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82 女神の過去

 わたくしは罪を犯しました。


 わたくし――、光の女神インフレーションが最初に犯した罪は、愛するあのお方を裏切ったこと。


 創世の時代。人間という生物が生まれたことによって、わたくしたち神々の間に初めて不和なるものが起りました。

 わたくしの愛する闇の神エントロピーは、人間を慈しみ賛美しました。逆に他の神々は、他の生物同様に人間たちも支配しようと主張しました。

 わたくしは最初、どちらの意見にも与しませんでした。

 ただ、わたくしの愛するエントロピーが喜んでくれるなら、彼と共に人間を高次の生命に育てるのもよいかと、そう思う程度でした。

 そんなわたくしの心に、一掴みの泥を投げ込んだ神がいました。


『エントロピー様は、アナタよりも人間の方を大切にしているご様子? このままでは、あの方の寵愛すべてを矮小な生物に奪われかねませんよ?』


 神たるわたくしの心に初めて、疑いと嫉妬という感情が芽生えました。

 あの方は人間よりもわたくしを選んでくれる。その期待に縋るようにわたくしは、彼の敵の側に立ちました。

 神同士の不和を治めることも必要でした。わたくしと戦うことを、あの方はきっと避けてくれる。その上で他の神々との妥協を探れれば……。

 そんな淡い期待を持っていました。


 しかし彼は戦いました。

 五対一という絶望的な争いでもなお、あの方は戦いました。

 戦いが終わり、わたくしみずからの手であの方を封印しなければならなくなった時、『胸が張り裂ける』ような苦しみというものを初めて知りました。


 あの方はきっと、わたくしを許さない。

 永遠をかけてなお償いきれぬ罪を犯してしまった。あの時はそう思っていました。

 しかし、わたくしの真の罪は、ここから始まったのです。


 闇の神エントロピーが封印されて後、我が弟妹たる四元素の神々は手前勝手に振る舞うようになりました。

 火の神ノヴァは、地上に対して度々暴虐を振るい。水の神コアセルベートは人に虚言を吹き込み、争いを起こさせてはそれを眺めて楽しみました。風の神クェーサーは我関せずといずこかに消え去り。地母神マントルだけがわたくしの意を尊重し、従ってくれました。


 そんな中でわたくしは、どうすればエントロピーに許してもらえるだろう? ただそれだけを考えていました。

 あの方は人間のために、敗れることが必定の戦いをやり抜きました。

 そこまでに愛し慈しむ人間。その人間のために何かしてあげられれば、いつかあの方が復活した時、いくらか言い訳ができるのではないか?


 そう思ったわたくしは、あの方がやろうとしていた夢を実現させることにしました。

 人間に進歩の道を示し、後押ししてあげようと。

 しかしそのためには細心の注意が必要でした。四元素の神々の反発が必至だったからです。

 二極の一方とは言え、わたくしにはエントロピーほど四元素に対する優位性はありません。

 その上、エントロピーに施された封印は当初とても強固で、封印に尽力した五神全員の同意がなければ解除は不可能でした。

 エントロピーを再びこの世界に迎え入れるためにも、四元素たちを不快にさせることはできませんでした。


 そこでわたくしは神ではなく、人となって人々を導くことにしました。

 肉の器に降り、人間に転生して、人の中から人々を育てるのです。

 そうして人間になったわたくしはイザナミと名乗り、人間たちの、とある集団のリーダーとなりました。

 技術を作り、ルールを整え、わたくしの集団は見る見る大きく、豊かになっていきました。

 それは創世の時代にも味わったことのないような充実の日々。あの方が人間に拘る気持ちが、少しわかったような気がしました。


 そうして人のコミュニティを育てていく過程で、わたくしは一つの戯れを試してみました。

 人の心を集約させるために、象徴が有効であることはわかりきっていました。

 わたくしもまたその手法を実践することにし、一つの象徴の下に人々を団結させることにしました。

 そのために用意した象徴が、闇の神エントロピーだったのです。

 人々は闇の神を崇め、敬愛し、その共通点を持って互いを仲間と認め合いました。

 いつの日か封印が解かれ、エントロピーがこの世界に帰ってきた時、人々があの方のことを愛し敬ってくれていたら、さぞかし驚き、喜ぶだろうと思ったのです。


 わたくしは最初、とてもウキウキしながらこの悪戯を軌道に乗せました。

 そのための一環として行ったのが『影』の力を人々に与えることです。

 光の女神であるわたくしに、闇の力を与えることはできません。

 しかし物質たる人の肉体を介し、光から『影』を生み出すのは比較的容易な技でした。

 わたくしは、この『影』をもって闇の代わりとし、闇の神エントロピーの恩恵として人々に広めました。

『影』を手足のごとく操れるようになった人々は益々発展し、コミュニティはますます大きくなっていきました。

 わたくしが女王イザナミとして治める地はいつしか闇都ヨミノクニと呼ばれるようになり、その体がシワシワのお婆さんとなる頃には世界に二つとない大都市へと成長していました。


 ですが、わたくしはやりすぎたのです。

 そこまで大きくなった人の集合体。四元素たちの目に留まらないわけがありませんでした。

 大きく発展した人々の文明を、神々は傲慢と見なしました。さらにヨミノクニの人々が闇の神エントロピーを崇拝していることも、彼らの自尊心を逆撫でしました。創世の戦いでエントロピーを倒したことで、彼らは自分たちがエントロピーより上だと思い込んだのです。


 彼らの怒りは神罰という形でヨミノクニを襲いました。

 イナゴ、疫病、硫黄の雨。さらには彼らの意を受けた外の人間たちの襲来によって、ヨミノクニは存亡の危機に立たされました。

 わたくしはそんな段階に至ってなお、イザナミから光の女神インフレーションへと戻り、愚かなる四元素たちを誅することができませんでした。

 すべては、彼らがエントロピー開封の鍵であったから。

 神々の戦いによって、四元素の誰か一人でも損なわれれば、エントロピーの帰還は永遠に等しいずっと先へ遠のいてしまう。

 わたくしは、自分が育て導いた人間たちよりも、エントロピーを選んでしまったのです。


 それがわたくしの二つ目の罪。どうしようもないほど重い罪。

 でも、わたくしのさらに救いがたいところは、わたくしの罪がそれだけに留まらなかった、ということです。


 ――ドラハ、という若き人がいました。


 ヨミノクニで生まれ育った人で、ヨミノクニが都市国家として成立してからの世代でした。

 物心ついた時からエントロピーへの信仰に触れ、『影』の扱いも慣れ親しんできた分、人一倍巧みでした。

 ドラハが壮健な若者へと成長した頃には、ヨミノクニにこの人以上の『影』の使い手はおらず、女王イザナミであったわたくしは、あの子のためにヨミノクニ最強の守り手としての称号――、勇者の名を与えました。


 そしてヨミノクニが滅びの時を迎える時、もっとも憤り、咽び泣いたのもドラハでした。

 イナゴを追い払うために奔走し、病魔に冒され死にゆく家族を抱いて泣き、降りしきる硫黄の雨に自身の体を屋根としてまで人々を守りました

 四元素の差し金で襲いくる人々を迎え撃ち、彼らが浴びせかける闇の神への罵倒に反論し、その理不尽さに憤りました。


 ドラハが血塗れになって戦う姿を見てなお、わたくしはあの子に手を貸しはしませんでした。

 やがてドラハは、敵と神を憎むあまり、みずからの『影』に取り込まれ、『影』そのものになってしまいました。

 そうなったドラハは何より危険な存在でした。

 光を吸収して我が力とする『影』の特性。『影』そのものとなって、その特性に制限がなくなったドラハは、太陽を始めあらゆる光を食らって、世界すべてを覆い尽くしても肥大化することを止めない怪物となりました。


 このままでは世界はドラハに飲み込まれてしまう。

 その時になってやっとわたくしは女王イザナミの肉体を脱いで光の女神インフレーションに戻り、その神力のありったけを使い、あの子を封じ込めました。

 闇都ヨミノクニごと、地中深くに。

 光なき地下ならば、ドラハも肥大化するためのエネルギーを取り込むことができません。


 こうしてわたくしは、あの子を一人孤独の地下に彷徨わせるまま、何百年という時間を無為に過ごしてきたのです。


 これがわたくしの、許させることのない救いがたい罪。

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