第169話、アップルパイ
カマリア王都に吹く風も、すっかり涼しくなった。
日も短くなって、日本の秋と同じ空気を感じる。
俺は執務室でプラチナの在庫状況をノートパソコンでチェックしていた。
中央のテーブルでは、重松さんと藤堂さんが所在なさげにダラダラと世間話をしていた。
彼らは軍から完全に切り離されてしまったらしい。俺はマネーのことしか考えていなかったので知らなかったのだが、ジョンソン連隊長から徐々に軍の権限を浸食されて、今では何の命令権もなくなってしまったという。
俺と野田はプラチナのことしか見たくなかったので、司令官権限が名前だけになっても構わないし、その方が楽なのだ。しかし、重松さん達にとっては大事なオモチャを取り上げられた子供のように不満を感じているらしい。
だらけた部屋の雰囲気を叩くように、乱暴なノックの音が部屋に響いた。
「和田であります! 司令官殿、入室を許可願います」
俺はため息をつく。普通に入ってきてもいいよと言ってあるのだが、彼から自衛隊の気分が抜けることはない。
「はい、どうぞ」
「失礼いたします」
ドアをガバッと開けて、お椀頭の和田さんが入ってきた。野田は彼のことをブラックキャップ呼んでいる。黒いお椀をかぶせたような頭をしているからだ。
確か、二週間に一度は、なじみの美容院に行って髪をカットしてもらうそうだ。今まで無職だったのに髪だけは定規で引いたかのように直線を出している。よほどのポリシーがあるのだろう。
彼にはアマンダ共和国の議会に現状報告をしてもらったのだ。
「ミッキー老人は変わりなかったですか?」
俺が聞くと彼はビシッと背筋を伸ばす。
「はっ、自分では、変化を感じることはできませんでした」
やれやれ、カタッ苦しい言い方。
「ああ、そうですか……」
「そうだ、ルーシーさんからお土産を預かっています」
彼は持っていた布の袋をテーブルに置いた。
「俺に? ルーシーさんから……?」
和服姿の日本人形のような美人の顔を思い描く。
席を立って袋の中を覗いてみると、紙の箱が入っていて良い香りがする。
「はい、すぐに佐藤司令官が食べるようにと指示されています」
指示って……命令形かよ。
紙の箱を開くと、アップルパイが食べやすいように切り分けられている。
どうしてルーシーさんは俺にお菓子を届けたのだろう。もしかしたら俺に気があるのかな、ぐへへへへ……。
「おい、和田」
「はっ、何でしょうか。藤堂情報担当殿」
ビシッと、かかとをそろえる俺の副官。
「彼女は、すぐに食べるようにと言ったんだな。風味が損なわないように早めに食べてくださいとかじゃなくて、すぐにと……?」
「はっ、ルーシーさんに言われたとおりに伝えています」
藤堂さんは眉をひそめる。それを見て重松さんも顔を曇らせた。
「佐藤さん、ちょっとそれを食べてみろよ」
重松さんが言った。アップルパイはそんなに好きではないのだが。
「はあ……、じゃあ、コーヒーでもいれますか」
俺が流しに向かおうとすると、私が用意いたしますと言って副官が小部屋に入る。
「いいから、さっさと食ってみろよ!」
重松さんの語調が強い。どうしたんだろう……。
俺は乗っているリンゴが小さくて食べやすそうな物を手に取って口に入れた。
「ああ、けっこう旨いですね」
ムシャムシャと食べて、もうひとかじり。……あれっ?
「何か入ってますね……」
異物感を感じて、それを口から引き出すと紙のメモを折りたたんだような物。
「ちょっと開いてみろ」
重松さんが寄ってくる。
細長くたたまれた紙を開くと文字が書いてあった。
「えーと、……ミッキーと議長が裏切った。すぐに逃げて……と書いてあります」
勢いよく藤堂さんが立ち上がる。部屋の空気に戦慄が走った。