49 下衆なる神
「傍観……だと?」
「そうです、傍観していただけませんか?」
コアセルベートは得意げに話を続ける。
「アナタさえ何もせずに見守っていただければ、私の策は成就したも同然でしょう? 我がヒュドラサーペントを苦もなく倒せるのは実質アナタのみなのですから」
「僕が承諾すると思っているのか……!?」
「承諾してくださいよ。同じ神である私の頼みですからね?」
「断る!! ……もっといい方法があるぞ」
僕の両腕から暗黒物質の粒子が渦となって噴き上がる。
「ここで大海竜を消し去ってしまうことだ。胸くそ悪いお前もろともな。そうすれば裏でコソコソ悪巧みもされず、明日のライブを平和に迎えられるだろうよ!」
最初からこうなることはわかっていた。水の神コアセルベートが眼前に現れてから、コイツと戦うことになるのはわかっていた。
創世の五大神の中でも、卑劣さ不快さでは群を抜く。コイツと最後まで平和裏に進められるなんて無理だったんだ。
「いえいえ、お待ちください。アナタは昔から短気でいけない。そんなことだから千六百年間も封印されるハメになったのですよ?」
「知るか! 覚悟はいいなクソ神? その体、微粒子も残らず消滅させて、魂を天上に送り返してやる」
ヤツの体は、人間に擬態したモンスターらしいが、それはこの際好条件だろう。ブチ殺しても、殺人の罪悪感を背負わずに済む。
「やれやれ、ではアナタに冷静さを取り戻してもらうための合言葉を言わないといけませんかね?」
そしてコアセルベートは言った。
「ここで暴れたら人間たちが死にますよ?」
「ッ!?」
「お忘れですか? ここは水都ハイドラヴィレッジの目と鼻の先。そしてあの都市は世界屈指の貿易港兼観光地、人口密集度は世界一かもしれませんね? そんなところで戦えば、どうなりますかな?」
大変な被害が出る。
戦闘になればコアセルベートも足元の海竜を起動させて、二体同時に暴れ回るだろう。
僕のもっとも嫌がることをするつもりで。つまりハイドラヴィレッジの街を破壊するつもりで。
どちらか一方なら街に到達する前に封殺しきる自信がある。しかし二体同時は無理だ。
かたや炎牛ファラリス級の巨大モンスター。かたやもっとも奸智な神が宿った転生モンスター。
最小限で抑えようとしても必ず犠牲者が出る。
「…………くっ」
僕の意思を表すかのように、漆黒の渦が俄かに掻き消えた。
「さすがは何より人間を慈しむ闇の神。敬服に値しますかな? ではもう一度お願いいたしましょう。明日の戦い、傍観してくださいますよね?」
「何故……。何故二人を殺す必要がある? 倒すだけならケガをさせる程度でもいいだろう?」
我ながら情けない質問だと思った。
しかしそれぐらいしかヤツの計画に逆らう余地がない。
「簡単なことです。彼女らに死んでもらえれば、光の教団、火の教団にダメージを与えられるかもしれない? ただでさえ少ない信者を五つもの教団で奪い合っているご時世です。ライバルは弱らせるに越したことはないでしょう?」
「貴様、貴様……ッ!」
あまりに怒りが込み上げすぎて、手から暗黒物質が漏れ出す。
アイツを消せと言わんばかりに。
「おっと、もう一度言わなければいけませんか? ここは水都ハイドレヴィレッジの目と鼻の先だとね」
それだけで僕の動きは封じられてしまった。
つまり、ヤツは僕に選択を迫っているのだ。
カレンさんと、ミラク。
ハイドレヴィレッジに住む無辜の住民数万人。
どちらを助けるために、どちらかを見捨てろと。
「しかし、だからこそ確約しましょう。もし私の提案を受け入れて下されれば、ヒュドラサーペントが明日の襲来で一般人を殺すことも、建築物を壊すこともないと。明日は海に浮かべたステージで行う海上ライブ。主戦場は海となるでしょう? 私だって一応その辺は考えているんですかね?」
とコアセルベートは恭しく一礼した。
「まあ、そういうわけでハイネさんには是非とも善処いただきたく。お返事はけっこうですよ。ただ動かなければこちらは満足ですので? ただ、ライブが始まらないうちに両勇者を連れて帰ってしまうのはおやめいただきたいですね? 先ほどアナタが言われたように、ライブそのものがオジャンになってしまいますでしょう?」
「…………」
「そんなことをした場合も、責任は誰に取ってもらうか? お考え下さいね? 何、光と火の勇者たちだって納得してくれるでしょう? 彼女たちの使命はモンスターから人々を守ること。そのために命を投げ打つのはむしろ本望と言えるでしょうしね」
* * *
こうして密談は終わった。
ヤツは――、水の神コアセルベートが転生した水魔メフィストフェレスは、僕を見送って大海竜の下に残った。普通なら監視するところだろうが、それよりも大海竜の傍にいる方が安全だと判断したのだろう。
僕にとって一番厄介なのは二体のモンスターが一緒くたに暴れること。ヤツらにとっては下手に離れれば各個撃破の勝ち目を僕に晒すことになる。
その隙を見せないために、ヤツらはライブが始まるまでずっと一緒にいるはずだ。
どうすればいい?
大海竜と、水の神が宿った水魔。一度に何とかできるのはどちらか一方まで。ヤツらと敵対するとなったら、僕が一方を抑えている間に他のもう一方がハイドレヴィレッジの人々を殺しまくるだろう。
ヤツはそれぐらいやる。ヤツにとって人間はオモチャ程度のもので、しかも壊して惜しくないオモチャだ。
僕が戦いに参加すれば八百長をやめて、ヒュドラサーペントを本気で暴れさせる。ライブの前にカレンさんたちを引き上げさせても腹いせに暴れ回るだろう。
その点先に釘を刺されたのは痛かった。
こうなっては決定的に事態が始まる前に無理やりにでも二人を連れ帰るのが、唯一残された最良作だったのに。
何か方法はないのか?
カレンさんもミラクも、名もなき数万人の人々も、すべてを犠牲にせずに切り抜ける方法。
あの人間の存在そのものを侮辱するクソ神に一泡吹かせてやる方法が。
………………………………。
そうだ。
* * *
そして僕は、ある人の下を訪れた。
すっかり夜も更けて、僕が到着した時には彼女も夢の中にあった。
ベッドの上に綺麗な姿勢の寝姿で、可愛い寝息を立てている。
「おい……、ちょっと、起きろ」
そんな彼女の肩を、僕は容赦なく揺さぶった。
「うぅん……、 ふぇっ!?」
起きた途端、彼女――光の教団教主ヨリシロは慌てる。
「はははははは、ハイネさん!? 何ですこんな夜更けに!? よよよ、夜這い!? そうならそうとあらかじめ言ってくださらないと、わたくしにも準備が……!!」
「勘違いしてんじゃねーよ。お前に聞きたいことがある」




