第60話、撤退
会議室を出て、城壁に向かって駆けて行く榎本さんに俺達も続く。
城壁に登ると、敵が編成を変えているのが見えた。森のような帝国軍の部隊が直線上に配置を換えている。双眼鏡で確認すると、この城塞都市から遠い部隊から先に去って行く。
「確かに撤退するようですね」
榎本さんが敵を観察しながら言った。
「罠ということはないのかな? トルディア軍を誘い出して袋だたきにするとか……」
心配そうに目を細める野田。
「それはないでしょう。こちらは城に閉じこもって防戦一方と決め込んでいるのは敵も良く知っていること。私達が貝のように身を固めているのに、誘い出そうとするわけがありません」
榎本軍師の的確な考察だ。さすがは軍事オタク。
「じゃあ、とうとうアマンダ共和国が動いたってことだよね」
榎本さんに確認してみると、彼はゆっくりとうなずいた。
「車がかりの陣を続けていれば、そんなに待つこともなく帝国軍が勝つことは確実です。それなのに撤収していくというのは、本国から帰還命令が来たのに違いないでしょう」
自信ありげな榎本さんだ。ああ、トルディア王国と俺達は助かったのか……。中学生の姿の軍師は頼もしくて可愛くて抱きしめたくなるぜ、チクショウ。
榎本軍師の執務室で昼ご飯を食べることにした。
メイドさんが作ってくれた昼食は、以前のように贅沢な物だった。帝国軍が去っていくので補給係の機嫌も良くなったのか。
テーブルに並んだ皆の表情は明るい。香奈恵は何もしていないのに、バクバク食べている。
帝国を撃退したのだから王様から約束の報酬をいただけるはずだ。あの宝物庫の財宝を自由にして良いということだったから、持てるだけ持っていくことにしよう。
それに、俺を貴族にしてキャサリン姫を嫁さんにくれるという話もあった。なんか心が浮ついてワクワクするぜ。
未来を考えて、ふと困惑する。
俺は財宝を日本に持って帰って、それからどうするのだろう。
外車に乗って家を建てて贅沢三昧。そして、それから何をしたら良いのだろうか。
今までは財産を作れば、それで終わりで、幸せな人生になると思っていた。
しかし、優雅な暮らしが手に入りかけている今、なぜか幸せだと思い込むことができない。何かが足りないような気がする……。
食後の紅茶を飲んでいると、急にドアが開いてウォルターさんが飛び込んできた。
「大変です、軍師殿! カスター将軍が出陣しました」
一瞬、何のことか分からずにゴクリと紅茶を飲み込む。
「えっ、どうして?」
榎本さんが立ち上がった。
「撤退する帝国軍を追撃すると言い残し、三千の歩兵を率いて帝国軍の後を追っていきました」
歴戦の勇者であるウォルターさんも焦っているよう。
「まったくバカなことを……」
天井のシャンデリアを仰ぎ見る軍師殿。
「まずは、呼び戻すことだな」
重松さんが腕組みをして言った。
「はい、すでに早馬を走らせているのですが……」
たぶん、将軍は榎本さんの命令を無視するだろうな、とウォルターさんも考えているようだ。




