第63話、古代の兵法
「こちらが腹を見せて敵の目前を進軍すれば、敵は襲ってくるのでは?」
俺が感じた疑問を榎本さんに確認すると、彼は軽くうなずく。
「兵法によれば、まず負けない態勢を作ってから敵が隙を見せるのを待つ、となっています。帝国は慎重に防衛陣を固めているので、簡単には出てこないですよ。こちらの見え見えの誘いにホイホイと守備態勢を崩して攻撃してくるのなら、敵の司令官は二流の将帥です。そんなアホなら軽く勝つことができるでしょう」
軍師殿は余裕の表情だ。
「でも、攻撃してきたらどうするんです?」
俺だったら誘いに乗るかも。
「そのときは部隊の方向を敵に向けて、横陣にします。敵が進撃してきたら両脇の重歩兵は耐えるでしょうが、中央の歩兵は百戦錬磨の帝国軍によって押されて後退すると思います」
なるほど……。小さく首を縦に振る俺。
「しばらくすれば、自然に敵を半包囲している状態になる。その時にウォルターさんの騎馬隊五百が後方から突撃すれば敵は壊滅するに違いありません」
榎本さんの言葉は自信に満ちている。前例があるのだろうか。
「器に盛った生卵に石をぶつけるようなもの。楽勝ですよ」
「そうですか……」
これまでトルディア王国の城塞都市を守備してきた軍師が言うのだから間違いないだろう。
こちらの部隊は敵が守備陣を組んでいる林の目前まで進み、いきなり右に向きを変えた。
無防備に左腹を敵にさらして進軍するのは、かなりのスリル。いつ攻撃されるのかと気が気ではない。双眼鏡で敵を見ると、そちらも動揺しているらしく、兵が右往左往していた。攻撃するのか守備に徹するのか意見が分かれているのかな。
結局、俺達は攻撃されなかった。林を無事に通り過ぎて、部隊は山に挟まれた細い道に向かう。
「あそこにバリケードを作って帝国軍が逃げ出せないようにするんですね」
俺が聞くと、榎本さんは苦笑いを浮かべて首を横に振る。
「いえ、あくまでも敵の退却を不可能にするように見せかけるだけです。」
それでいいの?
「柵を作ってガードを固め、敵を逃がさないようにしたらダメなんですか」
「母国に帰る敵を妨げてはならない、と兵法に書いてあります。日常生活でもそうですけど、相手を極限まで追い詰めるのは良くないのですよ。敵中に孤立した帝国軍は窮鼠となって死に物狂いで攻撃してきます。そうすれば、こちらの損害が大きくなるだけのこと。戦略的に意味がないので、さっさと帰ってもらうべき」
そう言って、ウンウンとうなずく榎本さん。
そうか、元々は帝国軍が撤退していっても追撃はしないという方針だったな。




