてよく見てみると、人影のようなものはひとつではなく、数名の頭部のように見える。
「これね、今ほとんど使われてない裏路地の監視カメラの映像の静止画。この辺街灯が壊れちゃってるみたいだからよく見えないけど」
あいかわらず力を使っている時の小鳥はまるで別人のよう。年齢よりも少し幼い話し方や動作が多い小鳥だが、仕事を任せるにと、一気に雰囲気が変わりこれまでの面影はなくなる。
「これ、例のヤクザの組長とその手下だと思うよ。時間的にもそう。まぁここはほとんど人が通らないから間違いないと思うけど」
行政も管理を怠るような場所で、ほとんど使われていない監視カメラであるが、小鳥にとっては大事な情報収集源のひとつ。「ちょっと貸して」と蒼葉の手からスマホを受け取ると、再び高速で親指を動かした。
ほとんど管理下にない監視カメラからどうやって静止画を入手できたのか。蒼葉は感心に浸る。
そして間もなく「ん」と、再び蒼葉の手にスマホが手渡される。
「これは? 猫?」
画面いっぱいに広がるのは猫の写真。恐らくどこぞの飼い主が自分の愛猫を撮影した写真だろう。こんな写真までどうやって、と蒼葉は身震いした。いよいよこいつには隠し事ができないと改めて強く感じる。
小鳥の能力には個人情報やプライバシーという概念は存在しない。どんなあらゆる情報も見事にキャッチすることができる。
「猫ちゃんもかわいいけどさ、ここ見てよ」
小鳥は隅っこに小さく映るカーブミラーを指差した。小さすぎて見逃すほどである。
小鳥は2本の指を使い、カーブミラー辺りをズームアップした。まだボヤけているが少しずつ画質がハッキリとしてくる。
「これは……子供?」
たしかにそこに映るのは、黒い服を着た子供の姿のように見えた。全身が映っているわけではなく、上半身のみガードレールに映り込んでいる。夜の時間帯のため周りは暗いが、幸いその場所は街灯の明かりがハッキリしている場所だったためよく見える。
「この子供が向いている方向は、例のヤクザの組長たちが殺された殺害現場。そしてこの写真の日時は、X月Y日19:45」
ここからおよそ10分後が、會田組の死亡推定時刻となっている。
「まさか……、こんな子供が?」
「恐らくね。他の角度からも調べてみたけど、殺害現場付近ではこの子以外のそれらしい情報はなかったかな」
小鳥は〈全てを明らかにする瞳〉を解除すると、普段のくりっとした瞳に戻る。
「どうする?」
小鳥は蒼葉の顔を覗き込む。
蒼葉は少し俯いていたが、にかっと笑うとゆっくりと小鳥の方を向きこう言った。
「サンキュー小鳥、こんだけ揃えば十分だ。さぁ、行くぞ」
そう言い、ハンガーにかけたあった枯れ草色のコートに手をかけた。