300 愛の都で
おかげさまで300話を迎えることが出来ました。
これからもよろしくお願いします。
キリのいいところで勢いよくやりたいところですが、今回一話は回想です。
水の勇者レ=シルティス。
その母親はコーティザンを務めていた。
コーティザンとは『高級娼婦』とも呼ぶことができる。
一夜に限って男性の相手をすることを主な職務としていたが、コーティザンは普通の娼婦とは格が違った。
求められれば貴族名士の集まる舞踏会に出かけ、磨き抜かれた美貌を誇示しつつ、詩を読み、ダンスを舞い、時に政治経済まで語り、民衆から憧れをもって注目された。
コーティザンの客となることは男にとって誉れだった。
最高の女を買う男たちには後ろめたさなど欠片もなく、むしろ自分の格を上げる行いだとして経験した悦楽の夜を吹聴して回った。
それはまさに、水都ハイドラヴィレッジで繰り広げられる愛と美の文化。
コーティザンは、水都を代表する文化の一つとして、艶めかしい詩文に乗りながら全世界へと伝播していった。
無論コーティザンにも序列があり、数いる中でも最高のコーティザンは水の教主にも匹敵する最高の尊敬をもって遇された。
その女を抱くには当然金がいるが、金額は法外どころではない。
仮に大金を用意できたとしても、地位も家格もない庶民では相手にされず、門前払いを食らう。
富くじが当たった程度の幸運で抱けるほど安い女ではないということだった。
よしんば金と家格が揃っても、それでも客となる男当人に実力と教養がなければ、やはり相手にされない。
すべてにおいて最高の男だけが、最高に磨きのかかった淑女を抱ける。
その不文律を破ることは、コーティザンという文化を織りあげてきたハイドラヴィレッジの街自体が許さぬことだった。
コーティザンの美しさとセックスは、水都の誇りそのものだった。
そんな中、とある時期の最高のコーディザンが、最高の男に買われた。
男の名はレ=アジュール。
四代続く貿易商の次男として、若くしてみずから船に乗り、荒波を乗り越え嵐を分け入り、様々な貿易港を飛び回った。
商機を見抜く目と、信頼を絶対に裏切らない気骨を持ち、二十代半ばにして親の身上を何倍にも膨らませ、ハイドラヴィレッジ有数の名士として挙げられるようになる。
そんな彼が恋したのが当時、究極至高と呼ばれたコーディザン。
その美しさは神話の女神にたとえられ、世界中から集まる宝石が彼女の体を飾った。
ハイドラヴィレッジにいる、水の教主を含めたすべての男が彼女を求めたが、結局彼女が彼女自身を許したのは、実績人望すべてを備えた名門商人――、レ=アジュールだけだった。
最高のコーディザンと最高の若商人による熱烈な恋愛は、人々の噂話に上り、インスピレーションによって様々な詩歌、演劇や絵画作品を生み出した。
二人の恋が燃え上がった時期は、間違いなく水都ハイドラヴィレッジにおいてもっとも熱く甘い時代の一つであったろう。
しかし、そんな二人の恋にも終わりが訪れた。
飛ぶ鳥落とす勢いのアジュールに、ついに位人臣を極めるチャンスが巡ってきた。
先代引退に伴い、水の教団の最高地位たる水の教主が空席となったのである。
引退する先代教主は、自分の後釜にアジュールを指名した。
その際に先代教主がアジュールに示した条件は、自分の娘と結婚し、姻戚関係を結ぶこと。
彼はその条件をのみ、レ=アジュールからル=アジュールとなった。
しかし彼は、真に愛する者を手放す気は毛頭なかった。
政略結婚を政略結婚と割り切り、本当の愛を愛人へ注ぐことは、ハイドラヴィレッジの上流階級ではありふれたことだったから。
アジュールも、既に何度も体を重ねたコーディザンを側室として迎えるつもりだったが、その時にはもう彼女はみずからの意志で水都を去っていた。散った椿の花が水に流れていくように。
コーティザンの頂点まで上り詰めるほど賢い彼女にはわかっていた。
入り婿となって立場の弱いアジュールでは、側室を持つ、などという我がままは許されないと。
自分自身の誇りと、愛する男の栄達を守るため、賢い女性はみずから身を引いた。
既にその腹に、愛する男と熱烈に愛し合った証拠を宿したまま。
十月十日が過ぎ、彼女はその証拠を生み落し、シルティスと名付けた。
シルティスは母と二人、水都ハイドラヴィレッジからそこそこ離れた田舎町で暮らし育った。
シルティスは女手一つで育てられたことになるが、母もかつては水の都の貴族社会を席巻した輝ける女。
その座から退いたところで零落するわけもなく、地元の学校で教師を務めて、筋金入りの淑女を何人も量産しつつ、自分の娘にも最高の愛情を注ぎながら厳しく教育した。
アイドル勇者として水都を席巻することとなるシルティスの基盤は、この頃に養われたと言える。
やがて血筋なのか教育ゆえか、必要以上に賢く育ったシルティスは、当然ながら自分の出生に疑問を抱くようになった。
人には誰にでも父親と母親がいるのに、自分は父親の顔を知らない。
母親しかいない。
厳しく優しい母親を嫌ったことなどなかったが、一度疑問を持ったら解き明かさずにいられない性分は、恐らくは父母双方からの譲りものだった。
物置に放り込まれた手紙などから推理を立て、自分の父親を言い当てたシルティスは母親と大喧嘩の末、水都ハイドラヴィレッジへ上京し、水の教団に入る許可を得た。
「父親に、絶対自分の身の上を明かさない」という条件付きで。
シルティスの母は、恋人に妊娠を告げぬまま消えたため、娘がいるという事実自体を父親は知らない。
政治的な問題も絡み、現水の教主の隠し子などを明るみに出てはいけなかった。
そうした面倒事とは関わりなく、ただ一目父親の顔を見てみたかったというだけのシルティスは、水の教団で入団試験を受け、見事に高得点を叩き出し、流水海兵団へと入団する。
入団式の挨拶で壇上に上る教主を見て、早速目的が果たされたシルティス。
目的を失った彼女だが、せっかくやって来た大都会で何もせずに帰るのは味気ない。
いっそ母親と同じようにコーティザンとなって貴族社会を蹂躙してやろうかとも思ったが、やはり高級と言えども娼婦は娼婦。
いきなりそんな世界に飛び込むのは、さすがのシルティスでも物怖じしたし。何より後々になって出生の秘密がバレでもしたら、父親に必ず迷惑をかける。
そこでシルティスが物色した新しい道は、コーティザンに対抗して新たにハイドラヴィレッジで流行り始めたアイドルなる商売だった。
これなら流水海兵団の職務とも併用できる。
おりしも当時現役だった水の勇者サラサの結婚引退が決まり、後継選抜をぶっちぎりでクリアしたシルティスは、水の勇者とアイドルを兼ねることを宣言し、上層部の度肝を抜いた。
その理由を尋ねられた時は「アタシの思うような勇者になりたかったから」とはぐらかしたが、その真実は母親から受け継いだ魔性の魅力が、彼女自身を突き動かしたとしか言いようがなかった。
母はコーディザンとして。
娘はアイドルとして。
母娘二代に渡って水都のすべてを魅了した。
男の中でハイドラヴィレッジ最高の地位を手に入れた父と、女の中でハイドラヴィレッジ最高の地位を手に入れた母。
その間に生まれたシルティスは、まさしく水の都の申し子と言える。
水の都の歴史、水の都の仕来り、水の都の魂。それらすべてがシルティスの肉体に宿り、余計なものは欠片もない。
そんな彼女が水の教団、水の都を代表する勇者となったのは、あるいは運命なのかも知れなかった。
そんな彼女が、さらに水都ハイドラヴィレッジ最大の危機に立ち向かうこととなる。これもまた運命によるものなのか。
ただ一つ言えることは、水の都は危機に見舞われた不幸はともかく、そこに最良の救い手を得たことは幸運であった、ということだけ。




