413 プシュケー
四年前の真魔王ルシファー最終戦。
アテスの執念すべてを込められた最後の一撃を僕に代わって受けたカレンさんは、心臓を貫かれて即死した。
もはや誰にもどうにもできない状態だった。
いかに神といえど、死に向かう生命を冥府から呼び戻すことはできない。してはいけない。
己の無力さに絶望することしかできない僕らに、差し伸べられた救いの手は、意外な人物の手だった。
「元々アテスは……」
今はヨリシロに転生している光の女神インフレーション。その本体から悪しき心が分離し、もう一人のインフレーションとなったのがアテスの正体だ。
そのアテスは、純粋なる光の神気たる自分の神体を影に変質させ、影槍アベルに込めた。
闇の神たるこの僕と同化するために。
それを代わってカレンさんが受けたのだ。
僕に注入されるはずだった影槍アベルの神気。変質した光の女神そのものは代わりにカレンさんへと注入され、人間であるカレンさんの魂と同化した。
人と神の魂が一つに。
それによってカレンさんは、人でありながらそうでない何かへと変質した。
カレンさんこそがもう一人の、光の女神インフレーションとなったのだ。
* * *
「そうなったらあとは、自分自身の神気で肉体を修復することは簡単でした」
当時を振り返ってカレンさんは言う。
式典も無事終わって、もう光の勇者でなくなったカレンさん。
「最初は、本当にマジでビビったものだよ」
僕も当時のことを思い出して、背筋をゾッとさせた。
いまだに何度思いだしても、背筋の悪寒を消すことができない。
「刺した槍から、アテスの神気がカレンさんに移って、浸透して……、っていうのが感じられたから、一体どうなるのかと……!」
融合したアテスの神気で体の傷が修復され始めた時にはホッとしたけれど、すぐにまた恐ろしい想像をして恐怖に打ち震えた。
だってカレンさんは、あのアテスと融合してしまったんだぞ。
光の女神の、悪しき部分だけを漉し取ってエッセンスにしたような存在に。
そんなのと融合して、最悪丸ごと人格を乗っ取られて復活したらどうしようかと恐怖に打ち震えていたら。
結局甦ったのは、前と少しの代わりのないいつも通りのカレンさんだった。
「アテスの人格そのものは、私と融合する前に消失していたみたいです」
と、カレンさんが言う。
「ハイネさんから……、ずっと想い焦がれてきた闇の神エントロピーに拒絶されて、自分自身を保てなくなったみたいですね。ハイネさんさえいれば世界も必要ないとすら思っていた人だもの」
その僕から拒絶されることは、みずからを滅ぼすに充分すぎる衝撃だったってわけか。
本当に、自分だけの世界しかなかったんだなアイツは。
「あとは人格を失い、純粋なエネルギーだけになったアテスの神気は、私の魂という拠り所を見つけて同化していきました」
「よくそこまで上手く行ったもんだよ。元々アテスとカレンさんは属性が似通っていたと言っても、あの時アテスは影に変質していたっていうのに……」
「影の属性は、光と闇の中間ということでどちらとも親和性が高いんです。アテスの自我が消滅してしまった以上。その力は私を核として存在を作り直すしかなかった」
新たに光として。
そして生まれ変わった。人と同時に神でもある。人の魂を持った神。
コーリーン=カレン。
「カレンさん……、本当に申し訳ない」
「また謝るんですかハイネさん。この四年間、この話題になるたびに謝ってばかり……」
そうは言っても、真っ当な人間として生きて死んでいくべきカレンさんの魂が、アテスの残滓と同化することで神の呪縛に繋がれてしまったんだ。
たとえ肉体が滅びようと、魂だけが永遠に存在し続ける呪縛に。
「大丈夫ですよ。たった一人だけの永遠なら寂しくて堪らないでしょうけれど、私には一緒に永遠を過ごしてくれる人がいます」
そう言ってカレンさんは、ごく自然に僕の手を握った。
「とりあえずは、私はカレンとして、ハイネさんはハイネさんとして。よろしくお願いしますね」
「ハイ……」
カレンさんは、僕の正体を当然知ってしまっている。
闇の神エントロピーとしての正体を。
結局のところ僕たちはすべてを曝け出し合って、それでも一緒にいることを選択した。
もう逃げ場はないということだった。
「仲が良いのはよろしいですが……」
と二人きりの雰囲気に乱入者が一人。
「わたくしのことも忘れては困りますよ」
「当然ですヨリシロ様! 私たち三人、何回生まれ変わっても一緒です!!」
今となっては同じ光の女神同士であるヨリシロとカレンさんが抱き合った。
闇の神である僕と永遠に共にある。
それは一連の災禍を生み出したアテスの望みそのものだったが、結局のところそれを叶えたのはカレンさんと言う結末になってしまった。
それでもカレンさんはアテスとは決定的に違う。
そう言える根拠は、アテスが自分の理想とする異世界に自分と僕以外の存在を絶対に許さなかったのに対し……。
カレンさんは自分を取り巻くすべての存在を認めている。
彼女にとって愛すべき対象は僕だけでなく、この世界すべてだった。
この世界のすべてと関わり、交渉をもって。
色々な種類の愛を注ぎ、注がれようとする姿勢こそが。
同じ結果に辿りつこうともカレンさんとアテスを明確に善悪と分ける境界なのだろう。
「カレンさん。アナタは今日で勇者でなくなりましたから、いよいよわたくしたちの関係もよりシンプルになりますわよね」
「そうです! もはや勇者と教主様という関係は解消されて! 私たちは純粋な友だち同士! 同じハイネさんからの愛され仲間です!!」
うん。
その呼び名はどうかと。
「わたくしも、アナタのようなお友だちと存在し続けられるのならさぞかし楽しい永遠となるでしょう。しかし今は、ヨリシロ、カレンとしての人生を充分に楽しみましょう。ハイネさんがきっと楽しませてくれるはずです」
「はい! ヨリシロ様!」
いや、あまり過剰に期待されても困るのですが……!
そんな感じで、カレンさんはすっかりこれから続いていく神としての永遠を楽しむ準備万端だった。
やはり人間というのはあらゆる意味で強い
「今はとにかく勇者の肩書きから解放されたことを満喫すべきでしょう。出発の準備は既にできているんじゃなくて?」
「あ、ハイ! そうでした!」
今日にてめでたく勇者のお役御免となったカレンさん。
彼女には、これから光の勇者カレンでなく、新しい別のコーリーン=カレンとして歩む人生があるが、その前に多少のモラトリアムがあっても罰は当たるまい。
「これを機に多少の休暇を取って、お友だちに会いに行くのですわよね。とても良いことです」
「はい! ここ最近忙しくて皆にも会っていませんから、久々に近況を見てこようかと思います!」
あの最終決戦を一緒に乗り越えた勇者たち。
彼女らも今は、カレンさん同様勇者を務め上げ、新しい道を突き進んでいるという。
そんな彼女たちに、カレンさんは自分の勇者卒業を機に訪ね回りたいと言っていた。
「ではハイネさん。カレンさんのエスコートよろしくお願いいたしますわ」
「おうともよ」
僕もカレンさんのお供で一緒に回ることになっている。
光都アポロンシティを離れるのは、そのためだった。
「わたくしは教主の仕事でご一緒できませんが、どうせこれから永遠に等しい時間を共に過ごすのです。少しぐらいの別行動が何の障りとなりましょう」
「まったくだな……」
ハハハ……、と乾いた笑いが漏れてしまった。
「では、例の場所で落ち合いましょう」
「ああ、例の場所で」
ヨリシロからの見送りを受けて、僕たちはいよいよ出発する。
カレンさんの勇者卒業旅行へ。
「じゃあ、ハイネさん、行きましょう」
すでに用意してあったエーテリアル小型飛空機に、カレンさんは跨る。
各都市を周るのであれば、必要となるのはやはりコイツだ。
コイツの飛行能力には全場面通じて本当に世話になった。
「ハイネさん、後ろに乗ります? 前に乗ります?」
「いや、お互い専用の小型飛空機があるじゃないですか?」
僕とカレンさんで一台の小型飛空機に二人乗りしていたのは遥か昔のこと。
思えばあれが、僕が小型飛空機に乗った最初だった。
あれから本当に色々なことがあったなあ。
「本当にいいんですか? また私の後ろに二人乗りして、ドサクサでおっぱい触ったりしません?」
「だからもう、そのことは忘れてくださいって!!」
本当に色々なことがあったのに。
女性というのは、男の弱みをいつまで経っても忘れてくれないものだ。




