291 菖蒲散る
先代水の勇者ラ=サラサさん。
先代火の勇者キョウカさんや、先代地の勇者ヨネコさん同様、私たちの前に勇者を務めた前世代。
本来ならとっくに勇者の職を務め上げ、引退して家庭に入るなりした彼女たち。しかし魔王襲来という未曽有の緊急事態に、特例で現役復帰し、私たち現役勇者とツートップで戦いに臨んでいる。
シルティスちゃんが本拠を空けて他教団の救援に向かえたのも、先代のサラサさんが留守を預かってくれたからこそ。
そのサラサさんが、全身に傷を負って崩れ倒れていた。
「サラサ!」
「サラサさん!?」
私やシルティスちゃん慌ててサラサさんへ駆け寄る。
魔王ガブリエルのプレッシャーに抗していたからとはいえ、こんな近くに人が倒れていたのに気づけなかったなんて……!
「サラサ! サラサ! しっかりして、何があったの!?」
抱き上げるとサラサさんに意識はなく、気絶しているところを体を揺さぶり、やっとうっすら目を開けてくれた。
「…………あ、シルティスさん。やっと来ましたか。遅すぎて待ちくたびれましたよ?」
「アンタこそ……! いつも先代勇者なんて大口叩いてるんだから、アタシが戻るまでに魔王ぐらい倒しておきなさいよ……! おやつを取っといてくれなんて誰も頼んでないんだから……!」
サラサさんは、シルティスちゃんの到着に安堵した。
シルティスちゃんは、ボロボロになるまで戦い抜いた先輩を心から心配していた。
にも拘らず、お互い憎まれ口しか出ないのは水の勇者の共通点なの……?
「アタシたちが来たからには、アンタはもうお役御免よ……! あの魔王は私たちの手で捻り潰してやるんだから、ケガ人はゆっくり休んでなさい」
そう言ってサラサさんを抱え上げようとするシルティスちゃん。
その手をサラサさん自身が払った。
「ちょ……!?」
「シルティスさん、アンタさんももうわかっているでしょう? アンタさんは、見た目のわりに本当に賢い子ですから……!」
「な、何言っているのよ……!?」
「今は、ハイドラヴィレッジ全体を未曽有の危機が襲っている……! ウチ一人の心配などしている時ではないのです。悔しいけれどウチの力では、あの魔王にまったく歯が立たない……!」
そうしたやり取りを二人がしている間も、ガブリエルは余裕綽々と見下ろすのみ。隙をついて攻撃など、しようとする素振りも見せない。
完全に舐め切っているのだ、私たちを。
「その女、まったくつまらなかったわ。一応この街で一番強い個体だというから、じっくりと味わいたくて、こっちからは絶対攻撃しないっていうルールまで設けたのに。私に傷一つ付けられないの」
心底つまらなそうに、ガブリエルはため息をついた。
「挙句、攻撃し疲れて気絶してしまうし。まったく時間の無駄だったわ」
「それでいいんです、無為に引き延ばした時間のおかげで、シルティスさんが帰ってくるのに間に合ったんですから……!」
その言葉に、シルティスちゃんも私もハッとなった。
「サラサ……! アンタまさか……!!」
「自分では魔王に勝てないと悟って、時間稼ぎに徹して……!!」
魔王に対して効かない攻撃を繰り返しながら、シルティスちゃんの帰還を待っていたの!?
全力の攻撃がまったく効果を表さない。
戦士にとっては体力以上に精神力を削られる行為を、延々と繰り返しながら……!
「そちらにいるのは、光の勇者さん。それに火の勇者さんですね……!?」
サラサさんは、ボロボロの体を鞭打って立ち上がる。
そして私やミラクちゃんを見やる。
「ほんに、アンタさんたちは仲がいいですねえ。ウチも、もっと早くキョウカさんやヨネコさんやジュオさんたちと仲ようなっとけばよかった。あんなにいい人たちだったのに……!」
さ、サラサさん……!?
「他教団の勇者の皆さん、どうかウチの後輩を助けて。ハイドラヴィレッジの人々を救ってあげてくださいな。そのための血路は、ウチが切り拓きます!」
バッと広げられる扇子。
それはサラサさんの神具である水扇ダヒュ。何でも斬り裂く水の刃。
「よくお聞きなさいシルティスさん。ハイドラヴィレッジの人々は、まだ救うことができます……! あの魔王が流し込んだ悪しき神気を引き抜き、現象を逆転させれば元に戻すことができるはず。しかしそのためにはまず元凶を倒さなければいけない!! 元凶であるヤツを!!」
「え? 何!? どういうこと!?」
しかしサラサさんは説明を追加してくれず、果敢に魔王へ挑みかかる。
「あらあら、まだやる気? 意味のないことを繰り返すなんて、無様な人間は文化を学ぶ参考にはならないのだけれど」
「だったらお望み通り、ウチの本領を見せつけてやりますわ!! シルティスさんが到着した以上、こっちも出し惜しみはなしです!!」
サラサさんのかまえる水扇ダヒュから、これまでにない勢いで水の神気が迸る。
「よく見ておきなさいシルティスさん! 小憎らしいアンタさんが相手でも、人間相手の試合では使いない技があるんです!!」
サラサさんは水扇ダヒュをかまえたままその身を回転させ、さらに水扇から迸る極薄の水の刃も回転の軌道に従って伸びる。
さながらサラサさんの体を囲む水の竜巻のように。
「『水斬刃・龍牙の舞い』!!」
超スピードで回転する、幾重にも重なった水の刃。
それはもはや水の神気による究極の暴力。あの水の竜巻に触れたものは、その瞬間から微塵切りに刻まれて跡形も残らない。
「あんな奥の手を隠していたなんて……!?」
さすがは私たちよりも年季の入った先代勇者。
「あんなの新旧勇者戦で使われてたら、アタシ負けてたわよ……!?」
負けるどころか細切れにされて命がなかっただろう。だからこそサラサさんは新旧勇者戦で、あの文字通りの必殺技を封印した。
シルティスちゃんも先輩の全力に膝が震える。
「これで少しでも傷を負わせれば……! あとに戦うシルティスさんたちが有利に……!!」
触れるもの皆斬り刻む、水の竜巻。あるいは水のシュレッダー。
それをもって体ごと敵にぶつかろうとするサラサさんだが……!!
「あら素敵、そんなサプライズを用意してくれていたのね」
折り重なる水の刃は、魔王の差し出す手に容易く砕け散った。
「なッ!?」
「そしてなるほど。切り札というのは、それが最大限効果を発揮するタイミングまで隠しておくのね? 戦略戦術もまた文化だわ」
まったく傷ついていない……!?
先代水の勇者サラサさんの最終奥義で、掠り傷一つすら!?
「ぐぎゃああああああああーーーーーッッ!?」
そして、水の千刃を砕いた魔王の腕は、そのままサラサさんの胸を貫いた。




