231 ありえぬ通路
結論から言って、ドラハが自分以外のものも影の中に潜ませるのは可能だった。
実際そうでないと、着ている衣服も入らなくなるからドラハは素っ裸で影に入らないといけなくなるしな。
「影の中はほぼ水中みたいなものと思ってください」
「というと?」
「まず呼吸がまったくできません。ですので影の中にひそめる時間は非常に限られます」
「つまり息を止められる間だけってことか。なら大丈夫、僕はかなり息が続く方だから」
正確には暗黒物質の重力操作を介して時間の経過を遅くできるのかなり長い間無呼吸状態を維持できるってことだが、説明が面倒なので「息が続く」という一言でまとめる。
「待ってください!」
そこへカレンさんの慌てた声が挟まれる。
「誰かがドラハさんに同行するのはいいとしても、それならばもっと潜む人数を増やせば? 送り込む戦闘員の数は、そのまま作戦の成功率に結びつきます!」
「残念ですがカレン様」
ドラハは冷静に言う。
「影の中に潜ませる貯蔵量は、影の面積にそのまま比例するのです。今回の作戦を考えますと、同行できるのはせいぜい一人と考えなければ」
「であれば、なおさら行ってもらうのはハイネさんとすべきでしょう」
ヨリシロが会話に加わる。
「ハイネさんは現状間違いなく世界最強の戦力です。加えて、立てこもり犯が何らかのエーテリアルを利用した武器を所持している可能性が示唆されています。不測の事態に即応できるのは、何よりハイネさんの暗黒物質でしょう」
「ですが……」
それでも心配そうな……、というか僕と離れたくなさそうなカレンさんは不承不承という顔つきだが……。
「弁えなさい我が勇者。アナタには、この二人を人質の下まで送り届ける大事な役割があります」
「はい……」
ヨリシロの厳格さに無理やり納得させられるカレンさんだった。
「アテスさん」
「はい」
そして、ヨリシロ乱入からすっかり静かになったアテスだが、この対策本部にまだいた。
むしろ去ることを許されなかった。
ヤツを目の届かないところに行かせれば、何をしでかすかわかったものじゃない。
「アナタはこのまま対策本部にいなさい。この作戦が終了するまで、わたくしの傍から離れることを許しません」
「それが教主の御意志であるなら、当然従いましょう」
アテスは従順だが、その従順さはどこまでが本心なのか。
とにかく僕たちは、前だけを見て戦いに臨むことはできなさそうだった。
* * *
ドラハを人質たちの下へと送る具体的な方策はすでに出来上がっていた。
カレン戦の小型飛空機、また出番だ。
ホント、コイツ毎回活躍してるな。
「ええと、つまり……」
「ドラハさんと、ハイネさんには、小型飛空機の影に入ってもらいます」
なるほどか。
空飛ぶ鳥にも影はできる。飛翔物の影に入れば、その行動範囲は事実上無限大だ。
人質が押し込められているという光の大図書館『女神の間』には、天窓もあると言うし、小型飛空機が上空から回り込んで、天窓越しに影を室内に映しこめば、それだけで侵入成功になる。
「カレン様、飛行中は常に太陽を背にして、建物の陰などに入らないようにしてください。他の影と混ざりこむと、そちらの方に取り残されることもありますので」
「了解です」
影の能力にも独自ルールがあるようだ。
犯人グループに悟られないため、隠れたところから飛び立とうとするカレンさん。
飛行が安定し次第、僕はドラハと共に陰に潜り込むつもりだったが、その前にあるものに注意を引かれた。
「グレーツ団長?」
極光騎士団の新しい指揮者、グレーツさんがどこぞへ向かって歩いているのを目撃。
どこへ行こうとしているんだ?
今はあの人も、対策本部にドッシリ座って状況を俯瞰すべき立場だろうに。
「ハイネさんが止めるだろうからって、秘密だったんですが……!」
カレンさんが今さら言う。
「グレーツ団長は、作戦の成功率を上げるために注意の引きつけ役を買って出たんです。犯人たちの意識がグレーツ団長に向けば、それだけ不意を打って強襲するハイネさんたちがやりやすくなるって」
「まさか……ッ!?」
グレーツ団長が向かっているのは、図書館の正面玄関で間違いなかった。
そこではまだ前騎士団長のドッベが、得意満面の演説をぶっている。
「マズいだろ!! 騎士団長職を追われたのを何より恨みに思ってるドッベの前に、今の騎士団長であるグレーツさんが出て行ったら……!」
「ハイネさん!」
グレーツ団長を止めようと駆け出そうとする僕を、カレンさんが引き留めた。
「……グレーツさんは。グレーツさんこそ、本当に極光騎士団長に相応しい人です」
「カレンさん……?」
「あの人は中隊長だった頃から、騎士団を何より大切に思っていました。有力な名門家系の生まれでもなく、何の後ろ盾もないところからの叩き上げで、中隊長になった。でも……」
それは決して出世欲からの成り上がりではなかった。
あの禿頭男は、常に組織を――、組織を構成する人を大事にし、部下を気遣い、人々が全力で戦える戦闘集団作りを目指してのことだった。
自己の利権しか気にしない上司とやり合ったことも一度ならずあった。
「戦って守ることの意味を、あの人は充分に良く知っています。だからこそヨリシロ様も、改革に当たってグレーツさんを新しい騎士団長に抜擢したんです」
そのグレーツ団長が、作戦成功のためにもっとも確実な方法を選び取った。
作戦を成功させて、市民を助け出す方法を。
「騎士団長の邪魔をしてはダメです! 私たちは、私たちのすべきことをやるんです!」
カレンさんからのお叱りに、もはや足は動かなかったが、視線だけはどうしてもグレーツ騎士団長の背中から外れなかった。
そしてあの人は、ついに光の大図書館玄関前へと到着する。
「ああん……? 何だ貴様は!?」
もはやテロ犯罪者となり果てたドッベに、禿頭男は名乗った。
「極光騎士団団長、ディンロン=グレーツ様だ」




