01 殺し屋とふたりの探偵
同日 23:00
日はすっかり暮れ、ネオンを灯し始める夜の街が、昼間とは違う賑わいを見せ始める六本木。少し派手めなメイクを施した女性たちや、仕事帰りのスーツを着た男たちが次々の夜の街へと消えていく。
大通りよりも外れた路地に入ると、そこは自由な世界。視界に入り込む眩しさと、まるで異世界に迷い込んだかのようなワクワク感に誰もがつい足を踏み入れる。
酔っぱらったサラリーマン、体を寄せ合う男女、客引きをするドレス姿の女の子、キャッチに明け暮れる黒服たちで埋め尽くされたネオン街。
酒を酌み交わせば、立場なんていう隔たりは皆忘れ肩を組み、なんとも楽しそうに朝まで飲み明かす。
そんな人々の活気に溢れる飲み屋やキャッチをすり抜けた通りの先にある小さなBar【Eccentric】。
大々的に看板を出しておらず、パッと見ただけではそこがBarだとは誰も気づかず通り過ぎてしまうほどの隠れ家的存在。
そんな隠れたBarに、今日もふたりの男女が飲みに来ていた。
「マスター、俺ウイスキーシングルで」
「あたしジントニックもう一杯飲みたい!」
「はい、かしこまりました」
白髪に白髭が印象的なマスターと呼ばれた店主が、背中に立ち並ぶたくさんのアルコールの中からウイスキーの瓶を取り出す。
ロックグラスに丸く大きな氷をひとつ。そこにウイスキーを注ぐと、琥珀色の美しい透明感に、氷の艶やかさがよく映える。
店主からグラスを受け取り、喉を潤す男。ウイスキーを飲むにはやや違和感のある中性的な顔立ちに、ハーフアップされたサンディブラウンの髪。枯れ草色の薄手のコートでその細身の体を包んだ男は、頬杖をつき足を組みながらウイスキーを嗜む。
「やっぱマスターのつくる酒は最高だな」
「そう言っていただけて光栄です、蒼葉さん」
お調子者と思わせる話し方と歯を見せ笑う無邪気なその笑顔の男を、店主は蒼葉と呼んだ。
この店の常連である蒼葉は、今日もカウンター席の真ん中で気の良い店主と談話を楽しむ。
次に店主はリキュールとトニックジュースを入れたシェイカーを振り、グラスへと注ぐ。氷が解けて店の中にカランと音が響き、あっという間にカクテルが完成した。
店主は「はいできましたよ、小鳥さん」と、若い女性の目の前にミントを添えたジントニックを差し出す。
蒼葉の隣に座る女の子の名は小鳥。
足が細くショートパンツがよく似合い、小柄で華奢な体型できゃっきゃと賑やかに騒ぐ今時の女の子。肩ほどの髪の長さで、赤茶色に染まったふわふわパーマがよく似合う。右手にはスマホを持ち、画面を見ずに器用に指を動かし操作する。
「んっんっんっ、ぷはぁー! ジントニックおいしいねっ! マスター、もう一杯!」
「お前いっつもこれジュースみたいに飲むよな」
「いいじゃん別に。蒼葉っていっつも口うるさいよね」
蒼葉は呆れた表情で小鳥からウイスキーに視線を移した。くいっとグラスを傾けると氷がグラスにぶつかる音が店に響く。
「お前に調べもん頼んだら、『ジントニック飲みた~い』って言ったから連れてきてやったのに、飲んでばっかじゃねぇか。何杯目だよ。酔いつぶれる前にやることちゃんとやれよな」
「分かってるってば。せっかくだし、ちょっとくらい楽しんだっていいでしょ」
そう言うと小鳥は、「さぁいくよ」と言うと右手に持つスマホを高速で打ち始めた。
右手の親指は止まることなく動き続け、画面いっぱいに見たことのない記号や数字が流れ始めた。そして次々と表示されていく様々なサイト、監視カメラと思われる映像、写真や書類などの情報。
先程まできゃっきゃしていた小鳥は瞳孔の開いた真剣な眼差しでそれらすべてを追った。
時間にしておよそ1分。
小鳥が目を瞑り、ぱっと開くといつもの瞳。手入れを怠らない長いマツエクを何度か上下する。
そして蒼葉の方を向き「はいできた」と蒼葉の目の前に自分のスマホを提示した。
小鳥のスマホを受け取る蒼葉。指で下へ下へとスワイプさせると、赤いマル秘の印が目立つ多数の重要情報。
これらの情報は決してインターネット上には上げられることのない、警察や組織の中の一部の人間しか知らない最重要秘密事項。
それらを小鳥は一瞬で、しかもスマホなどの身近なものでありとあらゆる情報をすべて見通す力を持つ。何の痕跡も残さず、セキュリティーにも引っかかることなく完璧にそれらをこなす。
「お前の力、ほんとすげぇよな」
「えへへ、すごいっしょ。まぁ蒼葉の力ほどじゃないけど」
「お前に褒められる日がくるとはな。明日は嵐だな」
蒼葉が大量の資料に目を通していると、先ほど小鳥が頼んだジントニックが小鳥の前に出てきた。
「ありがとう、マスター」
「あ〜……やっぱそうか」
「なんて書いてあるの? あたしの力ってそういうの全部分かっちゃうんだけど、書いてること難しくてよく分かんないんだよね。ねぇ〜、マスタ〜」
共感を求める小鳥に、店主はグラスを拭きながら優しい笑顔を向けた。こんな性格の小鳥のペースに飲まれることなく、いつも上手に小鳥の対応をしてくれる店主に、思わずふっと笑みがこぼれる蒼葉。
「あとで説明するわ。まぁ、お前には説明しても分かんないだろうけど。マスターおあいそ」
「マスターおあいそー!」
店主が会計の準備をしている間、蒼葉は再び小鳥のスマホ画面に視線を落とした。
そこには今世間を騒がせている殺人鬼――〈神〉による連続殺人事件の極秘捜査ファイルが表示されていた。
「そろそろ、か」
*
X月Y+1日 5:00
昨夜裏路地で起こった殺人事件現場へと向かう数台のパトカー。そのサイレン音が瞬く間に朝方の六本木周辺を包み込む。
事件から9時間後、早朝のジョギングをしていた通行人の『ひどい臭いがする』という通報により事件が発覚。それを嗅ぎつけたマスコミと野次馬で現場は人で溢れかえった。
「若本警部、お待ちしておりました!」
タクシーから現れたのは『若本』と呼ばれたロングコートを着たひとりの男性。部下と思われる刑事から現場の状況報告を受けながら、殺害現場へ足を進めていた。
立入禁止と書かれた黄色の標識テープの周りに集まる息が詰まるほどの人混みを掻き分け、若本は現場の中へ入っていく。
「ほんっと派手に殺してるな」
「はい。しかも殺されているのは全員我々が追っていたあの暴力団の連中です」
「ほんで、今回も手がかりなし?」
「……はい、申し訳ございません」
若本は犯行手口ですぐに例の事件と紐づいた。
ここ半年ほど前より連続的に行われている反社会的勢力や人物ばかりを狙った殺人事件。
ニュースやSNSなどで情報が上がると、数日以内にはこのように肉の塊となって路上に転がっている。
この事件を難解なものにさせている原因は、犯人は証拠となる物を何ひとつ残していないということ。もちろん目撃情報もない。
どんな人物が、どんな凶器を使っているのか、何のために犯行に及んでいるのか全く不明なのだ。
それからこの事件の犯人を『悪を滅する神到来』などと、物好きなマスコミが騒ぎ立てるようになり、テレビやラジオでは特集を組まれるほどで視聴者からの支持も非常に厚い。
SNSやネット上でも〈神〉だと謳われ、毎日のように騒がれている。
若本は現場にひと通り目を通すと「う~ん」と唸りながら顎に手を当て、どこかへ電話を掛け始めた。
革靴の音を響かせながら警察車両へ戻ると、赤いランプを車の上部から取り外し、運転席へと座る。
「け、警部?」
「ちょっと用事ができたから俺はそっちに行く。ここはお前らに任せたぞ」
若本は窓を開け手を振ると、とある場所へと急いだ。
**
同日 8:30
「おえぇ蒼葉ぁぁ……ぎもぢわるいよぉ……」
「昨日ジントニックを何杯もがぶ飲みするからだろ。自業自得だ」
「ああ〜ひどいよぉ……、うっ、ぷ、おえええ」
「ちょっ、おま! ソファに吐く……っ、ああぁぁ……」
蒼葉の渾身のダッシュも無念に終わり、汚物はキラキラと虹色に光り輝きながら見事事務所のソファの上にぶちまけられた。
ここは蒼葉の設立した〈あおば探偵事務所〉。
決して広いとは言えない面積の中に、依頼の交渉時に使うソファとテーブル、そして窓際に置かれたパソコンが1台が設置された作業用デスクしかない小さな事務所。
5年ほど前に安価な物件を見つけて始めた探偵稼業。
近所にあるラーメン屋に行ったときに相席となった〝とある警部〟と仲良くなり、物件を紹介されたのがきっかけ。
それ以降困難な事件は要請がかかることが多く、これまでも実に多くの難解事件に関わってきた。
ちなみに蒼葉の助手でもあり、この探偵事務所で必要不可欠な存在である小鳥は2年前のある日「あたしを雇って」と突然現れた謎の少女。
特に求人を出していたわけでもなかったが、いきなりあおば探偵事務所を訪れた小鳥に、当時の蒼葉は驚きのあまり言葉が出ず立ち尽くした。
それもそのはず。彼女の能力はひとつの狂いもない見事な情報収集。どんなセキュリティーが万全な情報であっても、彼女にかかれば小学生が欲しいおもちゃを手に取るような感覚で、いとも簡単に欲しい情報をピックアップできる。
頭の弱いところも多いが、この仕事に欠かせない重要な役割を担っており、蒼葉の相棒として常に一緒に行動を共にする。
小鳥という名前は蒼葉がつけたワークネーム。探偵事務所で仕事をしている以上、危険な任務も多数存在するため、身バレによる家族や知り合いが巻き込まれないための対策である。
そんな小鳥の何度目か分からない失態を片すため、蒼葉は物置からエプロンを取り出し、手袋をはめた。この青色でゾウのイラストが散りばめられたエプロンは小鳥が買ってきたもの。これを手に取り身に付けることが慣れてきたことに蒼葉は空虚の涙を流した。
当の本人は気持ち悪さが改善されたようでいつものように事務所内を明るく飛び回り、スマホをいじる。
そんな小鳥にげんこつでもかまそうかと、震える拳を小鳥に向ける蒼葉。
「小鳥! お前良い加減に――」
「お~っす、蒼葉。邪魔するぜ」
「お、若本警部じゃねぇか」
そんな賑わいを見せる探偵事務所のドアを蹴破るかのように入ってきたのは六本木警察署の若本 純。
着慣れたスーツが似合う黒髪で長身の男性。警部の割には口調は荒く、ちゃらんぽらんしたように見えるが、実は警察署の中でも凄腕の警部。
「あ、純ちゃんだ!」
「よぉ小鳥ちゃん。元気にしてたか? 今日のお土産は……じゃーん! チュウチュウのアイスチョコバーだぞ〜!」
「わぁ、かわいい〜!」
「……ここは保育園か」
ゾウの絵柄が敷き詰められたエプロンを装着し雑巾でソファを拭きながら、ボソッと蒼葉がツッコミが入れる。
チュウチュウとは、今子供から大人まで大人気のアニメ、オケモンに出てくるネズミのキャラクター。愛らしいビジュアルでオケモンの中でも1番人気が高く、よくグッズ化された商品が売り出されている。
小鳥は輝く瞳で早速アイスバーの封を開けると、袋をその辺に散らかし、必死にアイスに食らいついた。
「ったく。ゴミくらいゴミ箱に捨てられるようになれっての」
「突然悪いな蒼葉。ちょっと助けてほしい案件があんだけど」
若本は書類の束をテーブルの上にバサッと落とした。ふたりの目つきが変わり、一気に緊張感が走る。
「例の連続殺人事件だ」
ゾウのエプロンをつけたままページを捲る蒼葉。今日は結っていないミディアムの髪が書面に落ちるたびに耳にかけながら、分厚くまとまった書類に目を通す。
そこに書かれている内容は、昨日小鳥に調べてもらった内容とすべてが一致していた。
「最初の事件からだいぶ時間経ってるぜ、これ」
「もっと早い段階でお前んところに持ってきたかったんだよ俺自身は。でも上がなかなかOK出してくれなくてよ」
「そうしているこの半年の間にどんだけの人が殺されたかよ。判断遅すぎって上の連中に言っとけ」
「だからさっき強制的に許可もらってお前んとこに真っ先に来たっていうわけ」
今回の連続殺人事件に関しては、警察が目をつけ、実際に事件として追っていた犯人が次々と殺されているため、世間からは『警察なんかいらない』『すべては〈神〉に任せておけばいい』と非常に叩かれている。
なんとしてでも今回の事件を自分たちで解決したいという思いの強かった上層部は、なかなか若本の申し出に対して首を縦に振らなかったのだ。
「また頼むわ、蒼葉」
蒼葉は手に持っていた捜査資料を机に置くとにやっと笑った。
「上等だ。戦闘開始といこうか」
――〈神〉と崇められた犯人。
犯人の殺人には何の意味があるのか。
どんな目的で人殺しをしているのか。
――物語の幕はゆっくり上がっていく。
たとえ、そこに悲しい物語が待っていても。