第176話、人生劇場
「ちょっと、ちょっと、ちょっと……重松さん。それで良かったんですか?」
議長を怒らせて、大丈夫なのか。
「ああ、交渉は強気でいくんだ。へたに下てに出ると、弱みにつけ込まれて条件が悪くなるのさ」
重松さんの説明を聞いて藤堂さんが大きくうなずく。
「そんなもんですか……」
こういった場合の交渉にもテクニックが必要なのか。
「とにかく、二十四時間の猶予はできた。その間に作戦を練って準備をすることにしよう」
そう言って彼は、藤堂さんと打ち合わせを始めた。
「ちょっと、自宅に戻ります」
俺は野田の家を出て自分の家に向かう。
涼しくなったが、昼下がりに外に出ると、まだ秋になったという気がしない。
入り口を開けて、中に入る。広い応接間には大きなテーブルと上質のソファ、壁には五十インチを超える液晶テレビが取り付けてあった。
それは平和な日常を象徴しているような……。
高級ソファに腰を沈ませる。
野田と一緒にボケーッとアニメを見ていた頃を思い出すと、ああ、異世界に行かなければ良かったかなと後悔してしまう。お金はたくさんあるのだから、細かいことは何も考えずに遊びまくれば良かった。
目先の快楽に身を委ねる人生。心が腐ってダメオヤジになっても、生を全うできるじゃないか。
「いや、違う……」
俺は首を振った。
ただ生きるだけだったら、ダンゴムシと同じだ。人間として生まれたからには自分がこの世に生を受けた理由を知らなければ……。
そうでは無いかもしれない。理由を知るのではなく、理由を自分で探すんだ。自分で作るんだ。自分が自分の人生を作っていくんだ。人生が俺に何を期待しているのか。この一回限りの人生劇場で、どのように演じるのか……その脚本は自分で書くのだ。
心にのしかかっていた重荷を俺は、よっこらしょと背負って、そして、実際に立ち上がった。
野田は絶対に助ける。榎本さんもだ。やらなければならないことは、やらなければならないんだ。
俺はシャワー室に向かう。まずは心身をリセットしよう。
*
夕方、野田の実家に戻ると、祐子さんが来ていた。
迷彩服が似合っている。彼女は相変わらず飾り気のない服装。感情の起伏に乏しい人だが切れ長の目が日本女性的で、化粧をすればそれなりの美人になると思う。
彼女はほっそりとしているが、体は引き締まっていて戦闘力は重松さん拮抗するのではないか。一度、戦わせてみれば面白いかもしれない。
いつもは長い髪を顔の前に垂らしているのだが、今日は後ろに縛ってポニーテールにしている。
迷彩服を着た重松さんが俺を向いてニコリと笑った。
「よし、佐藤さん。飯を食ったら転送だ。まず、向こうに行って情報収集をする」
重松さんは、なんか気分が乗っているのか。榎本さんの危機だというのに、危険に向き合うと元気になるような気がする。
「転送ですか……」
「ああ、佐藤さんと俺、それに祐子でミッキー老人の家に行ってルーシーさんとコンタクトを取る」
そうか、異世界で俺達の味方だとはっきりしているのはルーシーさんだけ。
「俺は残って待機だ」
藤堂さんは俺のスマホを持っている。議長から連絡がきたら適当にごまかす役割。
俺達は夕食を食べてから、庭に停めてあったジムニーに乗り込んだ。




