85 黄泉返り
「申し訳ありませんッ!!」
カレンさんが意識を取り戻すなり謝罪した。
「あんな大変な時に、戦いに参加せず意識を失っていたなんて! 勇者としてあまりに不甲斐なく! なんと言ってお詫び申し上げたらよいか!」
まあ、意識を失わせたのはヨリシロなんですけどね。
「大丈夫ですよカレンさん。ピンチは無事乗り越えられましたし」
仮にカレンさんの意識があって存分に戦えたとしても、今回は光の神力がまったく効かない敵だったのでどっちにしろ意味なかっただろう。
という追い打ちはかけないでおこう可哀想だし。
「で、あの……」
「はい?」
「私が気絶している間に、一体何があったのでしょう?」
カレンさんが指差す先には、例の二人組が。
「うふふ」
ヨリシロが、小柄な少女を抱えてずっとニヘニヘしていた。
少女は十四~五歳といった年格好で伸ばし放題の黒髪は尻まで届く。肌も色黒で、どことなく野生児、という印象がしっくりきた。
出てきた時は素っ裸だったものの、今はヨリシロ用の着替えを着せられ一応肌を隠している。
「……本当に、この女の子が、あの黒影さんから出てきたんですか?」
既にカレンさんには、当人が気絶している間の状況の推移は説明済みだった。当然僕らの神関連の情報は巧みにぼかしながらだが。
僕が単独行動中に発見した石碑についても伝えてあり、それらの状況から総合して……。
「この女の子が、何百年も前に滅びたヨミノクニの生き残り……!?」
「だと思います」
光を変質した『影』を操る能力。
その力は、ヨミノクニにおいてごく標準的な能力であったのだろう。そしてその一番の使い手であるこの少女は、ヨミノクニ最強の戦士として外敵と戦った。
それは、今の時代からは想像もできない地獄だったのだろう。
血飛沫と刃が飛び交う修羅の巷に、少女の多感な感性はズタズタにされて怒りと憎悪に塗り潰されていく。
そしてその荒み切った心が『影』の侵食を受け入れ、ついには『影』そのものに……。
『影』の中にあった彼女がどういう状態だったのかは、想像もつかない。
しかし恐らくは、自然の法則から完全に断絶されていたのだろう。時の経過すら拒絶し、数百年経った今も変わらぬ姿で『影』の中に保管されていた。
「本来なら、完全に一体化した『影』との分離など不可能だったでしょう」
ヨリシロが、少女を抱えたまま言った。
「ですがハイネさんの暗黒物質は、神気だけを飲み込み消失させる特性があります。その力が、髪の毛一本分以上の細かさでこの子と『影』とを選り分け、『影』だけを消滅させた。それによってこの子は解放されたのです。でも……」
ヨリシロは物憂げに、少女の頭を撫でた。
少女はその行為に、ネコのように目を細める。
「イザナミ様ー」
「はいはい」
「イザナミ様ーー」
彼女の振る舞いは、十五歳の少女にしても幼すぎるものだった。
「記憶を、失っているんですって?」
カレンさんが、先ほど聞かされた情報を確認するように尋ねる。
「ええ、『影』と分離して、意識を取り戻してから、ヨリシロのことを『イザナミ様』と呼ぶばかりで他は何も……」
あまりにも長い期間の『影』との同化が、少女の記憶能力を壊してしまったのか。
それとも亡国の辛すぎる体験を覚えているのに耐えきれなくなったのか。
そのどちらかはわからない。
人間に戻って時間を経れば記憶が整理されるかもしれないし、ずっとこのままかもしれない。
ハッキリとしたことは誰にもわからない。
「いいのです、これで」
ヨリシロが言う。
「この子が新しい世界で生きていくのに、過去の記憶はきっと邪魔になるでしょう。ヨミノクニはもうありません。数百年前から既に存在しないのです。そんな都市を滅ぼされた憎しみを抱えて生きても、この子には何の得にもなりません」
「ヨリシロ、それはつまり……」
「この子は、わたくしの手元で育てます。アポロンシティで新しい人生を歩ませます。今度こそ、もう絶対に、間違いは犯しません」
それは、今を生きる光の教主ヨリシロとしてでなく、過去を生きたヨミノクニの女王イザナミとしての言葉だろう。
神なるものの魂を共有した幾人かの人間の、共有する覚悟。
「重荷は、下ろせたのか?」
そうヨリシロに尋ねられずにはいられなかった。
このヨミノクニを興し、そして滅ぼしてしまったことを彼女は心の底から悔いていた。
この目の前の少女、影の勇者ドラハの帰還は、ヨリシロにとって免罪となったのだろうか?
「逆ですハイネさん。わたくしは、これでやっと、重荷を背負うことができるようになったのです。この子の命を背負って、この子と一緒に歩んで、この子が、この世界での新しい生に満足できて、やっとわたくしの贖罪は終わるのです。……ハイネさん」
「ん?」
「アナタも一緒に生きてくださいますか? わたくしたちと一緒に?」
「うっ」
これはまるで、子連れの未亡人から求婚されているような感覚。
「……いいよ」
「えっ?」
「いいよ。僕でよければ、出来る限りお前とその子の助けになってやるよ」
「まあ、嬉しい!」
ヨリシロは心から嬉しそうに微笑み、またドラハは、まだ自分の身に何が起きているのか理解できず、ポカンとした表情だった。
そんな僕たちのやり取りを、一歩下がったところからカレンさんが不思議そうな顔で眺めていた。




