249 悪しき光
本当はわかっていました。
光の先代勇者にして、我が姉アテス。――その正体。
このわたくし――、ヨリシロにはわかっていました。
何故なら、あの日の激闘……。神の力の一部を得たカレンさんによって圧倒され、尻尾を巻いて逃げざるをえなかったアテスは、去り際わたくしに語りかけて来たのですから。
みずから正体を明かすために。
『ヨリシロ……、これほどの切り札を密かに開発していたとは、さすが我が半身……!!』
『!?』
その魂から発せられる波動の音声に、わたくし――、ヨリシロはゾクリとしました。
この通信手段は、神の魂を持つ者にしかできぬこと……?
『アテス? アナタなのですか?』
『いかにも、今日のところはアナタと健気なカレンさんに勝ちを譲るとしましょう。私は去ります。我が本来の目的である影槍アベルが完成した今、欲張ってそれ以上を求めるのは、足元を掬われる元となりますからね』
アテス……!
アナタは本当に一体……、何者……!?
『あわよくばアナタから教主の座を奪い、人間たちの指導者という立場に立ってみたかったのですがね』
『そうして、一体何をしようというのです!?』
わたくしは最初、アテスさんのことを単なる権力志向者だとばかり思っていました。
権力を手に入れる。そのこと自体が目的なのだと。
しかし、ここまで特異な力を見せつけられた以上、もはや同じ考え方はできません。
彼女は明らかに、権力を手に入れた先のことを考えています。
『簡単なことですよ、権力を持ち、人の集団を支配すれば、内側から人心を腐らせて、互いに憎み裏切り合うよう仕向けられる。その様をハイネさんに見てもらえれば、あの方も人間に絶望してくれるではないですか』
『何を!?』
『ヨリシロ、アナタは人間を憎んでいたはずです』
その瞬間、心臓を鷲掴みにされたような心地がしました。
『アナタが愛するあの方は、アナタよりも人間のことを深く愛しました。その一点のみでも許しがたいというのに、こともあろうに愛する方と敵同士となって争い合った。その原因も人間』
千六百年前の、神々の戦いのことを言っているのですか?
ますますアナタは一体……?
『人間は、あの方と私たちの間を引き裂いた罪深いゴミ虫。本来ならば一匹たりとも生かしておけない。しかし人間どもを根絶やしにすれば、今度こそあの方は「私たち」を許さないでしょう。何と言うジレンマ。神がこのように歯痒い思いをしなければいけないとは……!』
『やめなさい! アナタは何を言っているのです……!』
わたくしでもないのに、わたくしの心を語るかのように。
……いいえ、違います。
わたくしは人間を憎んでなどいません!
最初はそうだったかもしれません。でも、わたくしはあの方と心を重ねるために人間イザナミとなって、古代都市ヨミノクニを拓くことで人間の素晴らしさを学んだのです!
『所詮それもおためごかし。みずからの内に潜む悪心を抑え込むための自己暗示に過ぎません。……しかし、その程度で抑えきれるほど、神の憎しみは甘いものではない。やがて憎しみは、憎しみだけで独自の意志を持ち、みずからのために動き出した』
『な……!?』
『人間を滅ぼし、人間を抹消すれば。あの方は余計なものに脇目を振らず、私だけを見てくれる。世界には、私とあの方だけがいればいいのです。闇と光だけが』
『待ちなさい! アナタは何を言っているのです!? アナタは……!?』
『もうわかっているのでしょう光の女神インフレーション。私は光の女神インフレーションです』
同じ血肉で生み出された姉の体を持つ者が、わたくしの魂の名を呼びました。
みずからも魂の名を明かしながら。
『神の魂は特別。どこまでの強大でどこまでも遠大。限界も制限もない。ゆえに必要とあれば二つに分かれもしましょう。アナタ自身に自覚はなかったのでしょうが、人間を深く憎みながら、その憎しみがもっとも愛する者に嫌われる原因となりうる。その矛盾に苦しんだアナタは、もう一人の自分を作りだした。それに憎しみをすべて押し付けるために……』
『わたくしは……、アナタ……?』
『そう、アナタは私……!』
ヨリシロの血を分けた姉アテスは、わたくし同様、光の女神インフレーションの転生者だった。
人間への憎しみと共に分かれた、もう一人の光の女神。
『アナタは、もう一人の自分に気づかなかったようですが、私はアナタのことをずっと観察していましたよ。アナタが闇の神エントロピーの封印を解き、私も本格的な活動を開始する時だと見極め、先んじて人間に転生したのです』
それが人間サニーソル=アテス……!?
『長い時間をかけて人間どもを、そして四元素の下等神どもを唆してきた集大成が、もうすぐ出来上がる。すべてを滅ぼすのです。私が愛するエントロピーが、私以外のものを見なくて済むように。私だけを愛するように!!』
吐き気がしてきました。
アテスが吐き散らす罵詈雑言は、たしかにかつてわたくしの中にあった醜い感情そのもの。
千六百年前の戦いの最中、わたくしの中に蟠っていた悪感情そのものだったから。
その怒り苦しみは、人間イザナミとなってヨミノクニの人々と共に過ごした時間が、少しずつ払拭していって、今はないのだと思っていました。
でも違った。
わたくしの中にあった悪は、わたくしから切り離され、まったく独自の存在として蠢いていたのです!
『今回は、アナタの策略に負けたことを素直に認めましょう。今になって正体を明かしたのは、今日の勝利に対するご褒美だと思ってください。どうせ、最後に勝つのは私だと決まりましたから』
『どういうことです!?』
『影槍アベル。これが完成したことでパズルのピースは揃いました。あとはそれを順番にはめ込んでいくだけ。そして完成する。わたくしがみずから創りだした白輝の破壊神が……』
白く輝く、破壊神……?
『光の魔王ルシファーが』
あははははははは!! と狂ったような笑いが魂を揺らす。
『世界のすべてはルシファーによって終焉をもたらされるのです! 人も神もモンスターもすべて! 世界には、闇の神エントロピーと光の女神インフレーションだけがいればいい!!』
とアテスが笑うのです。
『無論、最後に残るべきインフレーションはアナタではありません。同じ存在とは言え、闇の神に――ハイネさんに愛されるのは私だけで充分。アナタもまたルシファーに滅されるべき哀れな存在だと。消える前にあらかじめ知ってほしかった。だからこそ今日の挨拶です』
『自惚れないでください! 人間を滅ぼそうとするアナタを、ハイネさんが愛するはずはありません!!』
『やってみなければわかりません。どの道ハイネさんから最大限に愛されるには、人間を滅ぼすより他にないのです。アナタにはそれを実行する勇気はなかった。私にはある!』
恐ろしい。
ついにその正体が判明したアテスさんを、わたくしは心から恐ろしいと感じました。
彼女の実行しようとしていることは、わたくしの中で一度はよぎったことのある考えだから。
それも当然、彼女はわたくしなのだから。かつてわたくしの中で泡のように浮かんで消えたはずの悪こそが、彼女そのものなのです。
『宣戦布告はこれで終わりです。それではヨリシロ、魔王どもの始末精々頑張ってくださいな』
カレンさんの放つ閃光から逃れ、影の中に消えるアテスを、わたくしは追うことができませんでした。
同時に、力尽き果て意識を失ったカレンさんを、わたくしは後ろから抱き留めました。
わたくしは彼女の言うように、勇気がないのでしょう。
果てしなく憶病で、卑怯なのです。
こうして知ったアテスの正体を、彼女がわたくしであることを、ハイネさんに伝えることもできないでいるのですから。
あのような醜いものがかつてわたくしの中にあったなどと、ハイネさんに知られるのがどうしようもなく恥ずかしくて怖いのです。




