357 決別
これは同じ時に別の場所で起こった出来事である。
魔王たちは、城を目指して飛んでいた。
彼らの本拠地にして、いまだ本格的な生誕に至っていない真魔王ルシファーが胎動の眠りにつくための揺り籠。
そこを彼らは仮初に『城』と呼んでいた。
彼ら魔王自身が用意したものではなく、『ルシファーの巫女』と名乗る人間の女が、魔王たちをそこへ導いた。
その女自体も、魔王たちにとっては正体不明で不気味な存在であり、戦いを経て人間との理解を深め合うことで不気味さはさらに濃くなった。
その不気味を、危険と呼び改めたくなるほどに。
だからこそ火の魔王ミカエルや水の魔王ガブリエルなどにとって、今や住み慣れた我が家へ帰還するという気分は一切なかった。
むしろ敵地へ突入するほどの緊張感があった。
城へ戻り、もはや目覚めを済ませているかもしれないルシファーに謁見して、その真意を問いただす。
何故人間と戦わなければいけないのか。人間を滅ぼした先に何があるのか。
ミカエルたちが直接人間と接することで見た未来。
そこで得られるよりさらに大きな何かが、ルシファーが指し示す未来にはあるというのか。
それを真魔王に直接掛け合わねばならぬと、三人の魔王は自慢の翼でもって空を駆けていた。
「……いや、助かったよ」
一番後方を飛ぶ地の魔王ウリエルは、心からの安堵を込めてそう言った。
「キミたちが助けに来てくれなかったら、ボクは人間の街でずっとゴーレムを生み出し続ける御神体にさせられていた。本当に理解を越えるよ人間は。勢いだけで、このボクに反抗する暇を完全に封じてしまうんだから……!」
地の勇者ササエによって地都イシュタルブレストに連行されたウリエルは、即座にグランマウッドに代わる御神体として祭り上げられた。
瞬く間にウリエル専用の祭壇が築かれ、そこに鎮座させられたウリエルは五穀を奉納され老若男女から代わる代わる参拝される。
それに圧倒されて身動きが取れなくなったところへミカエルやガブリエルが訪れ、必死の説得を経て「身辺を整理する」という名目で一時的な帰還が許された。
というわけだった。
「……でも期日以内には帰らないと。『帰ってこなかったらこっちから探しに行くだすよ!』という勇者の脅迫めいた声が耳から離れない……!!」
「アナタが押しに弱いだけなのよウリエル。まったく地の魔王にそんなヘタレな一面があるなんてね」
からかうように水の魔王ガブリエルは言った。
「……我ら四人、発生して時が経つごとに個体差が顕著となっている」
一番先頭を飛ぶミカエルが言う。
「能力や外見だけでなく、何より性格が。経験と知識が、我ら一人一人を内面から変化させ、益々違う者へと変容させていく」
「それが文化ね! 考えの違う者たちが意見をぶつけ合うことで知識は言語化されると水の教団の人たちが言っていたわ!」
ガブリエルは陶酔するように言う。
であれば、彼ら魔王たちもいつか考えを違え、対立する時が来るのだろうか。
最初は人間滅亡という大目的のために協力し合った魔王だが、今ではその大目的すら瓦解を目の前にしている。
目標がなくなり、それぞれがそれぞれの新たに求める方へ向きを変えた時、魔王は以前と同じまとまりを持てるのか。
「…………」
「?」「どうしたミカエル?」
急に空中で停止したリーダーに反応し、ガブリエルやウリエルも飛行をやめる。
「ちょうどお前にも会わねばならぬと思っていたところだ。そちらから出向いて来てくれたのは僥倖」
「「?」」
何もない虚空の一点を、ブレずに見詰めるミカエル。
そしてその無から一点、有が現れた。
小さな点が無数に現れ、その点はあっと言う間に数えきれないほどに増え、しかも木枯らしのように渦巻く。
「うッ!?」「これは!?」
その激しさに、ガブリエルやウリエルは目を庇うように覆うが、そうして視界が遮られた一瞬のうちに、それまでになかったさらなる怪異が現れた。
全身をくまなく覆う鋼鉄の鎧。
その背から極彩色の蝶の羽を伸ばした異様すぎる人影。
「ラファエル!?」
「何だアナタなの。脅かさないでよ」
風の魔王ラファエル。
人間を滅ぼすために団結した四魔王のうちの、最後の一人だった。
全身鎧で体を覆い、素肌を一部も垣間見せない出で立ちは、元々特徴的な外見を持つ魔王たちの中でも一際異質だった。
その眉庇の暗黒の隙間から、胡乱な視線が向けられている。
「……ラファエルよ。我ら三人は、モンスターが進むべき新たなる可能性を見出した」
火の魔王が、風の魔王に語りかける。
「モンスターは人間と争うのではなく、共に進んで互いを高め合うべきだと。その方が傷つけあって足踏みするよりもっと遠くへ行けるのだと。その可能性を追い求めてみたくなった」
「文化は最高よ! モンスターが発展するために文化は必要なものだわ!」
「ボクは、コイツらほど手放しにはできないけれど。もう人間とは戦いたくないね。特にあの超怖い勇者とは……!!」
他の魔王たちも異口同音に、人間との共存案を褒めたたえる。
一人と三人との間に、冷たい溝ができたかのようだった。
「これから我々は、ルシファー様の御許へ参じ、改めてその意思を問い直すつもりだ。本当に人間とは戦う道しかないのか? ラファエル。お前にも同行してほしい」
「それは名案だ。ボクら四人、いつも一緒に行動してきたからね」
「四人勢揃いしてこその四魔王よね。行きましょうラファエル?」
三人の魔王から誘われるのに、風の魔王はこう答えた。
「断る」
「「「!?」」」
明確な拒絶に、三人の魔王は驚き、困惑する。
「やはりお前たちは堕落し、考えを曲げてしまったのだな。我らが万物の霊長として伸し上がるには、今いる頂点を蹴落とすしかない。それがつまり人間だ」
「だから、その頂点にどちらか一人が立つのではなく、共立すれば……!?」
「そんなことはありえない。頂点は常に一人だ。私にとって人間は必ず滅ぼさねばならない敵だ。人間を滅ぼせないならば、私が滅びる。と言うまでに」
「どういう意味だラファエル……!?」
リーダーのミカエルですら、ラファエルの言葉の裏に潜む強烈な感情を読み取ることはできなかった。
何故ならば、彼らはその感情をまだ知らなかったから。
「お前たちがその気をなくしたと言うなら私一人で成し遂げるまで。人間抹殺。モンスター繁栄。その大望を風の魔王ラファエルの独力によって果たす。今日はそれを告げに来た」
もう言い渡すことはないと踵を返すラファエル。
「四魔王もこれにて解散だな。あとはお前たち三人で好きな通り名でも考え直すがいい」
「待ってラファエル!」
去ろうとする同胞をガブリエルは悲痛に引き留めた。
「どうしてそんなことを言うの!? 私たちは生まれた時から共に行動してきた仲間じゃない!?」
「仲間? 冗談を言うな」
ラファエルは冷たく言い放った。
「お前たちが私のことを仲間だなどと思ったことは一度たりともないはずだ。私が気づいていないとでも思ったのか?」
「「「!?」」」
その言葉に誰も、即座に反論することができなかった。
その静寂を破る暇も与えず、ラファエルは再び突風に乗って姿を消してしまった。
戦いが近い。




