277 ファンタジー物理学
そして最後はこの僕――、クロミヤ=ハイネの語りによって締めくくられるべきだろう。
僕たちがいるのは依然として『無名の砂漠』。
ブラックホールの中に囚われて――いたらいいなあ、と思われる――地母神マントルを呼び戻すため。
この僕――、クロミヤ=ハイネと光の教主ヨリシロ、さらに風の教主シバの三人は協力してブラックホール破壊を試みているが、これがまったく上手く行かない。
上手く行く素振りすらない。
我が闇の神力で生み出したブラックホール唯一の弱点――、光の神気によってブラックホールの核となる超々圧縮暗黒物質を消去すれば、ブラックホールそのものも消滅して、中に引っかかっているかもしれないマントルも解放されるかも、という算段なのだが。
何度撃っても何度撃っても、光の神気は超々圧縮暗黒物質に届く前に、ブラックホールの超重力に囚われて、核には届かない。
シバが風の神気で空気を歪めて作ったレンズや、僕の重力レンズで光を収束、威力を強化しても超重力を振り切ることはできなかった。
何十回と光神気の照射を繰り返してことごとく失敗。
現在僕たちは、度重なる失敗によって消耗した体力と精神力を休ませるために、地面の上に大の字で伸びきっていた。
所在地が『無名の砂漠』であることも相まって、クソ暑いから余計に色々消耗する。
何一つとして上手く行く兆しがないし、僕たちの間に濃密な徒労感が漂いつつあった。
「もう帰りましょうか……?」
真っ先に諦めの言葉を口にしたのはヨリシロだった。
「やはり闇の力を舐めていました。いかなる策略もブラックホールには通じません。たしかにマントル帰還が叶えば我々にとって有利ですが、それに固執しすぎれば命取りになりかねません」
ヨリシロの言う通りだった。
そもそもここにいる三人は、僕が闇の神エントロピー、ヨリシロが光の女神インフレーション、シバが風の神クェーサーの転生者で、いわばこの座は神の集いだった。
「わたくしたちがこうしている間にも、魔王たちはいつ行動を開始するかわかりません。マントルの件には見切りをつけて、早々にできる範囲での万全を整えるべきかと……」
一言一句反論の余地もないほどに、その通りだった。
ここでマントルをサルベージできれば、ササエちゃんを地の神勇者にすることができ、対魔王の戦力も豊富となるのだが……。
問題はそれだけではない。
むしろ水の神コアセルベートという、マントル以上の問題もそびえ立っている。
アイツこそ協力してくれる可能性、絶対的皆無。この時点で全五勇者を神勇者に変える構想は達成不可能なので、無理を通してまでマントルを呼び戻す必要はないように思われる。
ここは堅実に、今ある手駒だけで勝ちに行く手段を模索するか。
「……勘違いしていたんじゃないか?」
そこへ、いきなり口を挟んできた者がいた。
僕たち三人のパーティの中で、最後まで口を噤んでいた風の教主シバだった。
「勘違い? 何がです? マントル引き上げが不可能である以上、急ぐべきはアナタのところのヒュエさんや、火の勇者ミラクさんの神勇者化。ノヴァを説得するのは難しいとは思いますが、説得できるだけ他の二人よりマシでしょう。ここは早々に……」
「そういうことではない」
たたみかけようとして来るヨリシロを、シバは制した。
「足りなかったのは出力じゃない、正確さではないかということだ」
「「?」」
シバが何を言っているか、僕たちにはわからなかった。
「まず基本的なところから言うぞ。何故光の神力は、ブラックホールの核に届かない?」
いやそれは、ブラックホールの超重力が……!
「ブラックホールは、物質非物質に関わらずすべてのものを吸い寄せてしまうんだろう? ならば光が超重力に囚われたとしても、向かう先はブラックホールの中心。つまり超々圧縮暗黒物質の核に向けてだ。ならば本来黙っていても、重力に捕まった光は暗黒物質に届くのではないか?」
「い、言われてみれば……!」
アレ?
じゃあなんで僕たちの放っている光の神気は核に届かずに? え? アレ?
「超重力に捕まった光は、シュワルツシルト半径に永遠に囚われ続ける。そう言っていたな?」
「あ、ハイ」
すみません。そうは言いましたが僕自身あんまりわかってないんすよ。
なんかシュワルツシルト半径って、カッコよくて口に出して言いたくなるじゃないですか。シュワルツシルト半径。
「シュワルツシルト半径とは、ある距離までブラックホールに近づきすぎると、いかなる力をもってしても戻ってくることができない、リターン不可の境界線のことだ。そこを一歩でも踏み越えれば、もう何であろうとブラックホールから逃げ切ることはできない。光ですらも」
はあ。よくご存じですねシバさん。
あとヨリシロが早々に理解することを放棄して寝始めました。
「そこで先ほどの話に戻るが、俺たちは今までブラックホールの核を破壊しようと何十回と光の神気を撃ち込んできた。しかし一度も成功しなかった。俺たちはその理由を、光の神気が出力不足なため超重力を振り切ることができなかったと考えていたが、違うのではないか?」
「じゃ、じゃあ何が失敗の原因だと?」
「俺たちはこれまで、ただ漫然とブラックホールに向けて光を撃ち出すだけだった。正確に核に当てようとしてこなかった。それが問題なのではないか?」
「?」
たしかに。
ブラックホールは、漆黒の球体のように見えるが、それは超重力ゆえに光すら反射して返ってこないために、そう見えるという錯覚だ。
その核、超々圧縮暗黒物質がブラックホールにおける唯一の実質的な部分といえなくもないが、それこそ超々圧縮と言うだけに、その体積は砂粒の数千分の一よりさらに小さい。
それを狙って当てるとなれば、神業のような精度が必要となるだろう。
でも僕やヨリシロは、それを深刻に受け止めていなかった。
ブラックホールが超重力ですべてを吸い込んでいるのだから、真面目に狙わなくても勝手に目標へ引き寄せられるだろうと楽観的に考えていた。
その超重力によって光がシュワルツシルト半径に囚われるという、自分の口から出ていた矛盾にも気づかずに。
「いいか、それでも闇に対して一番強いのは光だ」
シバ教授の講義は続く。
「ブラックホールから脱出できる可能性が一番高いのも光。光速は世界一の速さだし、質量もないからな。……恐らく、核を外すコースでブラックホールへ撃ちこまれた光は、核を掠めて通り過ぎようとする。しかし超重力はそれを捕まえ、吸い込もうとする」
はいはい(よくわかっていない)。
「普通の物質なら、そのまま重力に引かれてブラックホールの中心へと落ちて行くだろう。しかし光は違う。光は相性的に闇に強い上、質量も持たず光速で飛ぶのだから、重力に逆らって重力とは逆の方向へ進むことができる。たとえ不可帰境界線であるシュワルツシルト半径の内側に入っても、だ」
はいはいはい(やっぱりよくわかっていない)。
「しかしシュワルツシルト半径より内側に入ったものは二度と外へは脱出できない、と言う法則も絶対。それでは結果、どういうことが起るか? 『脱出しようとする力』と『引き込もうとする力』。超光速と超重力は互いに釣り合って。脱出可能か不可能かの、境界線で止まる。そこが……」
シュワルツシルト半径……!!
シュワルツシルト半径はいわばブラックホールの衛星軌道。脱出速度と重力が拮抗しあった光はそこで動けなくなると。
「くどくどしい話をしたが、つまり何が言いたいかと言うと、ブラックホールを破壊するために光の神気は正確に、核となっている暗黒物質に命中させなければいけないということだ」
だからシバは言ったのか。
必要なのは出力よりも正確さだと。
「あいわかりました」
聞くのを拒否していたヨリシロが復活した!?
「要は、今まで漫然と撃っていたのを、ちゃんと狙え。……と言いたいのでしょう? たったそれだけを言うために何故ここまで長ったらしく語るのでしょうか、男というのは? 蘊蓄言えればカッコいいとでも思っているのですか?」
「テメエら女こそ自分に興味のない話は即刻シャットアウトしやがって……! やっぱりジュオ以外の女はアホばっかりだ!」
コイツらが仲悪いのはデフォルトである。
そしてさりげなくのろ気るな死ね。
しかし、シバの推測が正しいとしても、事は簡単に打開されたわけではない。
いまだに光の神気によるブラックホール破壊は最難関だ。
何故なら、さっきの話の中にもあったがブラックホールの核たる超々圧縮暗黒物質の体積は、砂粒の数千分の一程度のものだ。
しかし質量は山一つの数百億倍はあるのだが……。
そんな小さい的に狙って当てようなど至難の業。
「俺が何とかする」
言い出しっぺのシバが乗り出した。
「俺も風の神クェーサーであると同時に、風の教団で生を受けた人間だ。風の双銃術を修め、狙い撃ちには自信がある」
「シバ……」
「無論、長距離精密射撃では長銃術を使うヒュエに及ばぬが……。それでもやってみる価値はある。先ほど同様風のレンズでヨリシロの出す光線を調整し、入射角を制御しよう。ハイネ」
「はいッ!?」
「闇の力を使うお前には、核の位置を感じ取って俺に教える役割をしてもらうぞ。この方法でもう少し、最後の手段を取る前に足掻いてみようではないか」
休憩時間は終わりだとばかりにシバは立った。
僕も追って立ち上がり、ヨリシロもやれやれと言った様子で砂にうずめていた大きな尻を浮かせる。
幾度もの失敗を重ね、くどくどしい推論を展開し、僕たちはブラックホールの破壊に近づこうとしている。
しかしそれでも超小粒のブラックホール核を射抜くには、さらに何百回と言う試射を繰り返さなければならないだろう。
つまりここまで長々と語って、僕が何を言いたいかと言うと。
マントル救出にはまだまだ時間がかかるということだ。




